シーン11 オディル

 野営地は数日で作ったとは思えないほど文化的だった。

 のっぺりとした壁の小屋が等間隔で立ち並んでいる。

 いくつか大きな建物もあってこちらは兵士用ではなく、物資を置く場所かと思われた。そこだけ見張りがついていたからだ。

 これらの建築物は原理的には丘の上の防壁と同じで、土魔術をベースに改良を加えたものだろう。だが、エイドのそれはザラメルギスとは比較にならないくらい洗練されている。元からここに集落があったと言われても信じてしまいそうだ。

「思ったより多そうね」

 流石にミラの声にも余裕はなかった。

 小屋ひとつを四人で使っていると仮定すれば、赤錆の丘を守る兵力の倍は軽くある。もっと詰め込めば、三倍四倍だってあり得るだろう。木や布ではなく、土でできているため火を使うのも難しい。攻めれば嫌がらせにはなるが、どれだけの被害が出るか。

 おそらく、エイドは本隊とは別に援軍を呼び寄せていたのではないだろうか。戦力を集めて丘を奪い、本隊同士の決戦に勝利するつもりなのだ。

 ふと、空を見上げると星が見えない。

 さっきまであった月がどこにもなかった。

 これも魔術か。付近一帯に布を被せるような魔術を展開して光が漏れないようにしていたわけだ。そうでなければもっと早くこの場所に気づけた。

「どうしますか?」

「一度、ウルガルのところに戻って指示を仰ぐわ。オディルはここで大人しく敵を見張っていなさい。絶対に見つかったらダメよ」

「気を付けます」

 後姿を見送る。ミラは音もなく、姿を消した。

 僕は泥をかぶって地面に伏せた。ちょうど最近の雨で柔らかくなっていた場所があったのは良かったのだが、時間と共に水気が服に染み込んで体温を奪う。

 その後は言われた通りに野営地を見張る。夜だけあって動きがない。見張りがあくびをしたり、松明に燃料を補充しているくらいだ。ザラメルギスの陣地に比べると敵が襲ってこないと思っているせいか、見張りに緊張感がない。

 『予兆』は刻一刻と近づいている。

 すぐではないが、遠くでもない。もしかすると夜襲を行うときに返り討ちに合うんじゃなかろうか。だったら、また命令に逆らわないといけなくなる。これ以上ウルガルとの関係悪化は避けたいけれど、命には変えられない。

 文字が読めればもっといい回避方法も見つかるのだろうけど、『死』の他に読めるのは『首』の文字だけ。一応、サリートに貰ったメモを確認しても他は載っていない。

 死因に『首』が関わるなら、斬られるか、折られるか……。

 これ以上はあまり想像したくなかった。できれば直前に回避するのではなく原因そのものを遠ざけるようにしたい。そのためにはどうするべきか。

 いろいろ考えていると、ミラがウルガルを連れて戻ってきた。どうやら脱落なしで小隊全員がたどりつけたようだ。

「動きはあったか?」

「いえ。見張りが交代したくらいですね」

「そうか」

 ウルガルは眉間に皺を寄せ、野営地をにらんだ。

「この規模だ。敵将の首を取るつもりだったが、あきらめるしかねえな。だが、手ぶらで帰るわけにもいかねえ。食糧庫に火を放ち、混乱に乗じて撤退する」

 そう言ってウルガルは隊をふたつに分けた。

 ひとつは作戦を実際に行う実行班で、これはウルガルが率いる。たった四人だが、小隊の中でも特に優れた者を集めた。

 もうひとつは待機班。ここで味方を待ち、作戦が成功すれば実行班の撤退を援護し、失敗すればウルガルたちを置いて情報だけ持ち帰る。

 僕が割り当てられたのは言うまでもなく待機班。ミラも一緒だった。

「行くぞ。家を建てるのにも魔術なしじゃできなくなったもやしどもに本物の力ってやつを叩き込んでやれ」

 低く勇ましい掛け声とともにウルガルたちが動き出す。

 僕たちはそれを木陰から見守るだけだ。

 ウルガルは確かに強い戦士だが、隠密行動となると話は変わる。本物の熊の血が流れているかのような巨体は膂力はあっても動きは素早くは見えない。普段はのっそりという擬音が似合うほどで、戦闘のときも力任せに大剣を叩きつけるような戦い方をする。

 いくら精鋭と言えど向き不向きがあるのではないか。

 しかし、そんな予想を覆して実行班はいとも容易く野営地に侵入した。

 滑るようにして走り、どうしても見つかりそうな場面では一瞬にして見張りを昏倒させた。野営地の中でも一番大きな建物に近づくとそこを守る兵士も声を出す暇さえ与えずに喉笛を爪で引き裂く。お互いに剣を抜くことすらない。

 感嘆でため息が漏れるほど鮮やかだった。

 ウルガルは中を覗くとすぐに次の建物に移動する。どうやら食料庫ではなかったようだ。しかし、次の建物では当たりを引いたようで、煙が上り始める。

 隣にいる若い獣人は斧の柄を指が白くなるほど強く握りしめている。ミラも石像のように微動だにしない。しかし、その目はウルガルだけでなく、野営地全体をくまなく見渡し、いつでも行動に移れるようにわずかに全身に力をいきわたらせている。

 成功を目前にしても油断はない。

 そこに鍋を叩いたような大きな金属音が鳴った。

「敵襲だ! 起きろ!」

 にわかに野営地が騒がしくなる。杖を持った魔術士たちが次々に小屋から現れた。前回の襲撃で見た重装兵もいる。寝るときも鎧を着たままなのか。彼らは煙の上がる食料庫を見てすぐに侵入した敵を探せと号令をかけ、灯りを手にして走り回った。一部は火の消化に回る。奇襲にあったとは思えない統制の取れた動きだった。

