第2話
そんな平和な日常に不吉な影が訪れた。僕はこの展開をある程度は予想していた。何故かと言うと、僕の店の土地建物の所有権は僕の叔母にあり、それをほぼ無償で借り受けている。だからいいかげんな経営をしてもなりたっているのだ。親戚関係の、なにかトラブルが持ち込まれる可能性があるだろう、と僕は思っていた。世の中の大人たちは忙しい。フラフラしていて気楽な僕の存在は、問題ごとが起きた時の格好の投げ込み寺というわけだ。ある程度覚悟は出来ていた。
閉店間際の午後八時過ぎ。店に長身の女の子が入店して来た。大人びている感じだけど、よくみれば幼さも感じさせられる。そしてなにかちょっと懐かしい感じがした。
女の子は店の商品をひと通り眺めた後に、レジカウンターの前にやって来た。思いつめたような表情で僕の顔を見詰める。結構な美人だから悪い気はしない。僕は笑顔を返した。
「あの、オジさん……」
と女の子が言った。
「おじさん?」
僕はオウム返ししてしまった。
「私、
女の子が切実な表情で僕を見て言う。
片山清子。僕の姉の名前だ。ということは、彼女は僕の姪っ子ということになる。
「えーと、久しぶりだなあ。爺さんの法事で会った以来だから……五年ぶりぐらいかな」
僕はほがらかに答えた。僕の姪っ子がこんなに美人に育っているとは。単純に嬉しかった。僕の姉は割りと綺麗な人だけど、凄い美人っていうわけではない。でもこの子はすっごい美人だ。ビックリした。
「昇一叔父さん」
美人に叔父さんって言われて嬉しい。
「うん。どうした? 遊びにきれくれたの? っていう雰囲気でもないか」
僕は言った。
「私、家出したんですけれど、行く所が無くて」
深刻な表情だ。彼女はもう高校生ぐらいのはず。
「まずは落ち着いて。姪っ子を門前払いはしないよ。だけどちょっとだけ質問させてもらってもいい?」
「ハイ」
「ゴメン、姪っ子ちゃんの名前が思い出せない。申し訳ない」
「さやかです。片山さやか」
切ない笑顔で彼女が答えた。可愛いなー。
「そうだ、さやかちゃんだ。思い出した。小さい頃から可愛かったよなー。昔話とかしたいけど、今は止めとこう。家出の理由は訊かない。だけど、なんで俺の所に来る気になったの?」
「あの。家出をして親戚を頼るって、普通はあり得ないと思います。だけど叔父さんなら、受け入れてくださるかなって思ったんです。あの……」
さやかちゃんが困った顔をする。
「俺がフラフラしてるから、簡単だと思った?」
僕は言った。さやかちゃんが困った顔のまま黙って頷いた。僕は笑う。
「来てくれて嬉しいよ。大歓迎だよ」
「あの、今夜泊めてもらえますか?」
「もちろん。あ、フラフラ人間だからって、襲ったりしないから心配しないで。俺は一階で寝るから。さやかちゃんは二階でね。でも悪いけど、ウチはフロが無いんだよ。銭湯に一緒に行く?」
僕はちょっと遠慮気味に誘った。
「叔父さん、有難うございます。とても助かります。よかった」
さやかちゃんが涙をにじませる。び、美少女だな。
午後九時になったので店を閉める。もろもろの後片付けをして、二人で銭湯に向かう。さやかちゃんは結構身長が高い。たぶん百七十センチはあるだろう。俺と同じぐらいだ。最近の子は発育がいいなあ。
「あのさ、姉さんに連絡してもいいかな。あの人ものすごい心配性だから、今頃気が狂いそうになってると思うんだけど。でもさ、姉さんが何を言おうと、無理にさやかちゃんを実家に追い返したりはしないよ。安心して」
僕は言った。
「あの、わたし、一応置き手紙はして来ました。叔父さんの所へ行くって、ちゃんと書きました。でもやっぱり、電話をして頂いたほうがいいかもしれません。本当に申し訳ありません」
この子は賢い。たぶん優等生タイプだ。雰囲気で分かる。だから家出したという理由も、だいぶ複雑なのだろうと僕は思った。
「それじゃあさ、一応電話するね。なにか伝えたい事はある?」
「叔父さんに頼んでもいいのかな……」
さやかちゃんが涙混じりに言う。頭が良さそうだけどこの子、けっこう純真そうにも見える。
「あのさ、叔父さんっていうのは堅苦しいし、俺、ちょっと違和感がある。そうだなー。昇一おじさん、昇一さん。姉さんが言うみたいに『ショウちゃん』でもいいし。呼び方を変えてくれたら有難いんだけど」
僕は言った。
「……思い切って『ショウちゃん』って呼んでもいいですか?」
さやかちゃんが少し笑って言った。僕はビビった。彼女の遠慮が急に吹き飛んだ感じだ。この感じは姉さんとすごく似ている。割りと天然系なのだ。そういうのは好きだけど。
「じゃあ、そういう事で。それでほら、俺が姉さんに伝える事。なにかあるかな?」
「ママとパパが別れないなら、私は家に帰りません」
さやかちゃんが真顔で言った。
「お、重いね。それ、俺が言ってもいい事かしら」
「叔父さん……じゃなくて、ショウちゃんが言ってこそ、威力があると思うんです。ダメですか?」
さやかちゃんが可愛い顔で迫ってくる。
「まあ、言ってみるよ」
僕はどうしようもなく答えた。
