「余白の声」第5話「負け犬の遠吠え」
秋定弦司
非常識の世界案内
ある劇団の代表者が、グループチャットにて殊勝ぶったご報告をなさいました。
「恥ずかしながら私、軽度のうつ病という『負け犬の病』にやられているらしいです」
なるほど、「うつ病」。その一点だけならば私も心配いたしました。
ところが「負け犬の病」とは。いやはや、ご立派なお表現でございますね。
さらに続いたお言葉もまた芳醇でございました。
「楽しいことをすれば治る」「誰かの奢りで焼肉」……。さすがは脚本家でいらっしゃる。比喩と軽口を織り交ぜる妙技、ただただ感嘆するばかりです。もっとも、その軽妙さは病と向き合う真摯さとは真逆の位置にあるようでございますが。
某声優養成所ご出身にして脚本も手掛ける――さぞや言葉の重みをご存じのはず。ところが、どうしたことでしょう。貴殿の口から発せられるものは「言葉」ではなく「空疎な音」。それをもって観客を欺き続けておられる姿、実に鮮やかな大道芸と存じます。
さて、周囲の皆様もまた沈黙を貫かれた。その沈黙こそが「暗黙の同意」となりましょう。お美しい一体感でございますね。まるで屍の群れが同じ方向を向いて朽ちてゆく光景のようで、胸が熱くなります。
この劇団で「役者」と呼ばれるものが、所詮は職制上の肩書きに過ぎなかったこと、私もよく存じております。稽古はいつ始まるとも知れず、礼儀は体裁に置き換えられる。いやはや、これぞ「舞台芸術」の真骨頂。観客が涙するのも無理はございません――もちろん、失望の涙でございますが。
私自身も愚かでございました。舞台に上がらぬ条件を自ら課し、さりとて稽古場へ赴く際はジャージに着替える程度の礼儀を守ったつもりでおりました。
しかし振り返れば、それすら空しい自己満足。犬が骨を隠して悦に入るのと同じでございます。
ただ一つ誇れるものがあるとすれば、師の教えに触れたことでしょう。
「そう思ってそう言え!」――師は常に虚飾を打ち砕き、上辺の技術を唾棄なさいました。私はその「絨毯爆撃」のごとき罵声を浴び続け、灰のように打ちひしがれてなお無能でございました。
その功績により「無能元帥」の称号と「功一級金鵄勲章」を賜るほどに。いやはや、勲章もここまで来れば滑稽の極みでございます。
そんな私でさえ、あなた方の稽古を拝見しては吐き気を覚えたのでございます。ご想像いただけますでしょうか、その惨状を。
私はチャットに返信いたしました。
「では私は負け犬ですよね」と。
自らの障害者手帳の写真を添えて。
愚かでした……愚かの極み。こんな形で用いたことに自ら反吐を覚えます。
誰からも返信はありませんでした。結構なことです。返ってくるのは「労り」という名の屈辱しかないのですから。
最後に申し上げましょう。
役者を名乗る皆様。あなた方が見せていたのは「非日常の世界」ではございません。ただの「非常識の世界」です。
勘違いも甚だしく、笑いを通り越して憐れみを誘うばかり。
どうぞご安心ください。私は負け犬でございます。貴殿方は「役者」という名の栄光をお持ちなのですから。もっとも、その実態が三文芝居にも劣ることは、既に観客の皆様がよくご存じでしょうが。
タバコの煙が、私の心を代弁するかのように空に舞い、やがて虚空へ消えていきました。
「余白の声」第5話「負け犬の遠吠え」 秋定弦司 @RASCHACKROUGHNEX
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます