第6話


 予想通り相手は複数人で来ていた。具体的に言うと三人。宗教の人って、絶対複数人で来るイメージがあるよなあ。イメージ通りで僕は少し笑ってしまった。

「さやかちゃん、久しぶり。それと初めまして、さやかちゃんの叔父様でいらっしゃいますか。私はムクドリの会の岩田と申します。よろしくお願いします」

 丁寧に宗教の人に挨拶された。笑顔が素敵だなあ。若くてわりとイケメンだ。二十代後半ぐらいか。しかしその両脇を固めた二人が残念過ぎる。見た目を簡単に説明すると、目が血走ってる四十代ぐらいの女性と、スーツがくたびれすぎている五十代ぐらいの男性。もうこの時点でこえーよ。

「よろしくお願いします。ウチの姉家族がお世話になってます。僕はさやかの叔父の松平(マツダイラ)昇一と申します」

「マツダイラさんとは、立派なお名前ですね。失礼ですが武士の家系でいらっしゃるんですか」

 にこやかな岩田さんが言った。

「そんなんじゃないんだけど」

 僕はちょっと語気を荒げて言った。まずは軽いジャブだ。軽くないか。

「失礼しました。いえ、立派なお名前だと思っただけです。お気に触ったのでしたらすみません」

 岩田さんはまだにこやか。さすがだなあ。両脇の二人が無表情で怖い。

「もうすっかり夏になりましたね。だいぶ暑くなって来て。私は暑さが苦手で、寝苦しい日が続いています」

 岩田さんが額の汗をハンカチで拭った。しかしここはファミレスだからエアコンが効いている。なんでそんなに汗をかいているのだ。

「北海道は涼しいんでしょうか」

 僕は訊いた。訊いてみた。

「涼しいでしょうねえ」

 岩田さんが普通に答えたので、僕は吹き出しそうになった。さやかちゃんは緊張した面持ち。

「岩田さん、今日はわざわざお越し頂いてスミマセン。教団の幹部の方と、是非お話がしたいと思いまして。さやかにダンドリをつけさせたんですが、何か失礼な事とかありませんでしたか。この通り、まだまだ子供なもんでして、ワガママ放題なヤツでしてね」

 僕はそこでガハハと笑った。心の底からガハハと笑えたが、意味不明だ。

「さやかちゃんはもう立派なオトナですよ。しっかりされています。それで今日は、どんなお話をいたしましょうか」

 岩田さんが切り込んで来た。両脇の気持ち悪い人達が、カバンをゴソゴソとやりだした。なにか資料とかパンフレットとかを持ちだそうとしている。

「ダイアローグ!」

 と僕は言った。

「は」

 岩田さんが息を止めて言った。

「対話です」

「はあ」

 岩田さんがぎこちない笑顔を浮かべる。両脇の人達が、パンフレットとかをテーブルの上に載せて、ごちゃごちゃと喋り出した。なんか施設の案内とか、北海道の情報とか、勝手にやりだしている。

「岩田さんと、対話がしたいんです」

 僕は言った。

「そうですか。それはいいですね。対話は大切です」

 岩田さんが答える。岩田さん、顔に笑いジワがあるから、笑顔がデフォルトなんだろう。憎めない感じ。

「岩田さん、対話は一対一が基本です。さやかは半人前ですから置いておいて、三対一では対話になりません。僕は対話をしたいのです。どうかご配慮をお願いしたい」

「いや、それは」

 岩田さんが少し困った顔をする。この人、そんなに悪い人じゃない。両脇の奴らはたぶん悪いヤツだ。くたびれたスーツのおじさんが、いきなり大きな声を出した。

「マツダイラさん、一度集会に来てくだされば分かります。今日の夜にも渋谷で集会があるんです。どうですか、ご一緒に」

 スーツのおじさんを僕は無視する事にした。

「僕は岩田さんと対話をしたいんです。その為に今日、ここに来ました。岩田さんっ」

 僕は迫って言った。

「分かりました。対話をしましょう。それとどうでしょう、こちらの山田さんがおっしゃるとおり、一度集会に来てくだされば、我々の事をよく分かって頂けると思います。よりしっかりと説明が出来る人間がいます」

 岩田さんが困った顔をした。くたびれスーツは山田か。目が血走ってる女性の自己紹介は無いのか。いや、いらないけどね。

「僕は岩田さんと対話がしたいんですよ。岩田さんに、ムクドリの会の事を教えて頂きたい。集会に行かないと、理解できないというわけでは無いですよね?」

「それはそうです。わたしもご説明できます。ただまあ、集会に出ていただければ、かなり効率良くですね」

「岩田さん、ダイアローグです。岩田さんと対話をしたいなあ。僕はそれが、人間交流の基本だと考えちょるんですよ」

 マジメな顔で僕は言った。さやかちゃんが笑いをこらえて、顔をテーブルの下に伏せた。岩田さんがさらに困った顔になった。両脇の奴らがなんだか騒がしくなって来たが僕は耳に入れない。というか、凄まじく実のない話をしているので、耳に入ってこない。こいつらはこれで、幸せなのかもしれないな。お前らの平和を乱してしまってゴメンな。許せよ。


 強引に押し切った。押しきれた。でもこれは僕の力では無い。経験上、本当に気持ちの悪いやつは最後まで気持ちが悪いし、話が通じないはずなのだ。ところがこの岩田さんは、結構話が出来そうな感じだ。気持ちの悪い組織の中に、まともな人がいる、というケースは珍しくない。だからこそ、たちが悪いとも言えるのだが。