銭湯の帰り道にスーパーに寄って、半額の寿司とかを買う。僕は少し迷ったけど、いつもどおりビールもたくさん買ってしまった。さやかちゃんに対して、僕はあまり遠慮しない方がいいと思った。そのほうが彼女も少しは気楽になるはずだ。たぶん。
「スゴい。千円のお寿司が四百円だって。こっちのお弁当は定価が四百円なのに、百五十円になってる。楽しくて買い過ぎてしまいそう」
さやかちゃんが弾んだ声で言った。お惣菜の閉店セールは初めての経験らしい。
「だけどねえ、寿司とか刺身とか、デロデロだよ。揚げ物とかも時間が経ってるから味が悪い」
僕は言った。
「これをたくさん買って、冷凍保存しておいたら凄く節約になりそう」
僕の話をあまり聞いていないさやかちゃん。こういう所も、すごく姉さんに似ている。
「マズイものを貯めこんでも、いいことはないよ。しかも刺身なんて冷凍したら地獄だよ。実はやったことがある」
僕が言ったら、さやかちゃんがお腹を抱えて笑った。なんて可愛らしい。子供の部分がまだだいぶ残ってるな。
夕飯の他に、さやかちゃんの生活物資を少し買って家に帰った。
姉に電話をした。予想外に姉は落ち着いていた。僕がさやかちゃんに頼まれたコトヅテ。「ママとパパ」の件を伝えたら、少し押し黙ってからこう言った。
「さやかを……少しショウちゃんの所に置いてもらってもいい?」
「もちろんいいけど。さやかちゃん、学校は?」
「あの子、最近学校に行ってないのよ。登校拒否をしてるの」
それは姉さん達夫婦の事が関係しているのか、そんな事はもちろん訊けない。
「まあいいや。とりあえず預かるよ。さやかちゃんに何か伝言はある?」
僕は訊いた。
「うん。ごめんね、と伝えて。それから、もう少しだけママ達に時間を頂戴って言って置いて」
姉が言った。
「分かった。あのさ、これは余計な事だと思うけど、姉さんが俺に相談したい事とかある? あまり力にはなれないと思うけど」
「有難う。ショウちゃんは相変わらず優しいね。そうだな……、もし私が行く所が無くなっちゃったら、ショウちゃんのお家に泊めてくれる」
姉が笑って言った。これは冗談だ。
「狭いけど歓迎するよ。
僕は笑って答えた。それで、電話は終わりになった。
かんぱーい、と言って、僕らは夕食を食べ始める。僕はビール。さやかちゃんはカルピス。やっぱり子供だ。
「全然お寿司美味しい。冷たくて固くなってるから、押し寿司みたい」
さやかちゃんが笑って言った。
「ポジティブな考え方ですね」
僕はそう言って寿司をつまむ。マズくはないけど、やっぱりそんなに美味くない。
缶ビールを一本飲み終えて、僕は姉の言葉をさやかちゃんに伝えた。さやかちゃんは表情を変えずにじっと聞いていた。
「わたしもビール飲もうっと」
冷蔵庫から勝手にビールを出してくる。プシュッとさやかちゃんが蓋を開けた。
「ダメって言わないの?」
「えーと、さやかちゃんは高校生だよね?」
「うん、高校三年生。あと半年で受験」
ビールに口を付けないで、さやかちゃんが言った。
「まあ、ビール一本ぐらいはいいんじゃないの? 姉さんも中学から飲んでたし」
「ママが? 中学で?」
「うん、ウチは親が酒飲みだから。さやかちゃんのお爺ちゃんとお婆ちゃんね」
そうなんだ、と言って、さやかちゃんがビールを一口飲んだ。
「苦い」
「もしかして初めて飲んだ? ビール」
「うん。でもちょっと美味しいかも」
「初めてなら尚更、一本にしておいた方がいいよ」
「分かりました」
ビールを飲み干し、夕食もあらかた食べ終わり。さやかちゃんは白い顔のまま、目が座っている。これは酔ったな。マズイなあ。
「少しここで暮らすの」
さやかちゃんが言った。
「うん、分かった」
「明日、服とかを買いに行く」
「うん」
「学校には行かないの?」
僕は何気なく訊いた。
「あー学校か。この機会に行くことにしようかなあ」
「制服とか、カバンとかは」
「ウチの高校は制服ないの。カバンも自由。教科書はロッカーに入れたまま」
「そりゃ都合がいいね。でもちょっと遠いよな。そうだ、定期買った方がいいかな。いくらぐらいするかなあ」
僕は言った。
「お金は私、持ってます。パパのへそくりとキャッシュカード持って来たから」
「マジで。用意周到だな。へそくりの場所とか、子供に簡単にバレちゃうものなのかね」
さやかちゃんが急に顔を赤くした。
「えーと、パパの本棚の奥の……。大人向けのDVDの箱の中に入ってた」
「そうですか」
パパも工夫が足りないなあ。
そういや、姉さんと兄さん。兄さんといっても義理だけど。二人はかなり幸せな感じで結婚したような気がする。姉さんはほんわかした人で可愛らしい感じ。兄さんはカラダがでかくてゴリラみたい。顔も悪く無い。お姫様を守ろうとする騎士のような感じだったのに。どっちかが浮気したのかなあ。姉さんが浮気っていうのは考えられない。ゴリラも不倫とか無理そうな感じだったが。一人っ子のさやかちゃんを溺愛していたよなあ。分からん。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます