第3話:お母さん
「おはようございます。2025年11月19日水曜日。最新のニュースをお届けします」
「昨晩、政府は緊急会見を開き、日本で初めて突発性異種化症候群の発症者が確認されたと発表しました」
翌日、ユキは一人病室でテレビを見ていた。どの放送局でも同じ話題のことばかりで少々うんざりしているように伺える。
カズキが昨日言っていた通り、変異発作がいつ起こるかわからない。
それに、いつでも対処できるよう、ユキは学校へは行けず、そのまま入院していた。
(カズキさんは『患者の周囲の人が発症した例はない』って言っていたけれども……)
ユキはテレビを消すと、静かすぎる病室内を見渡す。
(これじゃあ、まるで隔離されてるみたいじゃない)
そんなユキの思いとは裏腹に、彼女は『隔離』されている。事実、ユキが入院している病室は、隔離病棟のものだ。
しかし、ここでいう隔離とは変異発作の発生頻度を減らして重症化させないために、ユキの精神状態を守るためのも。『保護』と言った方が正しいかもしれない。
学校で、全員がこれまで通りにユキに接することができる保障はない。 変異したユキを見て、排除しようとする心理が働いて、いじめてくる輩が現れるかもしれない。
それに、普段通りの生活をして人目に触れれば、無断で写真を撮られてプライバシーを侵害される可能性だってある。
何者かによってユキのことが知られてしまえば、メディアや野次馬が押し掛け、彼女に心理的負担を強いてしまうだろう。
身を守るためにも、ユキは入院せざるを得ないのだ。
「お母さん、大丈夫かなぁ……」
そんな中、ユキは誰もいない病室でボソっと呟いた。
昨日、友人たちが帰った後にカズキから聞いたことを思い出す。
自分が意識を失っていた時、何が起きていたのかという話を。
—————
時は昨日11月18日。ユキが病院に搬送されてからしばらく経った頃に遡る。
「娘はどこですか!?」
城南大学医学部付属病院の受付に、一人の女性の声が響く。
その声の主はユキの母親、高峰ナツのものであった。
『自分の子どもが緊急搬送された』
それを耳にして、我が子のために行動を移さない親などいないだろう。
ナツは一人娘のユキのために、焦る感情を抑えながら来たのだ。
そのためか、見るからに息切れしている。
「お母さん、落ち着いてください。まずはご自身と娘さんのお名前を教えてくださらないと」
担当者はナツの気迫に圧倒されながらも、冷静に対処する。
一通りの手続きを終えた後、主治医がナツをユキの病室へと案内を始めた。
「ナツさん、娘さんの意識はまだ回復していませんが、各種診察・検査によって命に別状はないことがわかっています」
主治医の言葉に、ホッと胸をなでおろすナツ。しかし、彼女はすぐに違和感を抱く。
「『各種診察や検査』? 娘は緊急搬送されたんですよね? 治療や手術が必要なほどの重症ではないんですか?」
主治医はナツの疑問に応じた。
「えぇ、確かに彼女は発作を起こし、意識不明の状態となったため、当院へ搬送されました。ですが、治療や手術が不要だったのは、我々だけでは対処できない症状でして……」
そう話していると、二人はユキのいる病室の前に到着していた。
「症状?いったいなんの症状です?」
「お母さん、落ち着いて聞いてください。娘さんの症状は……」
ナツの問いに対して、主治医は病室のドアを開けながらこう言った。
「突発性異種化症候群です」
「……」
ユキの姿がナツの目に映る。ベッドで寝ている娘の顔を間近で見た。
顔全体が獣のような毛に覆われている上に、鼻は黒く変色し、耳は少し形が変わっている。でも、娘の面影はしっかりとある。
ナツは言葉を失った。
(これが本当に私の娘なの?)
