シーン3 オディル

 三日後の午前、赤錆の丘。

 丘の防衛陣地の構築は一日とかからず形になっていた。

 というよりもたどり着いたときには作業がすでに終盤に差し掛かっていたのだ。

 魔術によって土の壁や塹壕が作られ、急成長した植物が根を張って耐久力を上げる。僕の知識でわかったものはそんなところで実際にはもっと多くの技術が使われていたと思う。筋力はなく魔術士でもない僕はあまりにも無力だった。

 これをやってのけたのは蹄鉄隊というファルナ王女付きの近衛部隊だ。メンバーの全員が半人半馬のケンタウルスで構成されている。

 彼らは驚くほど優秀だった。

 おかげでウルガル小隊、いや、僕にはやることがない。

 未だに敵襲はない。その間もウルガル小隊の獣人たちは交代で付近の警戒や偵察の任務に出ている。しかし、僕だけは待機を命じられていた。

 僕は今日もひとりで剣を磨いている。

 人によって表現方法は違っていてこれがウルガルの不信の表し方なのだろう。

 領主様のところでは僕を一番前に立たせて敵を見つけたら叫ばせるのが索敵だったからちょうど真逆だ。根っからの戦士で戦いに誇りを感じているウルガルと僕を使い潰していい道具と考えていた領主様の差が表れている。

 何もしないのは楽だが、余計なことを考えてしまう。体を動かしていれば気にならない『予兆』も暇さえあればいつ来るか、どんな危険なのか、回避できるのか。ネガティブでどうしようもないことばかりが頭を巡る。

 やめよう。

 僕は軽く頭を振って天幕を出た。

 素振りでもして気を紛らわそうと思った。

「オディルじゃねえか。あんたもこっちに配置されたのか」

「サリートじゃないですか」

 すっかり回復した若い魔術士の姿があった。

 知り合いで魔術士としても優秀な彼が防衛に加わるのは心強い。

「いやあ、会えて嬉しいね。流石の俺も命の恩人に礼もなしってのは引っかかるからな。改めて礼を言う。あのときは助かった」

「僕はやるべきことをやっただけです」

「それで、オディルは何をしてるんだ? 休憩中にしちゃ随分しけた顔だな」

 サリートが不思議そうに僕を見る。

「獣人の小隊に入ることになったんですが、馴染めなくて。ずっと待機を命じられているんです。きっと足手まといとしか思われてないんですよ」

 魔術が使えず、体格も良くない。剣の腕だって人並だ。同じ年の純人からすれば褒められてもいいかもしれないけど、獣人とは根本的に身体能力に差がある。

 ウルガルが僕を嫌うのもわからないでもなかった。

「クグズット軍では大変なことばかりでしたが、やることはいっぱいありました。今は何をやったらいいかわかりません」

「なら、俺の特命にでも付き合うか?」

「特命、ですか?」

 怪しい響きの言葉に聞き返してしまう。

「ファルナ様に頼まれてな。丘の後方で妙な反応が観測されたから調査するんだ。自然に起こる程度の反応だがエイドの残した罠の可能性もあるからな」

 サリートは自慢げに答えた。

 先の戦闘では敗北したが、自身の魔術や知識に自信があるのだろう。

「ウルガル隊長に許可を貰わないといけませんね」

 僕は魔術が使えない。同行しても大した役には立たない。

 だが、何もできないとしてもここでじっとしているよりはマシだと思った。

 ウルガルは陣地内でケンタウルスの弓兵と話しているところをすぐに見つけることができた。あの真っ黒な巨体はよく目立つ。

 話し終えるまで待って、サリートの手伝いで出かけることを告げる。すると、用件をすべて話す前に「勝手にしろ」と話を打ち切られた。


 道を外れて林の中を進む。

 サリートが言うにはうっすら違和感があるらしいが、魔術的素養のない僕にはさっぱりわからない。しいて言うなら妙に静かに感じるくらいか。獣の気配がないし、虫もあまりいない。そういえば、植物もどこか元気がないようだ。

