へりくつ20 跳び箱の謎
体育館に、タン、と乾いた音が響く。助走をつけて、思いっきり踏み切り板を蹴る。僕の体はふわりと宙に浮いて、開いた両手は跳び箱の硬い感触を確かに捉えた。今日、僕は初めて三段の跳び箱を飛べたんだ。
家に帰ると、僕はランドセルを放り出すのももどかしく、リビングでだらしなくテレビを見ている父さんの元へ駆け寄った。
「お父さん! 聞いて!」
僕が興奮気味に声を上げると、父さんはゆっくりとこちらを振り返った。
「今日ね、体育の授業で跳び箱を飛んだんだ! 三段、飛べたんだよ!」
どうだ、すごいだろう。僕は胸を張って報告した。今までずっと怖くて飛べなかった、あの木の塊を乗り越えたんだ。父さんは「ほう」と感心したように頷くと、僕の頭をわしわしと撫でた。
「それはすごいな! よく頑張ったな」
父さんは一度力強く頷いてから、改めて僕の顔を見て言った。
「そうか、三段か。それは良かった」
父さんのその言葉に、僕は少しだけ拍子抜けした。せっかく褒めてくれたのに、なんだか含みのある言い方だ。
「うん……。でも、何が良かったの?」
僕が首をかしげて尋ねると、父さんは急に声をひそめ、いつものように、世界の秘密を打ち明けるような顔つきになった。
「いいか、空。跳び箱っていうのはな、ただの木の箱じゃないんだ。実は、五段以上の大きな跳び箱になると、中に人が住んでいる可能性があるんだよ」
「ええっ!? 人が!?」
僕は思わず大きな声を出した。あの冷たくて硬い箱の中に、人が住んでいるなんて。
「そうだ。家がなくて困っている人が、こっそり住み着いていることがあるらしい。だから、あまり高い段をドスンドスン飛んでいると、『うるさいぞ!』って、中から怒鳴られることがあるんだ。三段くらいでやめておいて、正解だったな」
父さんは、さも当然だという顔で続けた。僕の頭の中では、体育館の隅に置かれた、あの巨大な八段の跳び箱が浮かんでいた。薄暗い木の箱の中で、誰かが息を潜めて暮らしている。僕たちが体育の授業をしているのを、どんな気持ちで聞いているんだろう。
もしかして、あの段と段の間の、ほんの少しの隙間から、こっそり外の様子を覗いていたりするのかな……?
僕の心の中で、跳び箱はただの運動器具ではなく、誰かの大切なお城へと姿を変えたのだった。
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