第二話「安らぎの城と招かれざる客」
設計図が完成してからの日々は、まさに創造の喜びに満ちていた。
俺は結界師としての能力を、建築へと応用した。まず、結界で作り出した刃で木を切り出し、寸分違わぬ大きさに加工する。釘や金具の代わりに、魔力で木材同士を強固に接着・固定していく。前世の知識と、この世界の魔法。二つが合わさることで、俺の家づくりは驚くほどのスピードで進んでいった。
そして一週間後。湖畔の丘の上に、夢に描いた通りのログハウスが完成した。
太い丸太を組み上げた壁は頑丈で、木の温もりに満ちている。リビングの大きな窓からは、陽光を浴びてきらめく湖が一望できた。暖炉も、広いキッチンも、屋根裏の書斎も、全てが設計図通りだ。
「……できた。僕だけの、お城だ」
完成した我が家を前に、俺は感極まって呟いた。誰かに命令されたわけじゃない。誰かに評価されるためでもない。ただ、自分が心地よく暮らすためだけに作り上げた空間。それは、何物にも代えがたい達成感を俺に与えてくれた。
ログハウスでの穏やかな生活が始まった。
朝は鳥のさえずりで目を覚まし、結界に守られた安全な庭でハーブを摘む。キッチンに立てば、前世で趣味だったお菓子作りの記憶が蘇ってきた。森で採れたベリーを使ってジャムを作り、焼きたてのスコーンにたっぷりと添える。自分で淹れたハーブティーと共に、湖を眺めながらそれを味わう時間は、まさに至福だった。
命のやり取りに神経をすり減らし、常に緊張を強いられていたパーティ時代には、決して得られなかった心安らぐ時間。誰にも気兼ねすることなく、自分のペースで、自分の好きなことだけをして過ごす。こんなに幸せなことが、他にあるだろうか。追放してくれたアランには、今となっては感謝したいくらいだ。
庭の一角を耕して、家庭菜園も始めた。トマトやニンジン、ジャガイモの種を植える。結界内は常に穏やかな気候が保たれているせいか、作物の育ちも驚くほど早い。自分で育てた野菜で作るスープは、格別の味がした。
夜は、暖炉に火をくべ、その揺れる炎を眺めながら読書を楽しむ。静寂に包まれた空間で、聞こえるのは薪のはぜる音だけ。いつの間にかソファでうたた寝をしてしまい、慌ててベッドに潜り込む。そんな穏やかで満ち足りた日々が、ゆっくりと過ぎていった。
そんなある日、この聖域を揺るがす出来事が起こる。
その日は、朝から激しい嵐だった。窓の外では風が吹き荒れ、太い雨粒が容赦なくガラスを叩いている。森の木々が大きくしなり、まるで悲鳴を上げているかのようだ。
「すごい嵐だな……」
暖炉の火を強くしながら、俺は呟いた。だが、このログハウスの中は驚くほど静かだった。これも結界の効果の一つ。外部の天候がどれだけ荒れていようと、結界内にはその影響が及ばないのだ。外の荒天が嘘のように、家の中はいつも通りの穏やかな空気に満ちていた。
温かいミルクティーを飲んで一息ついた、その時だった。
――ガンッ!
鈍い衝撃音と共に、結界の境界線が大きく揺らぐのを感じた。俺が設定した結界は、物理的な衝撃や魔力を感知すると、俺の脳内に直接アラートが届くようになっている。今まで、魔物がぶつかってくることは何度かあったが、これほどの強い衝撃は初めてだった。
(何だ……? 高ランクの魔物か?)
警戒心が瞬時に頭をもたげる。結界が破られることは万に一つもないと確信しているが、それでも異常事態には違いない。俺はレインコートを羽織ると、ランプを片手に、意を決して外に出た。
嵐はますます勢いを増している。ランプの灯りを頼りに、衝撃があった結界の境界線へと向かう。ザーザーという雨音に混じって、荒い呼吸のような音が聞こえてきた。
境界線まであと数メートル。そこに、黒い塊のようなものがうずくまっているのが見えた。魔物だろうか。俺は慎重に、だが確実に歩を進める。そして、ランプの光がその正体を照らし出した瞬間、俺は息を呑んだ。
そこに倒れていたのは、人間だった。
全身を黒い鎧で包み、おびただしい量の血を流している。おそらく、結界に気づかず、全力で突っ込んできてしまったのだろう。兜は外れてそばに転がっており、雨に濡れた黒髪が額に張り付いていた。閉じられた瞼の下の、狼のような鋭い眼光が目に浮かぶような、険しい顔つきの男だった。
一目で、彼がただ者ではないことがわかった。鍛え上げられた体躯、高級そうな鎧、そして何より、彼の体から漏れ出していたのは、尋常ではない魔力だった。それは制御を失った炎のように荒れ狂い、周囲の空間を歪ませている。この膨大な魔力がなければ、彼はとうの昔に出血多量で死んでいただろう。しかし同時に、この魔力は彼の命を蝕んでもいる。もし俺の結界がなければ、この漏れ出した魔力だけで、周囲の生き物は残らず死に至るほどの強力なものだった。
どうする?
関わるべきじゃない。彼は、俺のような穏やかな生活を望む人間とは、住む世界が違う。きっと、厄介なことに巻き込まれるに違いない。見捨てるのが賢明だ。
頭ではそう分かっていた。だが、目の前で苦しみ、今にも消えそうになっている命を見過ごすことは、どうしてもできなかった。
「……仕方ないな」
俺は覚悟を決め、小さく溜め息をついた。結界の一部を操作して、男の体だけを内側へと通す。ずぶ濡れの男の体を抱え上げるのは、想像以上に骨が折れた。鎧が恐ろしく重い。それでも、俺は必死に彼をログハウスまで運び込み、リビングの床に敷いた毛布の上にそっと寝かせた。
まずは鎧を脱がさないと、傷の手当ができない。固いバックルと格闘しながら、ようやく重い鎧を取り払うと、その下から現れた無数の傷跡に、俺は再び言葉を失った。特に、脇腹の傷が酷い。魔物の爪で引き裂かれたような、深くえぐられた傷だ。
俺はすぐに救急箱を取り出し、ありったけのポーションと清潔な布で、必死に介抱を始めた。
この招かれざる客との出会いが、俺の穏やかなスローライフを大きく変えるとは、この時の俺はまだ知る由もなかった。
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