3-2
僕は母さんとスーパーへ買い物に出かけていた。お一人様お一つ限りの卵をを二つ買いたくて、僕が駆り出されたのだ。
「ハジメちゃん、から揚げでいい? でもせっかく卵を安く買えたんだから、オムライスでもしよっか?」
「どっちでもいいよ」
十六で姉さんを生んだという母さんは若く、まだ三十代だった。そして年齢よりも若く見えるため、いまだに二十代だと思われることがあるというのが母さんの自慢だ。だからなのか、松竹梅トリオからも名前で呼ばれていて、お姉さん感覚で接してもらっている。
僕はそんな母さんを少し恥ずかしいと思っていた。快活なのは良いことだろうけれど、そういうところが親というよりも友達のように感じるのだ。
「どうしよっかなー。お父さんはから揚げのほうが良いかな。どっちも作っちゃおっかな」
「どっちでもいいよ本当に。早く終わってくれたら」
「もう! なんでハジメちゃんはそんなにつれないかな。たまにはお母さんの買い物にゆっくり付き合ってくれてもいいじゃない」
「いや、この歳で母親の買い物に付き合うのは結構恥ずかしいんだよ」
近所のスーパーなだけに、知り合いに見つかりやすいのだ。そして僕のこの外見。大きくなったわねーとか、偉いわねーとか、子供に言うようなお言葉をもらうのはもうこりごりだった。
「お菓子でも買う?」
母親までが子供扱いなのだからそりゃそんなこと言われるよな、なんてがっかりする。僕はため息をついた。
「お客さん用のがあればいいよ」
「ああ、切らしてたね。何か買っておこうか」
そう言って母さんは、手早くお菓子を三袋ほど買い物かごに放り込んだ。父さんがもらってくるようなお菓子が底をつくと、こうしてスーパーで買い込むようにしているのだ。
「そういえば、ハジメちゃん。もうお菓子を作ったりしないの?」
母さんはクッキーの箱の表示を見ながら、思い出したようにそう言った。僕は首を捻る。
「しない、かな。作る理由も無いし」
僕は昔、よくお菓子を作っていた。きっかけは、母さんが子供とお菓子作りをしたかったのに姉さんがあんな感じだったため、僕を誘ってきたことだった。クッキーにケーキ。僕が作ると何でも姉さんが喜んでくれたため、僕も少し凝ってしまった。三人が来るようになると、三人の分まで作るようになり、それが趣味のようになってしまっていた。思えばそれは、より自分が女の子扱いされる要因となっていた。
「食べさせる相手はいっぱいいるでしょ? 唯奈ちゃん、紅ちゃん、麗ちゃん。あと千愛莉ちゃんだっけ? っていうか女の子ばっかりよねぇ」
交流のある同世代の人間が女の子ばかりというのも、僕の女々しさの要因なのだろうか。
中学生の頃はもう少し同性の友達が居たのだけれど、高校に入ってからは全く関わることが無かった。そもそも、当時から僕は少し浮いていたと思う。年上のガラの悪そうなのとばかり関わっていたら、友達も離れていくというものだ。
「知らない」
「そうだ、誰が本命なの? お母さんはそれを知っておいたほうが良いと思うのよねぇ」
母さんは恋バナに花を咲かせる女子高生みたいにそんなことを言ってくる。僕は無視してレジの方向へと歩いていく。
「もう! 教えてくれてもいいのに」
どうであっても、母さんにだけはそういうことを話したくは無い。絶対に、言いふらされてしまう。そんなところも、母さんは女子高生みたいだから。そもそも僕は、千愛莉ちゃんはともかくとして、他の三人を今はそういう目では見れないようになっていた。きっと距離が近すぎたのだろう。
レジの最中、僕はサッカー台辺りで待っていた。レジの方向を見ていると、見知った顔が目を引いた。紅ちゃんだ。
「買い物?」
駆け寄っていくと、僕はそう声をかけた。紅ちゃんは遅い反応ながら、僕の存在に気づいて少し口元を緩めた。紅ちゃんはTシャツにジーンズというとてもラフな格好をしていた。
「うん。ハジメも?」
