となりのギャルが気になって仕方ない

佐藤塩田

第1話 もしも

 昼休み。お弁当を夢中で食べていると、後ろからドンっと衝撃が来た。口に含んでいたわかめごはんを吐き出しそうになるが、気合で飲み込む。うっ、のどに詰まる……! 目を白黒させながら耐える私の鼻と耳に、桃の果実と制汗剤の混ざったような香りと底なしに明るい声が届いた。


「ねえねえりょーちゃん、聞いてよ! また数学の点悪いってナベ先に怒られたんだけど! あいつガチ怒りんぼすぎじゃね?」


 そう言いながら私の首に腕を回す衝撃の主__真凛さんに、私は毎度お決まりの抗議をする。


「……っ、真凛さん! 人が物を食べているときに後ろから抱き着いてはいけません!」

「えーなんで?」

「わ、私が……どきどきして、ご飯をのどに詰まらせそうになるからです!」


 慌てて箸を置いてお茶を取りながら涙目で言う私に、なぜか真凛さんは満足げに笑った。


「へえ? りょーちゃん今日もあたしのせいでドキドキしたんだあ?」


 その言葉に驚いて、「えっ?」と間抜けな声を返す私の眼鏡のを真凛さんが指で突く。



「りょーちゃんの、え・っ・ち♡」



 そう囁かれて初めて、とんでもない至近距離に相手の唇があることに気づく。白熱灯を受けて光るラメ入りの口紅を塗った形のいい唇が、揶揄うように歪んで__ああ、頭がくらくらする!


「そ、そそそんなつもりでは!」


 吸い寄せられていた目線を強引に外してそっぽを向くが、時すでに遅し。顔中が熱い。真っ赤になっているであろう私の耳に、真凛さんの軽やかな笑い声が聞こえた。



 鈴野真凛さん。いわゆるギャル、と呼ばれるグループに属する人たちの一人だ。

 華やかな顔立ちを彩るベビーピンクの口紅やきらきらのアイシャドウ。染めた紅茶色の髪をくるくると巻いて、胸の下ほどまで下ろしている。

 学校指定のシャツは襟元のボタンがいくつか開いていて、付けるはずのリボンは乱雑にカバンに突っ込まれていた。スカートは三段折り、容赦なくさらされた脚は白く細く長い。鞄には謎の狐の尻尾と猫のぬいぐるみ、銀の櫛、平たい髪留め。

 誰に聞いてもそうだと言うくらい、ギャルだ。分かりやすくギャルだ。よく似た服装をした子たちと駅前の繁華街でうろついているのを見かけるし、時々SNSで取材? の声がかかることもあるらしい。私はSNSをやっていないので、詳しくはわからないけれど。


 一方私、井伊良子はと言えば、だれに聞いてもまず「真面目そう」という声が返ってくる。

 中学では生徒会長を務め、高校一年の今でも学級委員長。母に切ってもらっている黒髪を三つ編みにし、黒縁の眼鏡を掛けている。第一ボタンまでしっかり留め上げスカートは規定通りの膝下丈、白く短い靴下とローファーを履いている。

 鞄には学業御守を付けていて、それから単語帳がサイドポケットに。家に帰ってすることと言えば勉強、犬の散歩、あと読書。


 「交わらない」私たちにはその言葉がぴったり合う。ならなぜ今日も二人で居るのかといえば__単に私たちの席が隣で、たまたま仲良くなったからだ。これは普通の、友達との日常の話。放課後クレープを食べに行ったり、勉強を教えたり、それから時々____




「いい加減キゲン直してよ~」


 謝るからさ? と真凛さんが小首をかしげて上目遣いでこっちを見る。長く多い睫毛に囲まれた、カラコン付きの大きな黒目が甘えてくる。その仕草の一つ一つがあざとくて、とてもじゃないけれどやっていられない。


「もうっ、私は真剣に言ってるんですよ!? ご飯がのどに詰まって窒息したり、気管支炎になったりして私が死んじゃったらどうするんですか!」


 真凛さんにどうにか離れてもらい、私たちは一つの机を挟み対面で座っていた。机の上には私のお弁当と真凛さんのサラダ。サラダ一つじゃ栄養が偏ると前々から言っているのだが、ダイエットだからと聞いてもらえない。いっそ強制的にお弁当を二つ作ってきてしまおうか、いやさすがに強引かな……と躊躇していると、いつの間にか向かい側が静かになっていることに気が付く。いつもはもっと騒がしい人なのに、どうしたんだろう。


「……あの?」


 不安になって相手を窺う。真凛さんは目を伏せていた。


「そしたらさ」


 ____時々、ヘンな雰囲気になったり。




「きかんしえん? は分かんないけど、もしもね」


 りょーちゃんが死んじゃったら。


「あたし、りょーちゃんの骨ぜんぶ持ってって、りょーちゃんのママ泣かせちゃうかもだけど、骨抱きしめたまま海行く。海行って、あたしも息できなくなって、沈んであげる」

「あの、真凛さん、その」

「だいじょうぶだからね。うちら、ずっといっしょだからね」


 そう言って微笑んだ真凛さんは暗く、それでいて静かだった。先ほど愛らしいと思った大きな黒目が、今は得体のしれない虚に思える。底なしのに思わず雰囲気に飲み込まれそうになりながら、私は突っ込んだ。


「……いや…………そうじゃなくて、急に抱き着かないでほしいって言いたかったんですけど!? そのまま私が死ぬ方向で話を進めないでください!」

「海じゃなくて湖でもアリよりのアリ、だよ♡」

「ほとんど変わりませんよ! それに大体、田辺先生の注意を茶化したら駄目です! 数学なら私が教えますし、って、あ! トマト移してくるのやめてください! ただでさえ細いのに好き嫌いしないでください!」


 そうやって私がお説教しながらお弁当を囲んでいるうちに、昼休みは終わっていた。

 か……唐揚げ食べきれなかった……。

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