 魔獣の出た森もこんな風に静かだったが、それとはまた異質。

 どこか一か所がおかしいのではなく、広範囲に渡って影響が見られる。ここら一帯がおかしいのか、あるいは違和感の強い方へと進めば震源地のようなものがあるのか。

 林が途切れた。

 そこに水の湧き出る泉があった。

「一旦休憩しよう」

 サリートが言った。

 休憩とは冗談のようなもので、サリートが調べている間、僕に休んでいろということだ。サリートは杖を構えると目をつぶって呪文をつぶやいている。

 泉をのぞき込むと水の色は澄んでいて底まで見通せるほど綺麗だった。

 しかし、魚がいない。

 足元を見れば虫の死骸が落ちている。

 それくらい変なことではないが妙に気にかかった。

 水に触れてみり。冷たい。だが、異常はない。両手を皿にして水をすくう。まだ大丈夫。飲んでみようと考えて、赤い光が激しく頭の中で暴れ出す。『予兆』だ。

 僕はすくった水を捨てた。

 すぐに『予兆』は遠ざかる。

 やはり、虫は水を飲んで死んだのだろうか。

「賢明な判断だ、少年」

 低いしわがれた声。無視できない凄みがあった。

 振り返ると、そこには白髪のケンタウルスがいた。顔には深い皺と網目状に広がった葉脈のような赤い刺青があった。いや、顔だけじゃない。首や腕だけでなく、下半身の馬の部分の毛の下にまで同じ模様が見える。

 僕はこの人を知っていた。

 グラニ・レグ・カッソー。蹄鉄隊の隊長だ。ファルナの騎士でもある。

「残瘴(ざんしょう)だ。地表は浄化が進んでいるようだが、地下水にはまだ穢れが含まれている。飲めば苦しみ、直に死に至る。気をつけるように」

 突然現れたかと思うとよくわからないことを言う。

 そして、跪いて泉を観察し始めた。

「あの、残瘴とは?」

 小声でサリートに尋ねた。

「強力な魔術を使ったら出る汚染された魔素のことだ。よっぽどの量でなければ問題になるようなことはないし、自然に浄化される。でも、ここは今回の戦闘があった場所じゃない。量だって影響が出るような魔術は……ああ、ここがクルスミアだからか」

 なにやらサリートは納得しているが、僕にはさっぱりだ。

「魔素からもうわからないんですけど」

「生物が生きるのに魔力が必要なのは知ってるな? だから、空気に中にある魔素を吸収している。それが体内で魔力に変わる。残瘴は魔素に近い性質を持つのに吸収すると魔力の生成を阻害する。体調不良で済めばいいが、最悪、魔力を作れなくなって死ぬ」

 もう一度水面を見てもおかしなところは感じられない。

 これが生物を死に至らしめるほどのものとは思えなかった。

「そんな危ないのにみなさん平気で魔術を使ってますよね」

「小規模なら大丈夫だ。エイドもバンバン使ってただろ。あれくらいならいい。でも、もっとでかい大魔術だったり、悪意を込めた呪術なんかだとひどいことになる。で、これが一番やばかったのが二百年前に起きたクルスミア戦争」

「この地方の名前ですね」

「ああ。二百年前からずっと残瘴に汚染されていたって言えばどれだけの魔術が使われたかわかるだろ。最近になってやっと自然浄化されたからこうして普通に過ごしていられる。だから、クルスミアを巡ってエイドと争うことにもなったんだがな」

「二百年経ってもまだ残瘴が残っているのはとんでもないことなんですね。一体、どんな戦いがあったんでしょうか」

「クルスミアは錬金術に優れた国だった。魔力を奪う魔剣に未来を記す本、万病に効く霊薬。そんな魔道具まで作ったって伝説すら残ってるほどだ。しかし、あるときクルスミアの錬金術師が禁じられた技術に手を出していたことがわかった。伝説にまでなった魔道具も口に出すのもおぞましいやり方で作られていたんだ。それを知った国々は手を組んでクルスミアを攻めたわけだ。クルスミアは防衛のためにもっと露骨に禁じられた技術を使い始めた。しかし、錬金術師は失敗した。その失敗が大量の残瘴をもたらした。こうなったら国なんて維持できない。クルスミアの民は各地に散って国は滅ぶしかない。ま、自業自得だな」

 手を出してはいけないものに触れ、それによって身を滅ぼす。

 僕には今の話が寓話のように感じられた。どこか作りものじみている。

「それは勝者の歴史だ」

 グラニだ。

 ただ水面を見ているだけなのにもっと奥深くを見通しているようだった。

「必ずしもその視点から語られたものが正しいとは限らない。敗者に弁明の機会はなく、奪われた過去を取り戻すこともできない」

「えーと、グラニ隊長は詳しいんので?」

「長く生きていれば耳に入ることもある。彼らも必死に抗い、戦った。時代を前に進めようとして古い時代に潰されたのだ」

 嘘をついているようには見えなかった。声にも言葉にも重みがこもっている。一体、この老齢のケンタウルスはどれほどの月日を生きたのだろう。

 サリートは顎に手を当て、グラニを見ている。

 言い返すかと思ったが、反論する様子はなかった。

 グラニは懐の袋から干からびたパンを取り出し、小さくちぎった。鎧の胸あたりを軽く叩く。すると、鎧の隙間から茶色い毛のねずみが顔を出し、パンのかけらにかじりついた。

「あの、そのねずみは?」

「道案内だ」

「はあ? あ、すみません」

「残瘴の場所を聞いた」

「……喋れるのですか? そのねずみが?」

「うむ。自然と近しい種族にはまれに発現する力だ。森と共に生きるケンタウルスは動物とも心を通わせることができる。ねずみは人ほど賢くないが、近づいてはいけない場所は覚えている。故に初めて来る場所ではよく世話になる」

 なんだろう。つかみどころがない。

 すごい能力だし、グラニ自身にも威厳を感じているはずなのだが、微妙にかみ合わない会話と小さなねずみの取り合わせが彼の輪郭を曖昧にしていた。

「ザラメルギスも一歩間違えばクルスミアになり得る」

「ザラメルギスは負けませんよ」

 食い気味にサリートが反論する。

 グラニは足り上がり、僕とサリートを見下ろした。

「敵を甘く見ないことだ。君も魔術士ならばわかるであろう」

「これからが本番だってことならわかってます」

「そうか。では、諸君らの書く歴史に期待しよう」

 と、林の向こうへと消えていく。

 情報量と妙な言い回しのせいで頭の処理が追い付いていない。

「なんだったんでしょうね」

「自分で現場を見なきゃ納得できない御方なんだろう。まさか、こんなところで会えるとは思ってもみなかった。見たか、あの電紋」

「電紋とは?」

「肌に模様みたいなのがあったろ」

 興奮気味にサリートがまくしたてる。

「あれは雷魔術を使って血管が焦げた跡なんだよ。ただの火傷だから普通はすぐに治るんだが、雷魔術を使い続けるとずっと跡が残る。それが全身にあるってことは激しい魔術を何度も使って戦った証拠だ」

 聞いているだけで痛そうだ。

 魔術をよく知らない僕からすれば夢のような技術だと思っていたけど、魔術士も魔術士で苦労があるらしい。何であれ極めるのは大変だ。

「丘を取った蹄鉄隊がすげえのは聞いていたが、あの迅雷のグラニが復帰していたとはな。きっとファルナ様に代わって指揮も執ってくれるぞ」

「詳しいんですか」

「本物の英雄のひとりだぞ。なんでオディルは知らないんだ」

「田舎者だからですかねえ」

 そういえば、と思い出す。重傷のサリートを運んでいたときに英雄になりたいと言っていた。あれは軽口ではなくて本物の憧れから来たものだったようだ。しかも、一目でグラニの強さを見抜いている。

 一方で僕はずっと垣間見える未来を悲観している。できるのは悲劇的な運命を回避することだけだ。運よく生き残ったサリート以外、誰も救えなかった。

 目指すものを見つけて進んでいるサリートが羨ましい。

 僕たちはどこが違うのだろうか。

「ところで、これからが本番とはどういう意味なのですか?」

 感情を隠し、笑って尋ねる。

「魔素を吸収して魔力に変換するとこまでは話したか」

「はい」

「魔術を使うと、その分だけ魔力を消費する。失われた魔力は空気中の魔素から回復するが、魔素の量には地域差がある。エイドのようにたくさんある場所もあればザラメルギスのように少ない場所もある。当然、魔素の多い場所の方が魔力の回復は早くなる」

「なるほど。だから、エイドでは魔術士が多くなるのですね。たくさん練習できるし、魔術を活用する機会も増えますから」

「その通りだ。そして、前回の戦った場所はザラメルギスに近く、今度戦う場所はエイドに近い」

「ということは魔術士の多いエイドはわざと負けたように見せかけて、自分たちの有利な場所で戦うために引き下がったというわけですか」

「エイドがザラメルギスを舐めてたのもある。一撃でケリをつけるつもりが思った以上に俺たち……は負けたから本隊か。第一戦団と第二戦団が強かったおかげで怖れをなしたってわけだ。次に戦うときはエイドにも油断はないだろうよ」

 一度勝っているからこちらが有利、というのは間違いのようだ。

 今回の防衛任務は最初に予想した以上に大変なものになる気がしてきた。

「エイドの中心地よりは魔素が薄いといえど、そろそろエイドの魔術士も魔力を回復させきった頃合いだろう。そろそろ攻めてきてもおかしくない。気を引き締めないとな」

 頷く。

 もし僕が死ぬとしたらやっぱりそれはエイドとの戦いの可能性が一番高い。

 『予兆』は今も薄く点滅している。すぐに危険はないが遠くはない。いつもの経験からいえば『予兆』が一番強く反応するのは、きっと――

「明日の朝、ですかねえ」

 サリートがじっとこちらを見ていた。

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