第3話「土とプライド」
男の小屋で目覚めた翌朝、熱はすっかり引いていた。男の名はカイというらしい。僕が眠っている間に着せられた着心地のいい麻の服は、少し大きかった。
「世話になった。恩に着る」
貴族としての習慣で、僕はぶっきらぼうに礼を言った。
「別に。行き倒れを見殺しにする趣味はない」
カイはそう短く答えると、畑仕事の準備を始める。その背中は広く、頼もしい。
しかし、僕の心は複雑だった。エリートαである僕が、平民、それもおそらくはベータであろう男に助けられた。この事実は、僕の中に深く根付いた貴族としての矜持を、ひどく傷つけた。彼は命の恩人だ。感謝しなければならない。だが、素直にそれを受け入れられない自分がいる。
このまま彼の世話になるわけにはいかない。かといって、この小屋を出て一人で生きていける当てもない。干し肉とパンは、もう底をつきかけていた。生きるためには、何かをしなければ。
僕は、窓からカイが耕す畑を眺めた。痩せているように見える土地を、彼は黙々と鍬で耕している。その額には汗が光り、たくましい腕の筋肉が隆起していた。僕が今まで、最も縁遠いと思っていた光景。
プライドか、それとも命か。
答えは、決まっていた。
僕は意を決して外に出ると、土の匂いを肺いっぱいに吸い込み、畑で作業するカイの後ろに立った。
「カイ」
僕の声に、彼はこちらを振り向く。その怪訝そうな顔に、僕は深く、深く頭を下げた。生まれて初めて、誰かにこれほど頭を下げた。泥のついた地面が、すぐそこに見える。
「僕に、農業を教えてくれないか?」
絞り出した声は、自分でも驚くほど震えていた。屈辱だった。だが、それ以上に「生きたい」という本能が、僕を突き動かしていた。
しばらくの沈黙の後、カイの「ふっ」という短い笑い声が聞こえた。
「お貴族様が、土いじりか」
その言葉には、からかいと、そしてほんの少しの面白がるような響きがあった。顔を上げると、カイは真剣な目で僕を見つめていた。
「本気ならな」
彼は静かにそう頷くと、小屋の壁に立てかけてあったもう一本の、僕にはずしりと重く感じられる鍬を差し出した。そして、まだ手つかずの、石ころだらけの痩せた土地を指さす。
「まずは、そこを全部耕せ。話はそれからだ」
ここから、元公爵令息アレクシスの、泥とプライドにまみれた挑戦が、静かに始まった。
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