大通りを偵察して戻ってきたその人は「もういいぞ」と言って、建物の壁に寄りかかった。肩で息をするような息遣いが聞こえてくる。

「すみません」

 痴漢扱いしてしまったことがいたたまれなくって、お礼より先に謝罪が漏れた。

「なぁ」

「はい……」

「そろそろ模写の魔法、解いてくれる?」

「はい?」

 不機嫌な声が、日が落ちた後の薄寒い空気を伝って、ぼおっとした頭を揺り動かす。

「俺がしょんぼりしてるの見てるみたいで、すっげー気持ち悪いんだけど」

 はたと、自らを見下ろし気づく。

 すっかり忘れていた。自分に魔法をかけたこと。

「す……ごぉい」

 想像以上の出来栄えに、思わず自画自賛の声が漏れた。

「だから、気持ち悪いって」

 オエーという声が聞こえないふりをして、頭やら頬をペタペタ触る。久しぶりの達成感をひとしきり味わった後、はて、と首を傾げた。

 戻るのって、どうやるんだっけ。

 熱く昂っていた気持ちに、現実という名の冷水を浴びて、わたしはしゃがみこみ、頭を抱えた。

 言えない。

 魔女じゃないのに、魔法を使ったなんて。

 これ以上迷惑かけられない。

 ってことは、一生このまま!?

 汗に混じって無念の思いがじわりと滲んだ時、くいと顎が捉えられた。暗がりに浮かび上がるようなに釘付けになる。

「だから。俺で百面相するなって」

 その黒眼くろめは、ほんのりと赤みを帯びていた。それは、ギフテッドの証。

 この人は、魔法業界で言うところの【運命の子】だ。

 わたしは、ごくりとつばを飲んだ。

「あの」

「なに」

 ぶっきらぼうな声が、ズン、と耳に響く。顎下には、目立つ喉仏がしっかりと見えた。

「もしかしてアナタ……男性ですか?」

 運命の子は怪訝そうに眉頭を寄せた後、すぐに「あぁ」と頷いて、あっさりと認めた。

「そう。オトコ」

 わたしは大人げないほどのため息をついた。

 なんてことだ。一生分の運を使い果たした。もう、二度と宝くじなんて当たらない気がする。

 それが顔に出てたことは否めない。 

 男は顎にかけた指を伸ばして、片手でぐっとわたしの両頬を挟んだ。それからクスリともせずに指先に力を込めた。

 唇がタコのように突き出て、輪郭がひょうたんみたいに歪んでいくのがわかった。

っったい!!」

 我慢の限界に達して、力の限りその手を振り払った。

 男の株は、地の底まで暴落した。

 こういう人間に対しては。

「助けてくれたのは、ありがとう。ほんと、心から」

 関わらない。逃げるが勝ち。くるっと踵を返した時。

「待て、さかえの関係者」

 返した踵が動かなくなる。

「アンタの後をつけてきたのは、リリアさんに会うためだ」

「は? つける?」

「そう、喫茶店から」

 堂々とした不審者発言に、肩から力が抜けつつ振り返る。

 喫茶店で、外を見た時に目があった人って、もしかして、こいつ!?

 さっき感じたいたたまれなさを、半分返してほしい。

「引き合わせてくれ。彼女の元で働きたい」

 赤い黒眼から目を離さず、ジリジリと後退していると、千切れた髪の毛が頬を刺す感覚があった。

 気づけば、魔法は解けていた。

「あんたが、解いたの?」

 男が平然とした顔で「まぁ」と、首をかたむける。

 なるほど。どこの誰かは知らないし、すんごく傍若無人だけど、腕だけは確か。猫の手も借りたい榮家で、即戦力になってくれるかもしれない。

 少し考えた後、叔母の所に連れて行くことにした。

「ただし!」

 わたしはひとつだけ彼に条件をつけた。

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