執筆家殺しのトドオカさん

我肉(がにく)

プロローグ


「やっぱり…やっぱり無理だ…」


送信ボタンから手を離し、そっと削除ボタンを押す。


「とても、見せられる出来じゃない…」




小説を、書くことが好きだった。

自分の好きなように表現できるのが、楽しかったから。


そんな思いで書いた一節。1000文字に満たないような、とても小説とは言い難いような出来。それでも僕は、満足だった。自分の作品を、好きになることができた。


気づけば、一日中小説のことを考えるようになっていった。思いついたアイデアをそのままにしておくのがもどかしくて、授業中や休み時間に、こっそり小説を書き進めていた。


…誰かに見せてみようか。書いている内に、そんな思いが、脳裏をよぎる。


SNSを使っていると、たまに見かける人(確か、ユウオカさん?)が小説の募集を行っているのが見えた。いい機会だと思い、小説を一本仕上げ、提出してみようとする。


その、直前で指が止まった。


書いていた時は、あんなに良い作品だと思ったのに。あんなに魅力的に見えたのに。人に見せることを意識した瞬間、色んな粗が目立ち…作品が腐って見えた。


…ダメだ。


削除ボタンを押して、全て、無かったことにする。


その後も、何回か見せてみようかと言う気持ちが生まれ…その数だけ、作品が腐るのを見届けた。




(書くことは、好きなんだけどな…)


聞こえてくる先生の解説を流しながら、新しいアイデアを書き起こす。


次は、ヤブ医者をテーマにして書いてみようか。ただの医者じゃなくて、不治の病を治すためにわざと嘘をついて治った気にさせる…そんな設定にすれば、きっと面白いはずだ。


そこに、苦悩や迷いなんかを入れれば…

うん…こんな、もんだろうか。

出来上がったものを見て、満足する。


チャイムの音を聞きながら、充足感に包まれる。


「ねえ、さっきは何書いてたの?」


突然、後ろから声を掛けられる。

咄嗟の行動で、ノートを畳んで中身を隠す。


「えっ!?な、何も書いてないよ!?」


後ろを振り向くと、同じクラスの女子…詩さんがいた。直接話したことはないけど確か…文芸部の人だったっけ。


「…そんな訳ないでしょ。明らかに黒板に書いてる内容より多く書いてたし…何より、黒板の方、見てなかったじゃん」


「それも、今回だけじゃない。…相当な執筆オタクと見た。その小説、私に見せてみなさい」


「…何で小説って分かったの?」


「そりゃあ、君が畳んだノートの表紙にご丁寧に書かれてるからね…」


「あ、えッ!?」


ノートの表紙には、『小説専用ノート』と油性ペンで大きく書かれている。


(誰かに見られる想定をしてなかった…!)


「ほら、見せてみなさい!絶対に悪く言わないから!お願い!」


「…変だけど、文句言わないでね」


詩の圧に押し負け、渋々ノートを渡す。


「…出来れば一番新しいやつにして。まだマシな出来だと思うから」


「はいはい。分かってますって」


そう言いながら、詩はノートを受け取り、小説を読み始めた。


(…何で渡したんだ、僕…!!)


今になって、後悔が押し寄せる。

あんなに人に見られるのを拒んでいたのに。小説の腐敗を、何度も見届けてきたのに。


…手汗が止まらない。

鼓動も、気つけばロックかと勘違いするほどに、ハイテンポなビートを刻んでいる。


蛇に睨まれた蛙のように。

判決を待つ犯罪者かのように。


ただ黙って、詩さんが読み終えるのを待つしかなかった。


「…うん、大体読み終えた」


ざっと目を通したかと思うと、詩は言う。


「荒削りな所はあるけど…良い作品じゃん」


「ほ…本当!?」


「本当だって。私が言うんだから」


「私が言うんだからって…詩さん、何者なのさ」


「…良いよ。読ませてくれたお礼に、教えてあげる」


「私は…留丘 詩(トドオカ ウタ)。SNS上だと、トドオカって名前で活動してるの」


「トドオカって…あの!?」


流石に噂は聞いたことがある。二つ名を、『執筆者殺しのトドオカ』…そう言う。

あまりの読み込みの深さ、その正直さから…レビューをお願いした執筆者がボコボコにされているのを見たことがある。


確かに一致してるな…とは思ってたけど、そのまま本人なこと、あるんだ…


「…どう?驚いた?」


「うん、そりゃあ…」


(名字をそのままSNSで使ってるのもだけど…)