「母さんにつき合わされたんだ」
そう言って母さんのほうを指差した。母さんは僕を探してキョロキョロとしている。悪いと思ったので、すぐに母さんのほうへと戻っていくと、紅ちゃんも後ろをついてきた。
「あ、いたいた。あら? 紅ちゃんじゃない」
「こんばんは、春香さん」
母さんは紅ちゃんを見ると嬉しそうな顔をする。それは相手が唯奈でも麗でも同じだった。母さんは三人をとても気に入っている。母さんも、三人をどこか姉さんと重ねているのだろう。特に片親で親元を離れている紅ちゃんには、結構お節介なことを言っている印象がある。こんなものを食べなさいとか、こんなものを食べちゃ駄目とか。
「紅ちゃんも買い物してたのね。あら? 飲み物だけ?」
紅ちゃんの持っているレジ袋の中には、水と牛乳しか入っていなかった。母さんは目を細めて紅ちゃんを見る。
「やっぱり自炊、やめちゃったのね。またコンビニのお弁当なんでしょ?」
「えっと……はい」
一人暮らしの紅ちゃんに、母さんは自炊を勧めていた。しかし、紅ちゃんは言われてから少しは頑張るものの、すぐにそれを諦めてしまう。これは毎度のやり取りだった。
「紅ちゃんに自炊は無理なんだよ。すぐ面倒くさがるから」
「う……」
僕が言うと、紅ちゃんは岩でも乗せられたかのようにがっくりと肩を落とした。
「ハジメちゃん、言い方がきつい。本当、口が悪いんだから」
「これは家庭での教育の賜物です」
「まあ!」
僕と母さんのやり取りに、紅ちゃんは苦笑いで返してくれた。そんな紅ちゃんを見て、母さんはにっこりと笑う。
「そうだ! 今晩うちで食べてってよ」
「いえ、悪いですし」
即行の拒否に、母さんは紅ちゃんを睨みつける。何か用事があるとかならともかく、その断り方では遠慮を嫌う我が母は納得がいかないことだろう。僕もそれに習って、紅ちゃんを睨みつけた。紅ちゃんは困った顔で僕らの顔を見回す。そして、母さんは今度は悲しそうな顔をした。これは母さんの〝技”である。
「うちね、一つ席が余っちゃってるのよね」
チラッと僕を見る母さん。ここは僕も協力しなければならない。僕は同じような表情を作った。
「うん」
「寂しいね」
「うん」
ここにきて親子の連係プレー。その寸劇みたいなものをしながら、紅ちゃんのほうを見ると、紅ちゃんは明らかに動揺していた。
「あーあ、たまにでもその席に誰かが座ってくれたらなー。チラッ」
「……ごちそうになります」
紅ちゃんは母さんに逆らえない。これも、昔からのことだった。
紅ちゃんは荷物を置きに帰ってから、すぐにうちへやってきた。
「こんばんは」
「上がって。ハジメちゃんの部屋で待っててね」
母さんにそう言われ、僕はそのまま紅ちゃんと一緒に部屋へ向かった。紅ちゃんが座布団の上に座ったので、僕はベッドに腰を掛けた。
「ハジメの部屋っていつも片付いているな。凄い」
「そんなことないよ」
紅ちゃんと部屋で二人きりなんて久しぶりのことだ。それだけ、千愛莉ちゃんといつも一緒に来ているとも言えるけれど、一人だとやってこないとも言えた。紅ちゃんは、手を離したらどこか遠くに行きそうな危うさがある。
「ハジメの部屋は落ち着く」
「そう?」
「うん。畳の匂いとか、何だか懐かしい感じがする」
紅ちゃんはそう言って、畳を撫でるように触った。紅ちゃんの腕はすらっとしていてとても綺麗だ。でも、手の甲のほうは少しまばらに赤みを帯びていて、綺麗とは言えなかった。ある意味では、紅ちゃんの手は紅ちゃん自身の歴史そのものだ。
「千愛莉、最近よく来るのか?」
突然、紅ちゃんは千愛莉ちゃんの名前を出した。このように急に思い出して口にすることは、紅ちゃんにはよくあることだった。きっと、この前一緒に来た時にでも感じたことなのだろう。
「うん。唯奈と仲良くなったから。麗とも、今度ケーキを食べに行くって言ってたよ」