衝撃を隠せないのか、視線が泳いでいる。
「あっ、おばさん。来てくださったんですね」
眠っているユキを見守っていたチエが、ナツの姿を見て安堵する。
(……)
しかし、ナツの頭は真っ白になっているためか、チエの声はナツには届いていない。
「あの……おばさん……?」
チエはもう一度声をかける。
その一言で、ナツはチエがいることにようやく気がついた
「あら、チエちゃん。一緒にいてくれたのね。ありがとう」
頭の中が切羽詰まった状況の最中、ナツは遅れてチエにお礼を言った。
「マリンちゃんも一緒です。今はお手洗いに行っちゃってますけど」
「わかったわ。あの子にも後でお礼を言っておかないとね」
ナツはチエとの会話を終えると、視線をすぐに主治医へと向けなおす。
「それにしても先生。この子は本当に私の娘なんですか?」
この発言にチエは衝撃を受けた。
主治医は動揺せずに、淡々と答える。
「えぇそうです。ここで寝ている方こそが、あなたの娘さんです。突発性異種化症候群によって、動物……専門家の見解ではユキヒョウに変異している途中とのことです」
「ユキヒョウ? バカにしないでください。私の娘はそんな動物なんかじゃありません!」
ナツは少しずつやり場のない怒りをあらわにしていく。
そんな時だった。
「まあまあお母様、そうおっしゃらずに」
そう言いながら一人の男がナツの肩に手を置く。
「だ、誰なのよあなた!」
そう言いながら、手を振り払うナツ。
振り返るとそこには、初老の男が立っていた。
「
「いやはや申し遅れました。そちらの主治医の先生が仰っていた専門家の山田ユウジです」
講演会を行っていたあの“教授”である。
「お母様、お気持ちはわかりますが、今の状態で娘さんとお話するのは非常に危険です」
「なによ!? いったい私の何が悪いっていうの!?」
「まあまあまあまあ! 私と先生から娘さんに対して大事なお話がありますんで、別室へ移動しましょ! 入院手続きのこともありますし!!」
「入院!? いったいなんのことを——」
「それじゃあ先生、お母様をミーティングルームへとお連れしておきますヨ!」
そう言って、山田教授はナツに病室を出るように促した。
「いや、ちょっと待っ——」
「チエさーん、代わりに私の教え子が来ると思うから、あとはよろしくネー!!」
抵抗するナツの発言をかき消すように、山田教授がチエに向けてそう言うと、そのままナツを連れて病室を出て行ってしまった。
———
その光景に、チエは開いた口が塞がらない。
「よろしくって言われても……どうすればいいんだろう……」
困惑するチエに、主治医が声をかける。
「教授が仰っていた通り、私もナツさんに説明をしないといけないので、この場を離れないといけません」
「え?」
その言葉にチエはさらに困惑するが、それを鎮めるように主治医は話を続ける。
「幸いユキさんの容体は安定しています。もう少しすれば目を覚ますことでしょう。もうじき、もう一人の専門家である教授の教え子が、ここにやってきますので、彼から話を聞いてください」
主治医がそう言うと、チエはハッとした。
(教授の教え子って、学校でユキを助けてくれて、救急車内で事情を説明してくれたあの人だ! それなら信用できるかもしれない)
チエはそう思うと、次第に安心感が湧きだす。混乱する心を少し落ち着かせることができた。
「本来ならば、ユキさんが目覚めた後に、お母様と一緒にこの場で説明したかったのですが、今は状況が状況です。彼に……カズキさんによろしくお伝えください」
