シーン23 ロミアス
エイド軍は丘を制圧した。
ロミアスが丘に乗り込むと、ザラメルギス軍は淡々と撤退した。
兵力による大きな差があるのだから当然といえば当然。
あまりにも抵抗が弱いために策があるのかと身構えたものの終わってみれば順当に占拠は叶った。被害も軽微。大成功と言っていい。
追撃の命令は出さなかった。
まだグラニ率いる蹄鉄隊が後方にいる可能性があったからだ。
もしも、余力のあるグラニがエイド軍へと突撃し、同時に逃げた敵が反転すれば、今度はエイド軍が挟み撃ちになる。まだ逆転の目が残されているわけだ。
いかにロミアスといえどもここは手堅い手を選んだ。
丘の上からザラメルギス軍が消えた方向を眺める。あちらも森が広がっている。さほど距離は離れていないはずだが、どこに敵がいるかは見えなかった。
現状確認を終えた兵長が報告にやってくる。
「遠距離魔術部隊は魔力を使い果たしております。敵に防御魔術の使い手がいることを考えれば、飽和攻撃でなければ効果は薄いでしょう。であれば、数日休ませる必要がありますね。ここは麓より魔素が希薄です」
「本隊の決戦には間に合うな?」
「おそらくは」
陣地内に罠があるわけでもなく、設備や物資も残されている。焼かれた分の食料には満たないが、これだけあれば一週間は持つとの見立てだった。
「いい結果だ。最高と言っていいだろう」
だが、そこにロミアスは気味の悪さを感じる。流れはつかんでいるのに次の瞬間には負けてしまいそうな予感。賭場で大負けする直前に感じるいつもの寒気。誰かの仕掛けたイカサマに乗せられているような気さえする。
何か見落としているのではないか。
自問自答を繰り返すが答えは見つからない。
「あの騎士、グラニはどうした?」
「森の部隊を引っ掻き回した後、撤退の笛を聞いて引いていきました」
「本当に撤退したのか? どこかに潜んでいることはないか? ケンタウルスといえば森に住む獣人だ。初めての土地といえども何かあるかもしれん」
「あり得ませんよ」
兵長が苦笑する。
「丘を迂回するように蹄の足跡があるのを兵が見つけています。全力で走っていたのでしょう。深く残っていましたよ」
「蹄か? 蹄鉄ではなく?」
「あー、蹄鉄隊というんでしたっけ。蹄鉄を付けた馬の足跡と形は似てましたけど、ケンタウルスの蹄の形なんか知りませんよ。でも、実際に足跡があるわけですから」
ケンタウルスはエイドには馴染みの薄い種族だ。
知らないことも多かった。
「まあいい。もう行っていいぞ」
敬礼して去っていく兵長を見届け、ロミアスはうつむいた。
これ以上は考えてもわからない。もしも、何かあるのであれば、それはロミアスの知らない写本のルールや事象を使ったものかもしれない。情報が足りない状態で頭を捻っても的外れな答えが出るだけだ。
もちろん、何事もないのが一番いい。
これから数日、丘を守り切り、決戦に勝利。晴れてロミアスは英雄のひとりとして首都に凱旋する。素晴らしい未来だ。反吐が出る。
だが、一度エイドを打ち破ったザラメルギスが簡単に諦めるだろうか。
この敗北すら何か裏があるのではないか。
「旦那様、ただいま戻りました」
「カニングか」
ロミアスが顔を上げると陰鬱な仮面をした男が立っていた。彼の黒い服は土と泥ですっかり汚れてしまっている。腹の辺りには血が滲んでいた。
「よほどの激戦だったらしいな」
「ひとりで獣人を二十も相手にすればこうもなります」
「それで、写本はどうした?」
カニングは何も持っていないと手を開いて見せた。
ロミアスの表情が曇る。
「王女が兵士と崖から身を投げましてね。下は川とはいえ、あの高さです。命はないでしょうが、写本の回収は難しいと判断しました」
「殺されるのを嫌ったか、いや、写本を渡すまいとしたのか」
少しの時間、ロミアスは顎に手を添えて考えていた。
彼にはファルナの行動が何か意味のあるものに思えてならなかった。
「時間は?」
「時間、ですか?」
「そのとき、日は出ていたか?」
「出ていましたけど、それが何か?」
「ということは、王女には記述の更新された写本を見る時間があった。写本によって崖から落ちても助かると知っていた」
「まさか。しかし、あの写本は……」
カニングは何かを言いかけたが、ロミアスの顔を見て黙った。
「わかっている。どうせ今は他にやることもない。悔いを残さないよう全部やって、後は天が運命を決めるだろう。俺も兵を率いて出る。お前は先に行って王女を見つけ次第知らせろ」
「……承りましょう」
カニングが立ち去る。今日こそ最後まで見届けてやろうとロミアスは目を凝らしたが、いつの間にかカニングは視界から消えていた。
踵を返し、兵たちの方へと向かう。
彼はザラメルギスの王女について考えていた。面白い女だと思った。
もし写本で見たなら、元々王女は崖から飛び降りるつもりだったということだ。助かるかどうかもわからないのに一縷の望みにすがって賭けに出る。それが写本に生き残る未来として書かれるならどんなに血を沸き立たせることか。
自分なら心躍る状況も他人はそうではないとロミアスは自覚している。
一筋の幸運を手繰り寄せるような賭けを人は好まない。
もしかすると、彼女はただのお姫様ではないのかもしれない。彼女がすべての絵図を描き、エイド軍に何か仕掛けているのではないか。
出会えば、いや、戦えばこの違和感も晴れる気がした。
「さあ、もう一勝負と行こうじゃないか」
口元には獰猛な笑みが浮かび上がっていた。
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