第7話
姉さんが離婚することになった。最終的には、家族を取るか、宗教を取るか、という話になったらしい。それでさやかちゃんのパパは、宗教を取った訳だ。すごい決断だよな。僕の想像が及ばない世界だ。
パパは八月一杯で仕事を辞めて、九月の頭に北海道へ引っ越す。そしてムクドリの会で仕事と生活を始める。姉さんとさやかちゃんには、東京の家を残して養育費を送ると言う事で話しがついた。
さやかちゃんは、パパと顔を合わせたくないと言った。それで八月の末までは家出が延長される事となった。
夏休みも終わりが近づいて、僕の店は繁盛している。基本的に若者がターゲットの店だから、夏休みのシーズンは稼ぎ時だ。例のトゥリングがだいぶ売れた。これでまた、当分ダラダラと生活が出来る。普段は毎週水曜日を定休日にしているのだが、夏休みの間はずっと店を開いていた。さやかちゃんがカウンターで勉強をしながら店番をしてくれた。おかげで僕は、パソコンを使ってブラザー達と交流を深める事が出来た。まあ、大したことはやってないんだけど。
午後八時。今日は日曜日。全然お客さんが来ない。
「早いけど、もう店をしめようか」
僕は言った。
「ダメだよ。明日が彼女の誕生日で、プレゼントをまだ買っていない男の子がいるかもしれないでしょ。それで今、この店を目指して走っている途中なの」
さやかちゃんがマジメな顔で言った。
「そういうものかねえ」
「そういうものだよ」
それで、店はいつも通り午後九時に閉められた。プレゼントを買い忘れた彼氏は結局来なかった。
二人で銭湯へ行く。帰りにまたスーパーに寄る。デロデロの刺身と寿司を買う。百五十円の弁当も買う。さやかちゃんもだいぶ飲むようになったので、ビールを多めに買う。
「かんぱーい」
さやかちゃんが寿司に手を伸ばす。ビールの蓋をあける。ぐいっとビールをあおる。やばいなあ。様になってしまっている。姉さんに怒られるよ。
「この生活も、あと少しで終わりか」
僕は笑って言った。
「今度はママと一緒にビールを飲むよ」
さやかちゃんが言った。
「たまにはウチに遊びに来てよ。店番してくれたら、バイト代も出すし」
「あれ? それじゃあ夏休みの間のバイト代は?」
さやかちゃんが訊いた。
「ちゃんと出すよ」
「ウソウソ。さんざんお世話になって、ショウちゃんにはご迷惑をおかけしました。それで最後にね、もう一つお願いがあるの」
僕は反射的にビクッとしてしまった。さやかちゃんが笑う。
「大丈夫。もう変なお願いはしないから。もうゴタゴタはたくさん。まだあの時の疲れが残ってる感じだもん」
「ほんとだよ、岩田さん、今頃どうしてるかなあ」
「パパと一緒に北海道に行くのかな。笑顔でビールを飲み交わしたりして」
「あり得る」
僕は言った。
「ダイアローグ!」
さやかちゃんが突然言った。
「ダイアローグね」
僕は適当に答える。
「対話!」
「対話だね」
嫌な予感がするなあ。
「あの時、ショウちゃんが『対話』で押しまくったのが忘れられないの。一対一でお話しましょうって。いい言葉だなって思いました」
「うん」
「だから私も、ショウちゃんとダイアローグしてみたい」
「それはもうやってるよ。一対一で話をしてる」
「でも……いまのこれは、ただの会話じゃないの? 対話はもっと深くて、なにか哲学的なお話とかをするんでしょう」
さやかちゃんがこちらを睨みつけてくる。なんか夏が終わって、この子はまた綺麗になったような気がする。
「対話ってのは腹を割って話すことだよ。ウソとか建前なしで話すこと。オトナの人はそれがなかなか出来ないんだな、これが。だけど俺らは子供だから、毎日やってる。さやかちゃんも、もう少ししたら分かるよ。お酒を飲んでも、仕事の話をしなきゃならないとか、あるからね。スゲーつまらないし、そういう時のビールは全然美味しくない」
僕は言った。僕もたいして社会人経験があるわけではないが。
「どんな時でも、対話の出来る大人はいないの?」
「出来てこそ、本当の大人だと俺は思うけどねえ。俺も子供だからよく分かんないよ」
「ママは……対話が出来る大人だと思う」
「そうかもな」
「パパも、そうだったのかな。だから北海道に行っちゃったのかも」
さやかちゃんがしんみりしてビールを飲んだ。
「岩田さんもそういう大人だったのかもなあ。俺、どうしても彼の事を忘れられないよ。あの時のことはもう、忘れたいんだけどさ」
だよね、忘れたいよね、とさやかちゃんが笑って言った。そういや俺も、さやかちゃんが来るまで、ずいぶん対話する事を忘れていたような気がする。
「さやかちゃんが大学に入ったら、姉さんも一緒に、アジアに旅行しようか。あっちの人はさ、ウソと本気が混じっていてさ。日本の建前とかウソが懐かしくなるよ。前らもっと大人になれよ! って俺が思うもんね」
「それは凄いね。ファミリーに入れてもらって、私はダイアローグの研究をします。そうだ、大学の専攻もそれにしようかな。『特技は対話です』って言ったら、人に笑われちゃうかな」
さやかちゃんが嬉しそうにして、二本目のビールに手を伸ばした。
対話おじさんとダイアログ娘 ぺしみん @pessimin
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