主治医はチエにそう告げると、教授の後を追って病室を出て行った。
それと入れ替わるように、マリンがお手洗いから戻ってきた。
「いやー参った参った。急にお腹が痛くなっちゃってさあ」
緊張感の無い発言に呆れるチエ。
「あれ? そういえばユッキーのママは? まだ来てないの? それに、教授と先生はどこに??」
「あっ、それについてなんだけどね……」
マリンに事情を話したチエはそのままカズキが病室へ戻ってくるのを待った。
ユキが無事に目覚めるのを、マリンと一緒に願いながら。
———
「今の私がユキと会うと危ないって、どういうことですか!?」
「あぁもう、そうカッカしてないでぇ! 落ち着いて聞いてくださいな!」
隔離病棟のミーティングルームにて、ナツと山田教授が口論を繰り広げていた。
そこに、主治医が合流する。
「お母様、それには我々にもどうすることができない深い事情があるんです。そうですよね?」
合流して早々、主治医は咄嗟に山田教授にフォローを入れる。
「先生もそう仰るのなら、一応聞かせていただきます」
ナツは不満を漏らしつつも、席について話を聞く姿勢になる。
そこを見計らって、教授は話を始めた。
「実は、突発性異種化症候群は、患者の精神状態の悪化。即ち、強いストレスを感じると病状が急速に進展するんです」
教授の話に続くように、主治医も口を開く。
「そのため、気が動転されているお母様の姿を娘さんが見たら、強いストレスを感じ、短期間で動物に完全変異してしまう可能性があります。」
その説明に、強いショックを受けるナツ。
確かに、ナツはベッドで寝ていた娘の顔を見て、その現実を受け入れようとはしなかった。
だが、ナツは反論する。
「ど、どうして気が動転している私が、ユキに強いストレスを与えると言えるんですか?」
「あなた、心の中で彼女を否定したでしょ」
教授の的を射た発言に、ナツは動揺した。
「いやぁ、たくさんの患者とそのご家族を見てきたから、わかっちゃうんですよネ。間違ってたら申し訳ないんですけど——」
教授は一呼吸置くと、急に険しい表情になり、声を低くしてこう言った。
「もしかして、図星ですかい?」
(なんなのよ、この人!?)
ナツは教授の憶測とは思えない発言に恐怖で震え上がった。
そして、ナツは逆上する気持ちを抑えながら口を開く。
「えぇ、確かに『この子が本当に私の娘なの?』って思いましたとも」
「お母様、その感情がユキさんに悪影響を与えてしまうんです」
ナツの発言に対し、主治医は咄嗟に資料を見せながら説明を始める。
「こちらは、各国で発生した突発性異種化症候群患者の中で、完全に動物に変異するまでの期間が短くなってしまった人々の原因をまとめたものです」
その資料にはわかりやすいように大きく描かれた円グラフがあった。
「こちら、赤い部分が過半数を超えてますよね」
「は、はい……」
「これは『家族や親しい人に否定された』という患者の割合です」
「えっ……」
主治医の言葉に、ナツは言葉を詰まらせる。
「今のあなたは、娘さんを否定してしまっている。これが娘さんに伝わってしまうと、彼女は急速に人間性を失い、瞬く間に動物へと変異……いや、変化してしまうことが、過去の症例から予測できます」
「ということでナツさん、あなたの心の整理がつくまでは、娘さんに合わせるわけにはいかないのですよ」
主治医が説明を終えると、教授はナツを別室へ連れてきた理由を明かす。
その瞬間、行き場のない怒りを持っていたナツの心は、一気に消沈した。
(私はいったいどうすればいいの?)
そう頭を抱えるナツに、教授は語りかける。
「ナツさん、まずはあなたの娘さん……ユキさんの状況を受け入れることです。あなたが今できることはそれしかありません」
そして、主治医も後に続く。
「なので、本日は突発性異種化症候群と我々についての説明。そして入院手続きをしてもらって、一旦お帰りいただくことになります。本当に申し訳ございません」
こうして、教授と主治医はナツに様々なことを説明した。カズキがユキ達に話したことと同じように。
その中で、ナツはユキに研究の協力を要請する件については「娘の意思を尊重する」と伝えた。
一連の説明を終え、ユキの入院手続きを済ませると、ナツはおぼつかない足取りで病院を後にする。
そしてナツはこう思った。
(どうして私の娘がこんな目に)と。
—————
そして時は現在に戻る。
「無理もないよ。たった一人で育てた娘がこうなったんだから」
ユキは母のことを思いながら、独り言を続けていた。
もちろん、ナツがユキを否定していたことを含め、全ては伝えられていない。ユキは自分よりも母のことを心配していた。
ユキの父は、彼女が幼い頃に病気で亡くなった。それからというもの、父方の親戚とは縁が切れ、母方の祖父母も早くに亡くなっていたことから、ナツは女手一つでユキを育ててきた。
そして、ユキを大学へ通わせるお金を工面するために、今でも必死に働いている。それ故に、精神的ショックが大きかったのだろう。
母について物思いにふけていると、扉のノック音が鳴り響く。
「どうぞー」
ユキが返事をすると、カズキが女の人を連れて入ってきた。
「こんにちは。あなたがユキさんですね!」
元気よく挨拶をする女性に、ユキは「初めまして」と言わんばかりに会釈する。
「紹介するよ。彼女は
「よろしくね、ユキさん」
カズキの紹介に続くように、優しい笑みを浮かべながらソラネはそう言った。
「サポートってことは、助手とか秘書みたいな感じなのでしょうか?」
ユキが不思議に思うと、ソラネはその疑問に答える。
「そうですね……肩書は『飼育事務』なんですけど、研究チームとしての活動もしてるので、その通りだと言えるような、少し違うような……」
ソラネは戸惑いつつもこう結論づける。
「まあ、好きなように捉えていただければ!」
「は、はい!わかりました!」
「明るい人だなぁ」という感想を抱きつつも、ユキは承諾した。
「それにしても園長……」
「んー? どした? シエル?」
ソラネの言葉に、荷物を整理しながら返すカズキ。
「え? し、シエル?」
カズキがソラネを全く違う名で呼んだことにユキは困惑した。
そんなユキを他所に、ソラネはもう一度口を開いた。
「この子、とーってもかわいいじゃないですか!!」
「ふぇ!?」
変わってしまった容姿を突然『かわいい』と褒められたユキは、ボッと顔を真っ赤に染めてさらに困惑した。
その顔は毛で覆われているので周りからはわからないが。
「今朝、報告書見た時は『あっ、この子かわいい』って思ってたんですけどね。変異した姿もかわいいじゃないですかぁ」
「シエル、それはせめて本人の前じゃない所で——」
「このユキヒョウっぽい顔と、長すぎず短すぎない、つやつやした良質な髪の毛がベストマッチだと思いません!? 園長!?」
「それはわかる」
少々興奮しながら、早口で喋るソラネ。
静止しかけるもニッコニコの笑顔で親指を立てるカズキ。
「はわわ……」と顔を手で覆い隠すユキ。
そんな状況下で、ユキは少しだけチラっと外を覗く。
そこには「なんだこの状況」といった顔で病室を入口から呆然と眺めているマリンとチエがいた。
「え!?二人ともいたの!?」
ユキはさらに困惑を深めてしまう。
「なにがどうなってるかわからないけど、変わる前も後もユッキーはかわいいぜ!」
そう言いながら、マリンはグッと親指を立てる。
「言い出せなかったんだけど、私も同意見……」
チエは目を逸らしながら、弱弱しくそう言った。
「ちょ、マリンもチエもそれ言うの~!!」
ここまで容姿を褒められたことがなかったユキは、恥ずかしさと同時に、どこか嬉しさを感じていた。
「あら、あなたたちもそう思うのね! これはガールズトーク待ったなし!」
「おいおいシエル、そろそろ本題に入るぞ」
「あっ、すみません園長」
カズキとソラネがそんなやりとりをしている最中……
(お母さんにも言ってもらいたいなぁ。「この姿もかわいい」って)
こんな状況下でも、ユキは心の中でただ一人の母親——
―—ナツのことを思っていた。
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