 二次会は居酒屋へ行くことにした。一次会で僕も頑張りすぎたので、もう酒が飲みたい。岩田さんも疲れていると思う。

 安いチェーン店の居酒屋に入って、岩田さんは大人しくメニューを眺めている。この人はこれで素だなあ。全然悪い人じゃないよ、これは。

「岩田さん、ビール飲みませんか。乾杯しましょうよ」

「いや、それは」

「お酒、ダメなんですか」

 僕は岩田さんに訊く。

「岩田さん、パパと飲んでたじゃない」

 さやかちゃんが強い語調で言う。

「じゃあまあ、一杯だけ」

 岩田さんが困った顔で頭をかいた。柔らかい人。しかし、こういう騙し方もあるのだ。僕はアジアでさんざん引っかかった。完全に自分の方が優位に立ったと思ったら、もう完全に騙されているのだ。ポーカーの詐欺とか、妹が日本に留学する詐欺とか、母親が病気詐欺とか。いろいろあったなあ。

 かんぱーい、と言って僕らはビールジョッキを交わす。さやかちゃんもビール。岩田さんが顔をしかめている。

「さやかちゃんは、高校三年生だったかな?」

 遠慮がちに岩田さんが聞く。

「そうですけど。だから何ですか?」

 さやかちゃんが不機嫌な顔で言った。不良になってしまった。俺のせいだ。姉さんに顔向け出来ない。

「まあまあ、般若湯はんにゃとうと言う事で。ムクドリの会も仏教系なんですよね」

 僕は岩田さんに言った。

「般若湯ですか。しかし未成年の方が飲酒というのは……」

「ムクドリの会は仏教系なんですよね!」

 僕はもう一度訊いた。

「あ、はい。仏教系です。どこの宗派に属するという訳ではないのですが」

 岩田さんが慌てて答えた。

「たしかアレだ、日本の仏教は飲酒を禁じているわけではなく、飲酒をして悪事を成すことを禁じている。そんな感じですよね」

 僕は和やかに言った。

「よくご存知ですね、マツダイラさん。もしかして何か、宗教のお勉強をなされているんですか」

 岩田さんが上手に訊いた。上手だなあ。

「僕は無宗教ってわけではないんですが、不可知論者ですね。神様がいて欲しいとは思う。だけど現在の人間の知恵では、そこに到達することは出来ないと僕は信じている。ある意味、そういう宗教という言い方が出来るかもしれない。これって、仏教の考えにも近いと思うのですが。悟りっていうのはなかなか意味がわからないですけど」

 ビール二杯目にして、僕は酔いが急速に回ってきた。

「岩田さん、あなたは良い人だと俺は思います。だけど、俺の姪っ子を泣かせないでくださいよ。さやかが俺の家に来て、俺は嬉しいけど、姉の家庭が上手くいかなくなるのは、ちょっと嫌だな。岩田さんのせいって言ってるわけじゃないですよ」

「ムクドリって糞の被害とかが酷いんですってね。駅前がスゴいことになってて、テレビで言ってました。害鳥なんですよね、ムクドリって」

 さやかちゃんも調子に乗っている。

「あの、失礼ですが、ワタクシこのあとちょっと用がありまして……」

 岩田さんが立ち上がった。ヤバい、逃げられるぞ。

「分かった分かった。ゴメン、岩田さん。ちょっと俺ら調子に乗りました。スミマセン。飲み直しましょう、ね? そしてダイアローグ。対話と行きましょう」

 僕は言った。しかし岩田さんは首を横に振った。

「申し訳ないですが、さやかちゃんのお父様は、ご自身の意志でムクドリの会に入っておられます。私にはどうすることも出来ません。さやかちゃん、そしてマツダイラさん、お力になれなくてすみません」

 岩田さんはそう言って店を出て行った。お勘定も払わずに。


 僕はビールを三杯飲んで、さやかちゃんはビールを一杯と、フローズンダイキリを一杯飲んだ。それで店を出て、酔い覚ましに新宿の街の寂しい所をゆっくりと歩いた。


「岩田さん、たぶん良い人だったよ」

 僕は言った。

「うん」

 さやかちゃんが答えた。

「岩田さんに迷惑かけたな。ただそれだけって感じ」

「うん」

「何にもできなくてゴメン」

「ショウちゃん……」

「ハイ」

「私気持ち悪い。吐きそう」

 さやかちゃんの顔が真っ青だ。ココら辺の地理に僕は詳しい。昔、新宿で清掃業のバイトをしていた事がある。さやかちゃんを連れて、小さな公園のトイレへ駆け込む。汚い大便器に向かって、さやかちゃんが吐いている。その小さな背中を僕はゆっくりとさすっている。嗚咽に混じって、さやかちゃんが涙を流し始めた。苦しくて、切ない泣き声。

「俺がさ、今度姉さんの家に行ってみるよ。それでさやかちゃんのパパと話してみる。今度は真面目にやるから」

 僕は言った。さやかちゃんはまだ返事をする余裕が無い。吐いて、泣いて、を繰り返している。俺はいったい、何をしているんだろう。新宿の、こんな汚いトイレに姉さんの娘を連れてきて、泣かせて、吐かせて。


「ショウちゃん、有難う」

「うん。お茶、もう一本飲む?」

 僕らは公園のベンチに座っている。

「ううん、大丈夫。それとね、本当に有難う」

「あのさ……」

「岩田さんとショウちゃんがお話をしたって、何か解決するとか、私は思ってなかったの。ただ、何か仕返しみたいな事をしたかったのよ。ショウちゃんはちゃんとやってくれた。岩田さんを虐めてくれたし、ムクドリを馬鹿にしてくれたし、変な人達を無視してたし。私はそれで十分。とっても嬉しいの」

 そこでもう一度、さやかちゃんが涙をぽろぽろとこぼした。この姿を動画に撮って、さやかちゃんのパパに見せてやりたい。姉さんにも。でも、たぶんそれでも何も変わらないんだろう。

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