第24話 約束の報酬、初めての夜


 放課後の教室は、生徒たちの喧騒が去り、冬の弱い日差しだけが静かに舞い落ちていた。俺は、その静寂の中で、自分の心臓の音だけがやけに大きく響くのを聞いていた。手の中には、一枚の成績表。それは、俺の血と汗と涙、そしてあの人への狂おしいほどの想いが染み込んだ、勝利の証だった。

 二人きりの教室で、俺は、震える手でその成績表を早瀬先生に差し出した。彼女は、黙ってそれを受け取ると、その美しい瞳をゆっくりと紙の上で滑らせていく。国語、九十二点。数学、九十点。理科、九十四点……。全ての教科で、俺の名前は、信じられないような数字と共に記されていた。

 やがて、彼女は顔を上げた。その瞳は、みるみるうちに涙の膜で覆われ、やがて大粒の滴となって、白い頬を静かに伝っていった。

 「……おめでとう。本当に……すごいわ、山上君……」

 その声は、喜びと、誇りと、そして安堵で、か細く震えていた。俺のこの努力が、俺だけの勝利ではなく、彼女自身の勝利でもあったかのように。俺は、彼女のその涙を見て、これまでの全ての苦労が報われた気がした。俺たちの間には、これから果たされるべき約束を前にした、甘く、そしてどこまでも濃密な緊張感が漂い始めていた。


 「……約束、果たさなきゃね」

 先生は、涙を拭うと、少し恥ずかしそうに、しかしどこまでも覚悟を決めた瞳で、俺に微笑みかけた。

 「うちへ、いらっしゃい」

 その言葉に、俺はただ、こくりと頷くことしかできなかった。

 彼女のアパートへ向かう道すがら、俺はまるで夢の中を歩いているような気分だった。前回までとは違う。俺はもう、ただ報酬を乞うだけの生徒ではない。自らの力で、彼女との未来への扉をこじ開けた、一人の「対等な男」として、今、彼女の聖域へと向かっているのだ。その事実が、俺の足取りに、これまでにない確かな重みを与えていた。隣を歩く先生は、どこか遠くを見つめるように、口数が少なかった。きっと彼女もまた、これから二人で失うものと、そして得るものの、そのあまりの重さを、その心の中で静かに計っていたのだろう。


 部屋に入り、ドアが閉められた瞬間、そこはもう、世界から完全に切り離された、俺たち二人だけの空間となった。どちらからともなく、俺たちは互いを求め、唇を重ねた。そして、確かめ合うように、もつれるように、互いの服を一枚、また一枚と剥がしていく。

 やがて、月明かりだけが差し込む薄暗い寝室で、俺たちは初めて、互いの全てを晒け出した、ありのままの姿で向き合った。

 先生の裸体は、俺が想像していたよりもずっと華奢で、そして神々しいほどに美しかった。緊張と期待に上気した肌、シーツを固く握りしめるその白い指。その全てが、彼女が、これが初めての経験なのだということを、雄弁に物語っていた。

 「……健太君。私、怖くないわ。あなたが、初めての人で、よかった」

 震える声でそう告げた彼女の言葉は、俺の心に、熱い楔となって打ち込まれた。俺は、この人を、この人の全てを、全身全霊で受け止めなければならない。俺のこの想いが、単なる欲望ではなかったことを、この身体で、彼女に証明しなければならないのだと。


 俺は、ゆっくりと彼女の上に身体を重ねた。俺の硬く熱い欲望が、彼女の未知の聖域の入り口に触れる。彼女の身体が、びくりと小さく震えた。俺は、彼女を傷つけないよう、最大限の注意を払いながら、ゆっくりと、しかし確実に、その身体の奥深くへと進んでいく。

 その瞬間、彼女の唇から、痛みと驚きが混じった、か細い悲鳴が漏れた。確かな抵抗感と、生々しい熱。俺は、自分が今、彼女の処女性という、二度と元には戻らない、あまりに尊いものを奪っているのだという事実を、まざまざと突きつけられた。勝利感と、彼女を傷つけてしまったことへの罪悪感、そして、彼女の初めての男になれたという、どうしようもないほどの愛おしさ。その全てが、俺の中で渦を巻く。

 やがて、痛みが快感へと変わっていくのを、俺は彼女の吐息の変化で感じ取った。俺たちは、ただひたすらに、互いの名前を呼び合い、互いの身体を求め合った。それは、情熱的でありながら、どこか不器用で、そしてどこまでも真剣な、俺たちの初めての結合だった。


 全てを終え、汗ばんだ肌を寄せ合ったまま、俺たちはシーツの中で寄り添っていた。部屋には、俺たちの汗と、肌が発する甘い匂いが、濃密に満ちている。

 満足感と、言いようのない切なさ、そして、もはや誰にも引き裂くことのできない、共犯者としての強い連帯感。その全てが、俺たち二人を優しく、そして抗いがたく包み込んでいた。

 俺たちは、もう、ただの教師と生徒ではいられない。この夜、俺たちは、その境界線を、完全に、そして決定的に越えてしまったのだ。

 この夜の出来事が、俺たちの未来を、そして俺たちの運命を、良くも悪くも、大きく変えていくことになる。その、途方もない予感を胸に、俺は、腕の中で安らかな寝息を立て始めた彼女の髪を、そっと撫でた。

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