第5話

 さやかちゃんの学校が夏休みに入った。そして最初の日曜日。決戦は日曜日。いや、喧嘩をするつもりはないのだ。だけどどう考えてもすんなり行くはずは無い。それに、何を目的として話をするのだ? 可愛い姪っ子が、話をして欲しいと言った相手とただ話をするだけ。言ってしまえばそれが目的だ。俺は本当にいい加減だなあ。どう考えても大人じゃない。


「あのね、電話で連絡を取ったら普通に会ってくれるっていうの。ショウちゃんが私の叔父さんだっていうことも話して。私が北海道へ行きたくない事も話して。幹部の人は優しく聞いてくれて、それじゃあ一度叔父さんと、お話ししましょうって」

 さやかちゃんが言った。

「そうかー。優しいっていうのが怖いね」

 僕は言った。表面的に優しい大人は怖い事が多い。

「でしょう? それでね、幹部の人が、高円寺にあるネパール料理屋さんで会いましょうって言って来たの。そのお店、絶対にその宗教関連のお店だと思う。私はすごく気持ちが悪くなりました」

 さやかちゃんが憤慨して言った。

「ネパール料理か。ちょっと食べたいなあ。あれだ、餃子が美味いんだよ。モモって言ったっけな。香辛料が入ってて独特の味がする」

 僕は思い出にふける。高山病と二日酔いで、死にそうになったことがある、ネパールで。アレはかなり死んだな。

「それで私、新宿のファミレスで会いたいですって言いました。そうしないとフェアじゃないでしょう? 知らないネパール料理屋なんて、行きたくないですって言ったの」

「言っちゃいましたか」

「もちろん。そうじゃないとフェアじゃないですよ、って私は言いました。幹部の人に」

「言ったのかー」

「言ったよ。何? ショウちゃん、怖くなっちゃったの?」

 さやかちゃんが怒ってる。可愛い。

「いや、普通に怖いよ。大人って怖いもん。俺、行きたくないよ」

 僕は震えるマネをして言った。

「ショウちゃんは今年、何歳になるのよ」

「三十五歳」

「アジアの怖い人とお友達なんでしょう? それで商売もやってるんでしょう。アンダーグラウンドなんでしょう?」

「そうですけど」

「だったら日本の大人になんか負けないで。薄ら笑いの宗教の人なんかに負けないで。商売とか、貧乏旅行をする方が絶対に大変なんだから。ショウちゃんなら大丈夫。私、自信があるの」

 さやかちゃんが怒涛の勢いで言った。もう涙なんて無い。思いっきり戦闘態勢で、熱くなっている。


 僕らは電車で新宿に向かっている。

「俺さ、二十四の時に、初めて長期でアジアに旅行しようと思ったんだ。大学を出て、ロクに就職活動もしないでバイト生活で。学生の時に楽しく旅行をした名残を求めて、旅をしようと思ったんだ」

「うん」

「バイトで百万円貯めて、予定なんて無いよ。でも旅がしたくてさ。でも親とか親戚に結構怒られて、やっぱり就職の為に資格でも取ろうかな、って心が揺れたわけ」

「情けないなあ」

 さやかちゃんががっかりした顔で言った。僕は笑う。

「そしたら姉さんがさ、さやかちゃんのママがだよ。『ショウちゃんは旅をしないとダメ。バカな大人たちに流されてはダメ』って言ったんだ。驚いたよ。姉さんは絶対に他人の批判をしない。それと『ダメ』みたいな強い言葉も使った事がなかったから。本人は銀行に就職して、頑張って働いていたんだ」

「さすがママ。やっぱりママだな」

 さやかちゃんが嬉しそうにする。

「それで俺に金をくれたんだけど、いくらくれたと思う」

 僕はさやかちゃんに訊いた。

「百万円ぐらい?」

「三百万」

 僕は言った。当時の状況を僕はじっと思い出す。

「ウソ! なんでママはそんなにお金を持ってたの?」

 さやかちゃんが言った。

「姉さんは銀行に就職して、三年目だったかな。元々無駄遣いとかしない人だし、コツコツ貯めてたんだと思う。学生の時のバイト代も入っていたかも。恐らく全財産ぐらいを俺にくれたんだ。というわけで俺は、何の苦労もなく一年半ぐらい旅を続けました。ヨーロッパまで足を伸ばすことも出来た」

「ショウちゃん……。三百万円、全部使っちゃったの?」

「使っちゃったよ」

 僕は笑った。でもそのおかげで、たくさんの怪しい兄弟がアジアに出来たのだ。酒はおごるし、可愛い女は連れてくるし。気前のいいヤツとして、地元のコミュニティに入れてもらったのだ。

「楽しかったなあ」

「ショウちゃんって結構酷い。私なら三百万円も受け取れない。いくら姉弟きょうだいでも」

 さやかちゃんがプンスカしている。確かにそうだよな。

「だから言ったでしょ。俺は最低レベルの大人なんだよ。もしくは姉さんの子供みたいなもんだ。さやかちゃんと同じ立場」

 さやかちゃんが爆笑した。女の子を笑わせる事に関しては僕は少し自信がある。

 電車が新宿に到着した。そうだ忘れてた、これから宗教の人に会うんだった。ヘビーなイベントなのに、なんか思い出に浸ってしまった。急にドキドキしてきた。さやかちゃんは落ち着いて、何故かしんみりとした顔をしている。

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