国に人権を奪われた『無権者』たちは、諸悪の根源を断絶する『執行者』を目指す。

ハル

§ プロローグ § 人倫泯滅


 ここは、日本のどこかにあるとある施設。

 大罪人を収容する監獄にして、一度収容されれば二度と出ることは叶わない生き地獄と呼ばれる。


 この施設の掲げるモットーは二つ。

 第一条、此処ここに収容される罪人は人にあらず。

 第二条、人ならざる者へのあらゆる行為は、これを罪に認めず。


 全ての囚人に人権は与えられぬ劣悪な環境が、ここにはあった。


 ——20XX年、4月。

 そんな地獄のような監獄の中で、運命の歯車は静かに動き出した。


 これは、とある監獄施設内で起きた記録を記した物語である。



 * * *



 息が詰まる感覚がする。


 まるで監獄のような冷たい空気が漂う場所で、俺は目隠しを取らされた。目の前に見えたのは、三方向が鉄の壁で覆われた独房だ。


 人間性を否定するかのような罵詈雑言ばりぞうごん、頭蓋を揺らすほどのわずらわしい雑踏を掻き分け、俺はここまで来た。


 「入れ、下等生物。人間様に楯突いた下々しもじも外道げどうの分際で、即座に処刑されぬだけ有難ありがたいと思え」


 看守の男はそう言って俺の腰を蹴り、独房にぶち込む。


 倒れ込んだ俺は、独房の奥の壁に頭を打ちつけた。ゴツっと言う鈍い音と共に、全身に衝撃をくらったかのような痛みが爪先まで駆け抜けていく。


 「…俺が、何したって――」


 「あぁっ!?今、俺の許可もなしに喋りやがったのかぁ!?」


 看守の激昂に、俺のか細い声は消えて行った。


 ここに来る前、大柄の男たちの暴力を全身に受けた。なぶりに嬲られた果ての身体は、いたるところに痣や血が滲んでいる。感覚からするに手足の骨二、三本は折れているか粉々だろう。


 看守は、勝手に喋った俺のとがを、腹や頭を殴り蹴りすることで粛清しゅくせいしようとした。頭を蹴られた際に舌を両顎の犬歯で噛み抜き、咳をすれば大量の吐血。


 「このっ!カスがっ!人間様に口答えしてっ!許されっと思うなぁ!!おらっ!!」


 汚い床に転がりながら、頭を守るように折れた両手で抱える。だが看守はそれを意にも介さず、無慈悲な鉄槌を下し続ける。


 「やめて…くれ……」


 ボゴッ、ドゴッ、と鈍い打撃の音色は無情にも響きを増してゆく。


 俺は、もはや死んだ方がマシだと思うくらいに衰弱し切っていた。弱々しく消えてく俺の言葉を嘲笑うかのように、俺は暴力を振るわれる。


 「痛い……やめてくれ………」


 独房の中に淡々と響くむごい打撃音が静寂せいじゃくした頃には、頭を守っていた俺の手指が折れ曲がり、変形していた。


 独房の壁は、殴り蹴りされた時にえぐれ飛んだ血肉——。


 骨と肉の間に灼熱の鉄板を擦り込まれたような……全身に余すことなく針を叩き刺されたような……とにかく言葉にはならないほどの痛みが、俺の体を、心を、精神を蹂躙じゅうりんした。


 「おい、次の拷問の時間だ。五体もいるから時間かかるぞ。早く来い」


 「あぁ」


 もう一人の男に呼ばれ、俺を殴り蹴りした看守は俺に唾を吐いて独房を出ていき、憤りをそこに叩きつけるかのように扉を強く閉めた。


 看守は、扉には鍵を三重に掛け、ご丁寧なことにそこに鎖を幾重にも纏わり付けた。ジャリジャリと不愉快な、鉄と鉄が擦れる音が耳朶じだを叩く。


 「…俺が……何したって言うんだよ……」


 意図せずこぼれ落ちた言葉。


 全身を焦がすような激痛と、心まで喰い尽くすほどの悔しさに、思わず涙が溢れ出した。


 全身が痛い。


 口に広がる鉄の味が苦い。


 心が張り裂けんと悲鳴をあげた。


 人間としての尊厳を踏みにじられた、そんな気がした。


 俺の精神を破壊せんと、冷たい監獄のような空気感が容赦なく突き刺してくる。否、精神などとうに崩壊していた。


 (何でだよ……何でだよ……!)


 肉体の物理的な痛みもあるだろうが、それ以上の苦しみが胸を締め付けた。


 心臓が鼓動を打つ度、身を引き裂かんとする衝撃のようなものが、うちから胸を叩くのだ。


 その度に、涙は流れる。


 なぜこうなった……。

 

 ――視界にもやがかかり、一律だったはずの建物の景色が歪む。衰弱し切った俺の体をが、今にも意識を手放そうとしていた。


 (ここで…気絶したら…………いや――)

 

 いっそ、死んだ方がマシなのかな。

 生きていても、痛みが無くなることはない。こんな状態で放置されたら、生きてても手も足も使えなくなるだろう。


 そうだ。

 思い残すことは沢山ある。

 

 まだ親孝行も出来てない。

 妹のかたきだって——。

 心から想っている愛人にも、何もあげられていない。

 

 だが、それをんでも死んだ方がマシだと思えてしまうほどの精神崩壊。


 たぎるような後悔も、溢れんばかりの怒りも、荒れ狂う魑魅魍魎ちみもうりょうの如き感情が爆発しそうになっても、それらを"踏み躙られた尊厳"が踏み潰し、全てが無駄なのだと悠然と語りかけてくる。


 俺は、とうに『人間ニンゲン』ではなかったのだ。

 尊厳は朽ち果てた。もう何も残らない。


 俺は、冷たい独房の中で全身の力みを解き、体の成すがままに、ゆっくりと意識を手放した――。




 


 




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