さようなら

No Exist

永遠の別れ

 白い髪が光を反射していた。色白で華奢な首筋。素肌に触れる布は白くてやわらかい素材でできていた。スカートから細い足と、袖から細い腕が伸びている。顔立ちは素朴で、特に印象に残らない顔立ちだった。平均的な一般人の顔立ち。日本人らしく鼻が低い。頬はやや丸い。体つきはとにかく細かった。栄養失調ぎみなのではないかと思いながら男は彼女の腹部を見つめる。かっさばいて、すすり飲みたかったからだ。


 白い女。天使のようだった。どんな味がするか知りたかった。でも、この女はもう既に死んでいた。そう、これは男の見る幻覚だった。幻覚とは、脳の認知の遅れによって生じるものである。男は、決して頭がおかしくなったわけでも、精神に異常をきたしているわけでもなかった。ただ正常な認識が出来ていないだけだった。俺は狂ってなんかいない。男はそう思い続けたし、少なくとも男の周囲の人間も、男を健常者として扱った。それらを全て見抜いていたのは、あの白い女だけであった。男が唯一負けを認めたその女の名は、――。いや、誰の記憶にも残ることはないだろう。もう既に死んでいるのだから。


 俺が殺したんだ。男はそう考えているが、現実的な話をすれば彼女は自殺だった。ある日突然、彼女は山へ行くと言ったきり、二度と帰ってこなかった。富士の樹海は方位磁針が狂う。捜索もできない。絶対に見つかることがない。女は富士の樹海へ旅立って、首でも吊って自殺したのだろう。俺のせいだ。俺のせいであいつは死んだ。なんせ、俺が殺したようなものだ。


 幻覚の女が男へ微笑みかけた。白い透き通った髪。ああ、食べたかったな。どうしていなくなってしまったんだ。ああ……。男は悲観にくれる。女の柔い肌を自らの血肉にして、身悶えするような興奮を得るはずだったのに……。男はその機会を永遠に失ってしまったショックで、最近ろくに飯も食えていなかった。女の笑みが憎らしく感じた。殺してやりたい。それでも、もうこの女はこの世にはいないのだ。わかっている。わかっているんだ、そんなことは。


 どうすれば良かったのだろう。あの女は俺に殺されたがっていた。男は少なくともそう感じていた。実際、俺に食べられることすら望んでいた。男にはそう感じられた。あの女は小説を書いていて、時々そういう妄想の話を小説に滲ませていたから。彼女は食べられたがっていた。俺だって、食べたかった。男はため息をつく。どうして。どうして死んだんだ……?


「なんで死んじまったんだよ、なあ」


 幻覚の女は、何も答えてはくれなかった。いつも寄り添うようにそこにいたのに、なんだか今はその笑みがとてつもなく冷たいものに感じられた。ああ、そうだ、そうだった。少し、思い出した。男は笑う。お前はそうだった、いつだって俺を冷笑していた。馬鹿にしていた。実際、男は馬鹿だったのかもしれなかった。なら、そうか、そうか。これはきっと、罰なのだ。そうだろう。でなければ、体の弱いお前がわざわざ山なんか行くわけが無い。女はインドアな性格で、10kmどころか1kmもろくに歩けないひ弱な女だった。


「お前と……もっと生きたかったよ。俺じゃ、ダメだったのか?」


 そんなわけはなかった。あの女の周りの男は全て俺が潰したのだから。あの女には俺以外、絶対目に映らないようにした。俺のことだけを考えさせた。……いや。もしかしたら、それが間違いだったのかもしれなかった。俺が彼女を攻略対象として選んだことが、そもそも間違いだったのだ。彼女を攻略する選択肢は、全てBADENDへ繋がるように出来ているのだから。あの女は性格が悪いから、俺が攻略しようと躍起になっていることを知っていた。だが、わざとそれを拒絶していた。今回の事件もきっと、そういうことなのだ。俺にこの"ゲーム"を、絶対に攻略させない気でいた。俺が「もっとこうすればいい」と提案した全てを、彼女は「気に入らない」と拒絶して、俺が「お前はまだ生きられる」といえば、「だからなんだよ?」と彼女は否定した。俺があまりにも簡単にゲームをクリアしてきたから、彼女は怒ったのだ。俺が絶対にクリアできないゲームを与えてやる、と。だから、あの女は一人で勝手に死んだ。


 ただ、それだけのことだったんだ。

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