「それでね、一つ提案があるんだ」


「実は今文芸部が部活続行の危機でさ…うちの部、入ってくれない?」


「…いや、俺他の部活入ってるし…」


「うち、兼部オッケーだから!活動内容も…君が持ってきた小説を私が添削してればやった事になるし!」


「…それって、僕に毎日書けって…」


「…多分今までも沢山書いてきてるでしょ!そう言うのでも良いから!お願い!」


手を合わせ、お願いされる。

全ての断る選択肢をことごとく潰され…


「はい…」


そう言って、入部届に印鑑を押した。




◆◇




翌朝。


教室に入ると、トドオカさんが既にいた。


「お、ちゃんと来たね!」


「これ、今まででまだマシなやつです。昨日見返して…自分で色々添削してきました」


「了解。じゃあ読ませてもらうね」


…昨日の作品でも褒められたんだし、多分…大丈夫。…な、はず。


「オッケー。読み終わった。で、だけど…」


「はい」


褒め言葉を期待する、が。


「この作品を語る上で重要な殺し屋の描写に生活感を感じない。そこが抜けてるから何となく全体の雰囲気に感情移入ができない」


「最後にこのキャラが助っ人に来ると言う設定だけど、何で最初から出さなかったの?人類の危機って言うんだから、出してないのはおかしくない?」


「それは…話の整合性よりも盛り上がりを重視した方がいいかなと思って…」


「その考えは間違ってはないけれど、それは整合性のズレが気にならないレベルに達してからの話だと思うんだ。この作品は、あまりに気になるシーンが多い」


これは確かに、執筆者殺しだ…


でも、言ってることは、全部正論だ。

だからこそ、その一言一言が深く正確に僕の急所を刺してくる。


「とりあえず今言ったところは変えてきて。良いところはちゃんとあるから。また明日…よろしく」


何だろう…逆にここまでズバズバ言われると、恥ずかしい、見せたくないと言う感情より…見返してやりたいと言う感情の方が大きくなってくる。


クソ…明日こそは認めさせてやる…!


家に帰って、食いつくようにノートに文字を書き込んだ。




「主人公の行動に違和感を持ってしまう」

「整合性をとるあまり、面白みに欠ける」

「ここの矛盾って、伏線?」


…クソッ!明日こそは…!


時には作品を変え、ジャンルを変え…

トドオカさんをギャフンと言わせようと奮闘する。


気づけば、1冊だった小説専用ノートは2冊、3冊…と増えていった。




そして…


「今日こそは、絶対に認めさせる…」


教室のドアを開ける。


「…あれ」


教室の中には、誰もいない。


彼女のものだろうか。トドオカさんが座っていた席には、何枚かの原稿用紙が置かれている。


「…これ…トドオカさんのか…?」


…そういえば、トドオカさんに僕の作品を見てもらうことは何回もあったけど、僕がトドオカさんの作品を見たことはまだ無かった。


…気になった。

『執筆者殺し』と呼ばれる彼女が、どんな小説を書いているのか。


興味本位で、僕はその原稿用紙を手に取って、読み始めた。




ガラガラ…


「ごめん!急に先生から呼び出されちゃって…」


「あ…私の小説…置いてたの、読んだんだ。…どうだった?」


「…凄い出来だったよ。感動した」


「それは良かった。それじゃあ今回も添削を…」


「ごめん」


「今日は、小説、できてないや」


「…ごめん」


教室の外へと、駆け出す。


「…ちょっと、どうしたの!?」


後ろから聞こえてくる声に、栓をしながら。




体育館裏。


ここに、用事があって来たわけじゃない。

トドオカさんがいなければ、どこでも良かった。


彼女の作品を読んでみて…

彼女が『執筆者殺し』と呼ばれている、本当の理由が分かった。


彼女の小説は、完璧だった。何もかもが自分の作品を上回っているような…読んでてそう、分からせられた。


彼女の作品と比べると、僕の小説は…あまりに拙い。…とても自分の小説を添削してもらうつもりには、なれなかった。


その後、適当に授業をやり過ごし、帰って机に向かってみても。

…書けない。


どんなアイデアを出しても、どんな小説を書いても。彼女の作品を越えられない。そんな気が、した。


…僕は、トドオカさんになれない。




◆◇




「…ねえ、どうしたのさ。昨日は小説を出さないままどっかいっちゃうし、今日に限っては小説ノートすら持って来てないし…」


「ごめん、なんか、書けなくなっちゃって…」


「…もしかして、私の書いたアレが関わったりしてる?」


「例えば、私の小説が微妙だけど中々言い出せないみたいな…」


「…それだけは、ない」


「トドオカさん、それだけはない。君の作品は、最高のものだった。それは確実に、心の底から言える」


「…ごめん、ちょっと体調が悪いから今日は学校休む」


「…トドオカさん、またね」


踵を返し、教室のドアを開ける。


「待って!いや、待たなくても良いから聞いて!」


「何で私があの日、君の小説を評価したのか分かってる!?」


「君の小説の中に、私のにはない良さを見つけたからだよ!!だからッ!それをちゃんと分かって!!」


「…明日の朝、またここで待ってるから!!絶対、君の小説!書いてこい!!」


「…ッ」




その日僕は初めて、『ズル休み』なるものを使った。


家に帰った後、ベッドに寝転び、天井を見つめる。


「あー、くそ…」


僕にしかない…良さ?

トドオカさんが言うなら確かにあるんだろうけどさ…僕にはわかんないよ…


「あー…」


何で、今まで小説を書いてたんだっけ。

何で、ここまで頑張り続けられたんだっけ。


そんな簡単な事さえ、分からなくなる。


「もうお昼か…」


冷蔵庫から、適当に残ってたおかずをチンして、ご飯と一緒に食べる。


そして自室に戻って来て…


無意識に、座った。

いつも執筆を行う、机の椅子に。


自然と、書きたいものが頭の中に、溢れてくる。


…何で、今まで小説を書いてきたか?

…何で、ここまで書いて来れたのか?


…思い出した。


僕は、書くのが好きなんだ。


「分からなくても…書かなきゃ何も始まらないよな」


机に向き合い、そして、綴り出す。

僕だけの世界の、あらすじを。


…僕は、トドオカさんになれなくてもいい。


ただ今は、一番、気持ちを乗せれる題材を。




翌日。


ガラガラ…


「…おはようございます」


「…ちゃんと、書いてきた?」


「はい。一番、強みの生きたやつを」


「…なら、見せてもらおっか」


ノートを、トドオカさんに差し出す。

彼女は、それを少しみた後。


「ちょっと、これは時間を取らせて読ませてもらうね。放課後、この教室で感想を言うよ」


「…分かった。…それじゃ」


僕は自分の席につき、勉強を始めた。

…だが、思うように手が進まない。


(全力は出したけど…正直これで合っているか自信はない)


今回僕が意識したのは…専門性。

今までは殺し屋の表現が甘かったり…自分の専門ではないことを書こうとしていたから、理解不足で良い文章にならなかった。

主人公に自分を重ねられなかったから…行動に違和感が生まれた。


だから今回の作品は…専門性を、極限まで高めた。


僕が一番知っているのは…僕自身のこと。

僕が一番細かく描写できるのは…僕自身が、経験したこと。

僕が一番共感できる主人公は…僕自身。


だから、そうなるように書き上げた。

だけど…このお話は、まだ、未完成。

ここからは…僕のアドリブ。




◇◆




あっという間に時は過ぎ去り…放課後。


「じゃあ、感想…言うね」


「…あの…何だ、君の書いた小説みたいに、カッコよく言うみたいには出来ないんけどさ…」


「気持ちが籠ってて、良い作品だったよ」


…あの時以来の、褒め言葉。


「…ありがとう、ございます」


見返してやりたい…あの時はずっと、そう思っていたけど。


終わってみれば、ただトドオカさんに対する感謝しかなかった。


…少し、気まずい沈黙が流れる。


「あの、もし君が良ければ何だけどさ」


「…はい」


「次にそのお話を書く時は、私をヒロイン枠に入れてよ」


「えっ…えっ?それって…」


「…今の、誤植表記って事にしとく?」


「いやちょっと待って下さいって!」


「締め切りが近づいてるよ…!」


このお話は、まだプロローグ。


ここから、僕の人生はまだまだ続いていく。


けどとりあえず…長くなっちゃうから、とりあえずここら辺で。




『執筆者殺しのトドオカさん』完。

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