剣術指南と剣豪小説

秋犬

剣を極める者、守るべきものを常に心に留めるべし

 クライオ国は学問と芸術の国と呼ばれ、遺跡や学術都市が観光地として栄えていた。隣国などで戦乱が続いていたが、クライオは蔓延する過激な革命思想もそれを取り締まるリィア国の過激な革命家狩りにも関与しない姿勢を貫いていた。乱れた思想は国を滅ぼす。国民はそう教育され細々と自国を護っていた。


***


 クライオの郊外のとある町一番の剣の腕前を自負するリカス・アンフィは、目の前に現れた二人を見て侮った。最近通い始めた修練場の師匠に「お前より強い奴がいる」と呼び出されて出向いたところ、一人は自分と同じ年頃の若い男、もう一人に至っては少女だった。


「こいつが俺より強いって言うんですか?」

「もちろんだ。こいつらに負けたらさっさと定職に就け」


 リカスは農家の三男坊として生まれて特に望みもなく成人してからもぶらぶら過ごし、ただ剣の腕前だけを自慢していた。最近新しく出来た修練場でも実力を発揮し、あっという間に師匠に並ぶ腕の持ち主と認められた。


 しかし「この街で俺に敵う奴なんかいない」と豪語するリカスを見かねた師匠がどこかから連れてきたのだろう、と最初リカスは高を括っていた。二人とも銀髪で似たような容姿をしているところから、リカスは兄妹だと推察した。


 ただ、リカスは師匠が「こいつら」と言ったことが引っかかった。男のほうはもちろん、少女と剣を交えるなど小説の中の話だとしか思えなかった。


「それじゃあ、さっさと始めようぜ」


 リカスは模擬刀を構えた。どんな奴だろうとねじ伏せる自信はあった。男と少女は顔を見合わせ、それから何かを相談して男の方が立ち上がった。


「俺はセイフ。あんたなら俺で十分だ」

「それはどういう意味だ?」

「そのままの意味だよ」


 意味深なことを言うセイフとリカスは対峙した。大体の相手はまずリカスの体躯に圧倒されるものだった。剣技を志すものにとって見た目の圧力は大事だった。長身でがっしりとしているだけで相手は大体自信を無くすものだが、細身のセイフはリカスと対峙しても落ち着き払っていた。


(どういうことだ? 一切隙がないぞ)


 はじめてリカスは慄いた。セイフは自然に構えているだけに見えるが、どこへ剣を振っても全て弾き返される未来しか想像できなかった。


「どうした、来ないのか?」

「う、うるさい!」


 勢いに任せてリカスは踏み込んだ。余裕そうに見えるセイフの鼻を明かしたかったし、何より自分が勝てない強い奴がいるということが許せなかった。リカスの力強い剣を受けても、セイフに隙は一切生まれなかった。


「いい腕じゃないか。国のために尽くしたいとは思わないか?」


 セイフに馬鹿にされたような気がして、リカスはますます勢いを強めた。その腕があるなら軍隊で出世できる、と散々言われたが軍隊の生活は性に合わないとリカスは構えていた。特に最初は下っ端の生活をするということが我慢ならなかった。自由を愛するリカスは何かに縛られるのがとても嫌だった。


「貴様に何がわかる!」


 リカスの力任せの横からの一撃をセイフは受け止めた。


「そうか、あんたはその程度か」


 この一撃を食らうと大抵の相手は剣ごと弾き飛ばされるが、セイフはしっかりその場に立っていた。そこからリカスは何が起こったのかよくわからなかった。セイフはリカスの横薙ぎを受け止めてからその勢いのまま押し返してきた。自身の放った剣撃の勢いのままリカスが後退したところに、セイフがするりと潜り込んで来た。


 しまった、と思ったときには手遅れだった。セイフの剣はリカスを的確に捉えていた。


 勝てない。


 圧倒的な敗北の前に、リカスは目の前が真っ暗になる思いだった。試合の後、師匠から何かを言われた気がしたがリカスの耳には届かなかった。そんな中、リカスはひとつこの状況を挽回できるかもしれない策を思いついた。


「待て。さっき『こいつら』って言ったよな? それじゃあ、そこの嬢ちゃんも入るってことだよな?」


 リカスは修練場の隅で試合を見守っていた少女を指さした。やっと成人するくらいの年齢の少女はいつの間にか模擬刀を構えていた。


「やめとけ、こいつは俺より強い。俺に勝てない奴は無理だ」

「そんな馬鹿な。女に勝てない奴があるものか」


 セイフの制止も聞かず、リカスは少女に試合を申し込んだ。セイフは修練場の師匠と顔を見合わせ、成り行きを見守ることにした。


「セラス、手加減してやれよ」

「いえ、私はいつでも全力を出したいので」


 セラスと呼ばれた少女は模擬刀を構えた後、リカスに尋ねた。


「あの……剣豪小説は嗜まれますか?」


 リカスは暇つぶしで読んでいた『快刀剣士レーケンス』という剣豪小説を思い出した。剣豪小説は人気があり、剣を志す者は大抵何かしらを読んでいた。


「ああ、レーケンスの話は大体読んだぜ」


 するとセラスは大いに微笑み、早口で喋り出した。


「そうですか、いいですよねレーケンスは。やはり王道、いつどこで読んでもかっこいいんですよ。でもその中にほんのり涙をにじませるような展開があるから油断できません。まるで最強剣士がその心の奥底に密かに隠してある弱音をほろりと零すような、そんな瞬間が私はたまらなくいいと思います。そしてその弱音すら己を奮い立たせるための糧として食らう展開には目が離せませんよねそうですよね?」


 リカスは楽しそうに話すセラスの隙を探したが、セイフ以上に隙が見当たらなかった。それどころか対峙しているだけで冷や汗が吹き出そうになるほど恐ろしいものを感じた。


「セイフ兄様、この人まあまあ強いですよ」

「まあまあ、な。でもお前の相手じゃない」


 セイフにそう言われて、リカスは少々腹を立てた。しかし、セイフに完敗している以上その台詞に異議を唱えることもできなかった。そして、楽しそうに剣豪小説の話をしながら相手の隙を探るセラスが一段と恐ろしくなった。


「でもレーケンスが好きな人に悪い人はいません!」


 リカスの目にはセラスの模擬刀が急に消えたように見えた。そして考えるより先に身体が動いていた。セラスの剣が一気に目の前に迫っていた。その一撃でやられるかと思ったが、セラスはリカスの剣に合わせるように勢いを削いだ。


「私、好きですよあなたの剣。基本に忠実で、いつでも強くなりたいっていう力がこもっています」


 リカスは少女と呼べるセラスの剣技の腕前に驚愕すると同時に、心からセラスが剣技そのものを愛していることに強く心を動かされた。


「もっと打ってきてください。セイフ兄様はせっかちだからさっさと終わらせたいんですけど、私はもっとあなたを知りたいです。あなた、とてもいい剣筋してますよ」


 セラスの流れるような剣撃を受けながら、リカスはそれまでとは違った高揚を感じていた。


「女のくせに、生意気な……」

「その台詞、百万回は聞きました」


 リカスは改めてセラスを倒す術を探った。少女であるため膂力はリカスに及ばないが、的確に剣を止める俊敏さと判断力はリカスの常識を超えるものであった。ならば力づくで、と構える前に次の手が来るためリカスは防御を強いられた。リカスに比べれば小さな身体だったが、セラスには打っても簡単には倒れない強靭な体幹も備わっている。どれだけの鍛練を積めばこれだけの動きが出来るのか、リカスは想像するだけで背筋が凍るようだった。


 天才。


 そんな言葉がリカスの頭を過った。リカスの剣に合わせて少女は生き生きと剣を振り回し、その姿は舞を躍っているようにも見えた。氷のような鋭さを持ちながら、日の光に照らされてきらきらと光るような温かさを持つ剣筋が眩しかった。もっとその姿をよく見たい、とリカスが思った瞬間に横から強烈な一撃がやってきた。それは先ほど自分がセイフに繰り出した横薙ぎによく似ていた。


「勝負、あったな」


 師匠の声がやけにはっきり聞こえてきた。圧倒的な力の前に、リカスは修練場の床から起き上がることができなかった。セイフの的確で無慈悲な一撃、そしてセラスの奔放で剣と共に生きる喜びを感じさせる手合わせ、全てがリカスの心を滅多打ちにしてた。


「師匠、俺、間違ってました。俺なんてまだまだだって、よくわかりました」

「そうだろう、それじゃあ今後について真剣に考えるか?」

「考えます! いや決めました!」


 リカスはセラスの前にひれ伏した。


「完全に俺の負けです! 弟子にしてください!」


 すると、それまでの余裕が吹き飛んだようにセラスは慌てふためいた。


「そんな、私はそのようなものではないですよ!?」

「俺はもっと強くなりたいんです、そしていつか貴女と肩を並べる剣士になりたいです!」


 顔を赤くしているセラスを押しのけて、セイフがリカスに耳打ちした。


「残念だが、俺たちは弟子を取っていないしどこの修練場にも入ることができない。表だって剣を持ってはいけないことになっている。つまりは……わかるか?」


 リカスの頭の中で、セイフとセラスの身の上について様々な想定が行われた。表だって剣を持てない、つまり裏家業を行っていることは明確だった。ここクライオでは滅多に聞かない革命思想の持ち主か、あるいは犯罪組織の一味かもしれない。どのみち、この二人に着いていく決断をするということは平穏な生活を諦めろということを意味するようだった。


「わかりました。それでも、俺の決意は変わりません。お二人は一体何者なのですか? このような腕前の持ち主は、上級騎士や親衛隊にいてもおかしくないと思うのですが……」


 剣士として最高の腕前を認められるような役職を引き合いに出して、リカスは訝しんだ。よく考えれば、この修練場の師匠もここクライオの田舎町にしては突出した腕を持っている。師匠とセイフは何か目配せをして、改めてリカスに向き直った。


「しっかりした批評眼もある。やはり腕は確かなようだな。しかし、ここで話を聞けば後には引けないぞ。それでもいいか?」


 セイフは相当の強い覚悟を要求してきた。しかし、リカスの心は全てセラスで埋められていた。彼女ともう一度手合わせをしたい。そのためであれば何でもするという覚悟は十分にあった。


「構いません。この先の道を見せてください」


 リカスの覚悟を聞き、セイフはセラスと顔を見合わせた。


「それじゃあ、詳しい話はここを離れてからにしよう。行くぞ、セラス」

「はい、兄様」


 それからリカスはセイフとセラスによって、クライオ郊外の秘密の修練場へ導かれた。そこで二人が先日隣国リィア国に滅ぼされたオルド国から逃げてきた名門アルゲイオ家の生き残りであり、更に生き延びたオルドの上級騎士たちが集結して処刑されたオルド国王の息子を匿っているという話を聞いて更に度肝を抜かれた。リカスの通っていた修練場の師匠は元オルドの上級騎士で、町で剣を教えながら共に戦える剣士を探していたこともそこで知った。


「つまり、俺も一緒に反リィアをやれっていうんですか?」

「ああ、そうだ」


 セイフとセラスが名門騎士一家の出身と知り、リカスは「世界の剣豪列伝」で読んだデイノ・カランの巻を思い出した。オルドより前にリィアによって滅ぼされた国で剣聖と呼ばれた彼の厳しい鍛錬の様子を読んで、騎士一家に生まれるとは大変だとリカスは他人事のように考えていた。


「でも、俺にそんなことが務まるでしょうか……」


 リカスは急に不安になってきた。今まで定職につかなかったのも、剣以外自分にこれといった自信が持てなかったからだった。そういうわけで、なおさら序列が決まってしまう軍隊に入って自分の剣を否定されるのも怖かった。そんな自分が国家を相手に反乱を仕掛ける側に回るなど考えたこともなかった。


「何を言う。デイノ・カランも言っているではないか。剣を極める者、迷う事なかれ、行かばそれが道になる、と」


 セラスが「世界の剣豪伝説」の中の一節を諳んじた。その声はリカスの心に深く響いた。


「『剣術指南』ですね。俺も好きですよ、その言葉」

「『剣術指南』の良さがわかるなんて最高ですね!」


 セラスが最高の笑みを見せた。リカスにはまだ国を追われる悲しみや怒りは実感できなかった。しかし、目の前にいる剣を心から愛する少女の微笑みはずっと守りたいと思った。


 それからリカスは秘密の修練場に通い、かつてのオルドの精鋭たちや噂を聞いてクライオから集まってきた手練れたちと共にオルド国の敵討ちに参戦することになった。セラスや他の精鋭たちと共に過ごす日々は、それまでになかった刺激をリカスに与えた。


 リカスはそれまで「剣は何かを護るためにある」と説教のように教えられていたためにこの言葉は気に入らなかったが、護りたいと思うものがあることこそが強さの源であると実感するようになった。


「剣を極める者、守るべきものを常に心に留めるべし、だな」


 リカスは剣聖デイノ・カランの言葉を復唱する。セラスが気に入ってよく口ずさむため覚えてしまった。そのたびに守りたいものがリカスの胸にこみ上げ、剣士かくあるべしと身が引き締まる思いであった。


〈了〉

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