シーン7 オディル
「オディル君、これ食糧庫に持って行って」
「はい!」
兵站部隊のおじさんに貰った箱を受け取る。
中はまた芋だろう。重いし、土の匂いがするし、いつものことだから間違いない。ザラメルギスで主食といえば芋。クグズットでもごろっとしたのがよく採れた。
額から頬をつたって汗が流れ落ちるのを感じながら、食糧庫へ向かう。
エイド軍が赤錆の丘に攻めてきたのを撃退してから五日が経っていた。
僕は命令違反の罰として様々な雑用を行っている。今日は荷運びだが、昨日は野草採りで一昨日は水汲み、その前は便所の整備だったりした。その雑用も今日で終わり。また僕はウルガル隊に復帰し、兵士として戦うことになる。
おじさんのところに戻ると、先程の箱で荷物は最後だと言われる。
「そっちの様子はどうだい? 敵が攻めてきたって聞いたけど」
「追い返しましたよ。快勝です」
「それにしては浮ついた空気がない。流石、第二戦団から精鋭を引っ張ってきただけはあるね。それに蹄鉄隊もいる。守りは万全というわけだ」
第二戦団というのはザラメルギスの元帥が率いている軍で、それと第三戦団を合わせて本隊とする。丘の僕たちは別動隊であり、公式には臨時防衛中隊というらしい。
現在、本隊は川を挟んでエイド軍と睨み合っているはずだ。雨で川が増水しているせいでどちらからも攻められない状況になっている。ここ数日、雨が多かったし、まだ膠着状態は続くかもしれない。
こうなるとまた赤錆の丘にエイド軍が攻めてきてもおかしくない。
陣地に緩んだ様子がないのも皆がそれを察しているからだ。
「ファルナ様の魔術もありますしね」
「ファルナ様か。あの方も大変な立場だ。本来であればもっと華々しい場所にいるべき御方なのだが、政治的に難しい」
「……どういうことですか?」
「寡黙な女騎士がいただろう。彼女はザナというのだが、まあ今はそれはいい。問題は彼女の前の近衛騎士だ。その騎士はヌィド王に叛意を持っていたんだ。同じく叛意を持つ者たちと結託し、反乱を企てた。他の王族を排し、幼いファルナ様を神輿にするつもりだったんだろう。だが、彼らの目論見は見破られた。近衛騎士は貴族共々ヌィド王自らの手によって処された。この件のせいで未だにファルナ様に対する風当たりも強いんだ」
「味方と思っていた人が敵だったのですか。それは……」
「痛ましいことだろう? 一時期はそれが原因で人間不信に陥り塞ぎこんでいたとも聞く。こちらでファルナ様は上手くやれているかな?」
ファルナの様子を思い出す。
彼女の身にそんな不幸があったとは想像もできないくらいにはまともだった。献身的で慈悲に満ちていて、他人の痛みに悲しみ、救われた人と笑っていた。
作り物かと思うくらいに完璧な王女様だった。
「そうですね。僕が見た限りは」
「なら、良かったよ。君の方はどうだい?」
「えっと、僕ですか?」
「ここじゃ熟練兵ばかりでオディル君のような新兵は珍しい。ファルナ様の手前乱暴なことはしないと思うけど、結構やりにくいんじゃないのかい?」
「そうでもないですよ」
「何が『そうでもない』だ。命令違反した癖に」
振り返ると苦笑するサリートがいた。
僕に水筒を向ける。ありがたく頂き、喉を潤す。
「見た目の割に意外と肝が据わっているんだね。余計な心配だったか」
「こいつは見た目だけ笑ってしおらしくしとけばなんとかなると思ってるんだ。ずぶとくてしたたかな癖に、いや、ずぶとくてしたたかだからか?」
「そんなことないです。反省してます」
「でも、また同じことがあればやるだろ」
「次はもっとうまくやります」
「な?」
「確かにその通りらしい」
おじさんも面白そうに笑う。
「上手くやりたいならもっと頭を使うんだな。あんな風に言ったら誰だって信じない。嘘をつくならもっともらしくやるべきだ」
「サリートは暇なのですか? ジョークを言うためにここに来たんですか?」
「オディルに用事があって来たんだ。これで雑用も終わりと聞いてな。俺の仮説の実証に付き合って欲しい。礼は冷たい水だ」
「報酬の先渡しなら言って欲しかったんですけど」
「まあまあ気にすんな。あんたにも役に立つことだから」
「ということらしいので、失礼します」
「ああ。お互い頑張ろう」
おじさんと別れ、サリートは僕を人気のない木陰に連れてきた。特に何かがあるわけでもないし、他に誰かがいる様子もない。何をするのだろうと思っているとサリートは周りに誰もいないのを確認してしゃがみ、僕にも同じことを要求した。
「一体なんですか」
「オディル、俺が死にかけてた時『予兆』の話をしただろ」
「あれですか。あんな与太話よく覚えてましたね」
「まあな。俺はあれを作り話か何かだと思ってたんだが、この前の命令違反で考えを変えてな。獣人より耳も目も良くない純人のあんただけが敵の存在を察するのは明らかにおかしい。もちろん俺だってわからなかった。これに上手いこと理由をつけようとしたんだが、どうにも難しくてな。やっぱり『予兆』が本物で追撃をかけていれば何か危険があったと考えるのが一番筋が通ってる。どうだ、違うか?」
「……だったら、どうなんです?」
「解明する」
間近に見たサリートの眼は子供のような好奇心に満ち溢れていた。
魔術士という人種には変わったところがあると聞いていたけど本当らしい。
「赤い点滅と言ったな。どんな風に見える? 近づくとよりはっきり見えるんだよな。形は? 大きさは? 今も見えているのか?」
「見えてます。けど、結構遠いですね」
「遠い? どれくらいの距離、いや、時間か? いつくらいにそれはやってきそうなんだ? この前も翌日にエイド軍が来るのを言い当てたよな?」
勢いがすごい。
こうもまくし立てられると、困る。
「ああ、もう。一辺に聞かないで下さい。僕はエイド軍が来るのがわかったわけではなく、『予兆』の点滅の強さから時間を予想して、そのときに一番危険な状況を考えただけです。決して、未来を知っていたわけじゃありません」
「そうか。で、点滅はどんな風に見えるんだ?」
ぼんやりと見える『予兆』を落ちていた木の棒で地面に写していく。
まだ小さくしか見えないから、細かくはわからない。しかし、こんな意味のわからない記号のようなものを見たってどうしようもないと思う。
「こんな感じです」
サリートは地面に描かれたのたくったミミズを目を真剣な表情で見ている。かと思えば、ひとりで何かぶつぶつとつぶやき出した。
「これは数字。こっちは『剣』か? 形が潰れていてわからん。崩し字だったりしないよな。もっと鮮明に見えれば、あるいは……だが、全体から意味を推察すれば……」
「何かわかりましたか?」
「多分な。これはクルスミア語だ」
クルスミア。
僕たちが今いるこの場所だ。そこにいるのだから、クルスミアの名前を聞くことは多いのだが、今回もそれが出てきたのは少し異質に感じる。運命に導かれる、といえば大袈裟かもしれない。でも、偶然とも思えない。そんな予感がある。
「この文字をもっと詳しく見れるか?」
サリートがミミズの後ろの方を指す。
「やってみます」
線の多い文字なので僕の脳内で見ても潰れて見えるのだが、それでもできる限り正確にその文字を写した。サリートが三度やり直しを要求し、僕は従う。もう『予兆』が何を示しているのか、薄々わかりつつあった。
「『死』」
ぽつり、とサリートが言った。
「この文字は『死』を意味している」
「ああ、なるほど」
なんとなく危険を告げていると思っていた『予兆』。
これが文字だった場合、何を意味するか。
死の警告ならばすんなりと理解できる。自然な流れだから。
今思えば、確かに『予兆』が強くなるときには死の危険があった。
胸のつかえが取れたようなすっきりした気分だ。
「それで、繋げて読むとどういう文章になるのですか?」
「……知りたいか?」
僕よりもサリートの方が及び腰だ。
解明が近づいて好奇心よりも気味悪さが勝ったか、あるいは僕を気遣っているのか。
僕は迷わず頷いた。
「自分のことですから」
「まだ解読はできていない。俺だって錬金術をかじったときにクルスミアの文献を辞書と突き合わせて読んでたくらいの知識しかないんだ。文法なんかまるでわからん。もう少し正確に文字が読み取れれば単語をそれらしくは繋げられるかもしれんが」
「やりましょう」
「ああ。ここまで来たら最後まで付き合ってやる」
くしゃくしゃと髪を搔きむしってまたサリートは文字に向かう。
サリートがわからない文字を指し、僕が『予兆』を読み取ってより鮮明に書く。それを何度か繰り返し、単語と単語の間を補完。ついにひとつの文章へとたどり着く。
「『278 剣で胸を貫かれ、死す』」
サリートの言葉がすっと体の内側へ入ってくる。
陣地内の雑音はもう耳に入ってこない。
「こんなときでも笑うんだな」
「癖なので」
「はあ。それで、どうするんだ? あんたの話じゃ『予兆』は回避できる。ファルナ様に泣きついて後方に回して貰えば剣で貫かれるなんてこともないと思うが」
「どうもしません」
「何故だ」
「今までと同じです。むしろ、具体的に分かるからより回避しやすくなりました。それに戦場で兵士が剣に貫かれて死ぬなんてよくあることでしょう。『予兆』がなくたって皆それくらい覚悟してここにいますよ。ね?」
サリートは渋そうな顔で首を横に振った。
「いや、生きて帰れるって根拠のない自信があるから戦えるんだ」
「そういう人もいるんですねえ」
砂をかけて文字を消す。
こんな縁起の悪い文章を残しておくのは良くない。
立ち上がると少し眩暈がした。前傾姿勢を維持しすぎたようだ。
「あれ?」
ぐっと目をつぶる。
「どうした、オディル? 立ち眩みか?」
「いえ、その……『予兆』が書き換わっていまして」
「はあ? どういうことだ?」
「赤い点滅が近くなって、文字も変わってしまいました。さっきの『予兆』の危険を回避した、というわけではなさそうなんですよね。さっきよりも近くて、剣で死ぬよりも先にまた死ぬような目に合うみたいです」
「人は二回も死なないが」
予兆を近づける方法がないわけではない。自分から危険な方へと進めば自然と『予兆』は、つまり、死は今に近くなる。能動的にそれが起きることはあったが、現在僕たちがやっていたのはただの『予兆』の解読だ。死を近づけることがあったようには思えない。
「こういうことが前にもあったのか?」
「いえ。自分では何もしていないのに『予兆』が近づくなんてありませんでした。僕にも何がなんだかわかりません」
「ややこしい能力だな……」
ああだこうだと議論を交わす。
最終的にもう一度地面に書いて解読しようとなったが、それはすぐに中止された。こちらに近づく足音があったからだ。僕はすぐに書きかけた文字を消して足音の方角に視線を送った。
足音の主はウルガル小隊の獣人だった。
「お前こんなところにいたのか。小隊長が呼んでいるぞ」
見るからに不機嫌で僕にいい印象を持ってないと顔に書いてある。
僕は釈然としない気持ちを抱えたまま、招集に応じることとなった。
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