紅ちゃんは無表情のままだった。驚くこともないし、喜ぶこともない。
「紅ちゃんも一緒に行ったら? ケーキ」
「え? いや、やめておくよ」
考えることもなく、紅ちゃんはそう返してきた。紅ちゃんは麗に対して引け目がある。それを紅ちゃんのほうから改善しようとするのが難しいというのは理解できた。
「紅ちゃんは、麗と仲直りしたいって思わないの?」
「え? えっと、どうだろう」
紅ちゃんは目を逸らす。こういう話をすると、紅ちゃんはいつもこんな反応をするのだ。
「麗さ、きっともう怒ってはないよ。紅ちゃんさえその気なら、僕が仲裁するし」
「……」
バツの悪そうな顔。これもいつものことだ。
「唯奈ともさ。そうだ、千愛莉ちゃんを含めて会ってみたりとか」
「あ! 春香さんを手伝おうかな」
紅ちゃんは急に思い立って立ち上がった。わざとらしい。都合の悪い話だとすぐに逸らしてしまうんだから。紅ちゃんは基本的にだらしないのだ。
「ああもういいよ。もう言わないから」
これもいつものことだった。だから僕は諦めて、紅ちゃんを引き止めた。紅ちゃんはまた座布団へ腰を下ろし、畳の網目を数えるように触っていた。
「はぁ……」
今度は、見せ付けるように大きなため息をついて紅ちゃんをにらみつけた。紅ちゃんは一瞬チラッとこちらを見てから、また畳へと視線を戻した。
しばらくお互いが無言になると、僕は後ろ向きにベッドへ倒れこんだ。唯奈や麗とも変な感じになっちゃったし、どうしてもこの話は進まない。千愛莉ちゃんが居るのは心強いけれど、誰かが近づくと誰かが遠くに行ってしまうような気もしている。そして、三つの天秤を平らにしたところで、三人が仲直りするとも思えない。何だか、僕だけが空回りしているように思えて空しかった。
「ハジメ」
紅ちゃんの呼びかけに少し体を起こすと、紅ちゃんは下を向いたままだった。
「何?」
「ハジメもやっぱり……」
紅ちゃんはそこで口をつぐんだ。僕はその後に続く言葉が想像できたので、聞き返すことはしなかった。
夕食が出来ると、僕らは一階へ降りて、隣合わせに座布団へと座り、テーブルを囲んだ。父さんも帰ってきていて、四人での食事になった。言っていたとおり、メニューはオムライスとから揚げ、それにサラダとスープだった。
「お久しぶりです、おじさん」
「紅ちゃん! 久しぶりだな!」
声がでかいこの大きな人が僕の父さんだ。あまり似たくはないけれど、この男っぽさはちょっとくらい僕に遺伝したって良かったと思う。
「相変わらず美人だ。良かったらハジメの嫁になってくれないか?」
なんだかそんなことを言う人間が周りに多いな。そんなに焦って相手というものは探さなければならないものなのだろうか。単に、美人を見たら言ってみているだけなのだろうか。
「お父さん。唯奈ちゃんにもそんなことを言っていたわよ」
どうやら単純に後者だったようだ。麗や千愛莉ちゃんにまで言いそうな勢いだ。
「ハジメは弱々しいからな。引っ張ってくれる年上が良いと思うんだよ」
「じゃあ、家事が出来なくて、今こうして一緒にご飯を食べてる人に言うのは間違いなんじゃない?」
「う……」
「また酷いこと言って!」
これでも紅ちゃんには控えめなのだけれど。僕は黙ってオムライスを口に入れた。
「食卓が寂しくてな、早く嫁が欲しいんだよ。こんなのでも良いって人が居たらすぐに来てくれないかもんなぁ?」
こんなので悪かったですね。そんな人が居たって、どうせまだ結婚できる年齢でもないというのに。
「寂しい……」
その言葉に反応する紅ちゃん。母さんは苦笑いする。
「無駄に広いからねー。部屋に合ったテーブルをって大きめのを頼んだから、正直四人でも広かったのよ。それに、今は三人だからね」
うちは古いけど広い。年季の入った家は、僕の曽祖父、つまりひいお祖父さんから受け継いできたらしい。若干の改装はあったみたいだが、それ自体が僕の生まれる前のことだった。
「なんなら、紅ちゃんと唯奈ちゃんと麗ちゃんの三人が交代で来てくれたらいいのにな! はははっ!」
「ねえお父さん、今はもう一人居るのよ。この女ったらしったらね」
「何だと? どんな子だ? 嫁にするのか?」
馬鹿夫婦。僕は心の中で呟くと、父さんの質問を無視し、唐揚げをほおばった。
「何ならみんな一緒でも大丈夫そうよね。うちは広さだけが売りだから、いくらでも溜まり場にしていいんだからね」
紅ちゃんを見ると、苦笑いで固まっている。母さんは知っていてながら言っているわけだけれど、紅ちゃんに良いダメージを与えている。いっそ母さんを頼ったほうが仲直り出来たりして。さすがにそれはしないけれど。
べしゃくしゃと話す夫婦に、紅ちゃんは何とかついていっている。それを尻目に淡々と食べ進めると、僕だけが先に食べ終えてしまった。
「ごちそうさま」
「はやっ!?」
「せっかく紅ちゃんが来たんだから、もっとお前も会話に参加しろよ」
別に、僕は紅ちゃんとしょっちゅう会っているんだから、わざわざ親の前で話すことなんてない。紅ちゃんの困ったような目を見ないようにして、僕は自分の部屋へと戻っていく。紅ちゃんにはしばらく両親を楽しませるエンターテイナー兼おもちゃとして、食卓で活躍してもらおう。さっき話を逸らされたお返し。二人も紅ちゃんが来て嬉しいのだろう。しばらく付き合ってあげてもらうことにした。
部屋で本を読んでいると、玄関の戸が開く音がした。紅ちゃんが帰るのだろうと思い、僕は窓から下を覗く。
「じゃあ、考えておいてね」
「……はい」
紅ちゃんと母さんが何かを話していた。また僕関連のことだろうかと思うので、聞こえなくてよかった。紅ちゃんが僕に気づくと、こちらへ手を振ってくれる。僕も振り返すと、少し心細くなる。僕はベッドへと倒れこみ、仰向けに寝転がった。
やっぱり寂しいのか。紅ちゃんはそう聞こうとしていたのだろう。姉さんが居なくなって。三人が一緒に居なくて。答えはイエスだけれど、僕の気持ちはどうだってよかった。姉さんのことはどうすることも出来ないし、三人は僕のためにいつも来てくれている。ただ、三人がお互いのために一緒に居ることを望んでいないのか、ということが、僕の知りたいことだった。
僕は友人関係というものが苦手だった。ただ三人を見ていると、そういうものが楽しいものに見えて、それはきっと永遠に続くものだと思っていた。だから、三人が今のようにお互いを避けあっているというのも信じがたいことだし、姉さんがきっかけなら責任も感じる。
僕には唯奈の言葉が強く残っていた。ああいうのと付き合っちゃ駄目だよ。唯奈からは確かに嫌悪感が出ていた。姉さんが亡くなってからの一悶着において、二人と直接喧嘩したということはなかったはず。ということは、僕が知っていること以外に何かあったと考えるほうが正しいのかもしれない。
関係は時を経て変わっていく。それぞれで思っていることはもちろん違うだろうけれど、立ち向かっているものも違うのだろう。唯奈は二人を否定した。麗は紅ちゃんを守ろうとしていたし、唯奈にも良い感情が見られた。紅ちゃんからは二人に対してどう考えているのかあまり感じられない。きっと、僕の思っていたことは全部どこかがずれている。だから上手くいかないのだ。
じゃあ、三人はこのままで良いのだろうか。この距離感で均衡を保っていて、ぶつかることのない今の状態が正しいことなのだろうか。
変わっていくこともあれば変わらないこともある。それが、僕の家に来ること、話すことだ。僕に対しては何も変わらない。三人にとって、僕はいったいどういう存在なのだろうか。ふと気を抜いたら、三人が離れていくような気がする。僕は今同じ極の磁石の働きをする風船でも持っているような気分だった。
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