 しかし、もう遅い。

 ウルガルはすでに野営地を後にしている。

 もし敵が報復を望むなら獣人たちの乱れた足跡を追うしかない。

「成功だ! 帰るぞ、てめえら!」

 もと来た道を走って戻る。

 この暗闇でも迷うことがないのは行きにミラの撒いた種の匂いをたどっているからだ。

 獣人たちは余力を残して走っているように見えるが、僕にとってはついていくだけで必死だった。後ろから来た実行班にも抜かれそうになる。

 そして、この間にも『予兆』は近づいている。

 息はすっかり上がっていて、頭もろくに回らない。もう余計なことを考えることは放棄した。おそらく、『予兆』の正体は追手だ。それも今までどんな行動を取っても『予兆』が変わらなかったことを考えるとかなりの手練れだ。今更、僕が多少の抵抗をしたところで『予兆』は覆らない。覚悟を決めるしかなかった。

 すっかり野営地の灯りが見えなくなった頃、早歩き程度の速度での移動になる。僕はできるだけ自然にウルガルの近くへと移動した。

「……臭うな」

 誰かがつぶやいた。

 血のように鮮烈な赤色が頭いっぱいに広がる。

 前方に身を投げ出して転がった。

 頭上に風切り音が鳴る。

「敵だ!」

 僕が叫ぶとすぐ前を進んでいたウルガルが反転した。

 鋭い爪が襲撃者の手にした刃物とかち合った。

 火花。

 無表情の白い仮面とその瞳に嵌められたガラスに似た結晶がきらめいた。

 仮面と手袋の血の跡を除けば全身が影のように黒い。敵は背の高い痩せた男だった。手にした細長い剣は煙が形を持ったように不確かで濁った色をしている。

 その雰囲気は人より魔獣に近い。

 ウルガルはその怪力で男を弾き飛ばす。

「てめえが斥候を潰してたんだな」

 低い唸り声。

「黙っていても空気でわかる。相当やれるが裏の人間だろ? 気配の消し方、やり口、技。全部が気に入らねえ。てめえは戦場にいちゃいけねえ奴だ。どうせその剣にも毒が塗ってある。どうだ? 違うか? 答えてみろよ」

「薄汚いのはお互い様でしょうよ」

 すでに仮面の男は獣人たちによって囲まれていた。

 逃げ場はなく、味方も見えない。この危機を前にしても男は動じなかった。

「硝煙の臭い……火を使ったご様子。夜は我らの領分です。貴方が何をしていたかなど手に取るようにわかる。同じ外道ではないですか」

「俺たちは戦士だ! てめえとは違う!」

「寝込みを襲うのが戦士とは知りませんでしたねえ」

 獣人の怒りが夜を震わせる。

 抜き放った剣が月の光を切り裂いて男へと迫る。夜襲任務のため、いつもの大剣ではない。それでも受け止めればそのまま轢き倒すだけの力が込められた一撃だった。

 男は剣を体のように操って攻撃を受け流す。

 幾重もの斬撃をすり抜け、ウルガルの懐に潜り込んだ。

 ウルガルは剣を片手に持って爪によって反撃しようと試みる。

 だが、仮面の男が放ったのは剣による攻撃ではなく、魔術の光だった。

 夜を昼に変えるようなまばゆさに遠くで見た僕の眼すら眩んだ。数秒間何も見えなくなり、世界から切り離されたようだった。近くにいたウルガルの被害はその比ではないだろう。

 視力が戻ったときにはもう男の姿はどこにもなかった。

 だが、別の、もっと慌ただしい足音が聞こえる。

「いたぞ! あっちだ!」

 エイド軍だ。

 先程の魔術で気づかれたらしい。

 静かだった森の中はずいぶんと賑やかになっていた。この暗闇の中では敵の数を特定するのは難しい。獣人でも無理だ。臭いも音も多すぎる。

 ウルガルは戦うべきか少し迷っていたが魔術の兆候を察知するとすぐさま叫ぶ。

「散れ!」

 先頭に立っていた貴族らしき魔術士が手を振り下ろすと投射された魔術の炎が雨のごとく降り注ぐ。クグズット軍が全滅したのを思い出す光景だった。

 幸い、『予兆』はまだ少しだけ遠い。

 体を起こそうとすると頭を地面に押し付けられた。

「起き上がらないで!」

 ミラが転がったまま僕の前にしゃがみ、魔術を行使した。

 地面が揺れ、肌に炎の熱を感じる。十秒ほど衝撃は続いただろうか。

 魔術が収まったときには僕は浅い穴の中にいた。頭上にあった土の防壁がぼろぼろに砕けて散る。ミラが地面の土を使って壁と穴を同時に錬成したのだと気づいた。

「陣地までの道はわかるかしら?」

 頷く。

「オディルは先に戻りなさい」

「ですが……」

「もうあなたの仕事は終わってるの。あとは私たちのこと。ウルガルは不完全燃焼だったもの。このまま引き下がるわけないわ。そうなるとあなた、邪魔よ?」

「む。確かに」

 ミラの獰猛な笑みを見ると彼女もまた獣人なのだと実感する。

 戦闘力を見る機会はなかったが、自信満々のミラが弱いとはまったく思えなかった。

「先に報告を済ませてお待ちしています」

「暗いから気をつけて帰るのよ」

 戦いの音が聞こえ始める。

 それを背に僕は丘の上へと急いだ。

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