女子学生たち

 その日、ひとりの女子学生が望月の姿を見つけて、人混みの中でぺこりと頭を下げた。二人は駅前の喫茶店に入り、世間話を少しして時間を潰した。

 駅のホームで待っていると、東京から東北に向かう列車が入ってきた。これから山あいの町で、文芸部の夏の合宿を行うことになっていた。

 二人は、指定席のボックス席に向かい合ってすわった。改めて正面から見ると、岡本信子は顔つきも体つきも平凡だった。しかし、二つの胸は大きく膨らんで突き出ていた。望月はその部分に、話の合間にちらちらと視線を投げた。

 信子は望月と同じ北関東の出身だった。夏休みで二人とも、大学のある東京から実家に戻っていた。望月の通う大学は、短期大学も経営していた。そのため文芸部には、短期大学の女子学生も参加していた。短大生で望月と同じ新入生は、目の前の信子と川口深雪というもうひとりだった。

 車窓を見ながら交わす二人の会話に、結婚の話題が出た。望月には、四年制の大学より二年制の短大の女子学生の方が、早く結婚したがっているように感じられた。おかっぱ頭の信子は、自信なさそうにうつむいて言った。

「あたし、きれいじゃないから、親の見つけてきた人と結婚するの」

 望月は、素直な気持ちで答えた。

「好きな相手と結婚した方が、本当はいいんだけどね」

 ほほえむ望月の顔を、信子は上目づかいで見た。


 二人はやがて、山の中腹の宿舎に着いた。

 二階の広い和室で、文学作品の合評会が行われた。望月が参加したのは、ロシアの文豪が書き上げた、宗教や思想を主題にした作品の輪読会だった。

 望月の斜め向かいには、もうひとりの短大生の深雪がすわっていた。深雪は信子と違って、その言葉付きにも動作にも、良く言えば品があり、悪く言えば気取りがあった。鋭い視線は、望月には自意識過剰の現れとも見えた。

 洋服は、青地に白の水玉模様の入った、ノースリーブのミニのワンピースを着ていた。均整の取れた体つきだった。引き締まった腰の線が、小さくない二つの胸を引き立てていた。望月は両手でその腰をつかみたくなった。

 胸のあたりは、洋服が深めに切れ込んでいた。白い肌が大きく露出していた。長髪は、無造作に肩の下まで伸びていた。その黒髪が動いて、胸の白い膨らみを、男の目をじらすように隠したり見せたりしていた。

 深雪は座敷の上でときどき、脚を組み直した。白い太股は、表面が張っていた。下半身が動くたびに、スカートの中の暗がりが覗いた。望月は視線が吸い寄せられ、生唾を飲み込んだ。

 深雪は流し目を送っているように見え、望月はそれを色っぽいと感じた。望月の視線をいやがっているのか、気に入っているのか、よく分からなかった。わざとスカートの中の暗がりを、望月に見せているのか。その動きで、望月の反応を楽しんでいるのか。もしかしたら誘惑しているのだろうか。

 合評会で扱った作品は、緊張感のある構成で出来ていた。主題は倫理的もので、それが望月の心を重くさせた。

 望月には、深雪のような都会的な雰囲気の女性が、この合評会に出ているのが不思議だった。どうして、外国の難解な文学作品を読むのか、けげんに感じた。容姿の軽々しさと作品の重々しさが調和していないように思われた。一方で、その不可解さが魅力的に感じられた。


懇親会には、文芸部の顧問の教員も顔を出した。

 周囲の尊敬を集めている国文学の佐藤教授で、望月も名前だけは以前から知っていた。愛想笑いをする様子はなく、観光気分で来ている学生たちとは対照的な雰囲気だった。

 ある教授によると、大学の教員は、学問のための研究者と、学生のための教育者に分けられる。その点では、鈴木教授は研究者の雰囲気を醸し出していた。

 懇親会の座は、酒が進むうちに乱れてきた。座敷のあちこちに、雑談する人の塊ができた。

 望月は他の学生に混じって、鈴木教授と話をした。望月は、最近日本の有名な文学賞を獲得したある作品のことを話題に出した。

「世間では、性描写の客観的な点が前衛的だ、と賞賛しているようですけど…」

 すると、白髪ではげ上がった教授は、切って捨てるように言った。

「前衛的なものは思想性がないとだめだ。人間はセックスのとき興奮するものだ」

 鈴木教授が、日頃から文学的な状況に気を配り、思索を練っている様子が改めて感じられた。


 望月は別の集まりに顔を突っ込んだ。 酒に酔った先輩の男子学生のひとりが、自分の青春を嘆きだした。

「おれは文学に感動して、のめり込んで、青春時代の多くの時間を費やしてきたんだ。でも、もっと自由で気ままな青春があったような気がするよ。孤独な世界で、深刻に悩んだりすることなく、もっと明るい生活が出来たんじゃないかな。内にこもって本ばかり読んで、抽象的なことばかり考えて、いつも悩んでた」

 そう言って、ため息をついた。

望月にも、思い当たる節があった。確かに、キャンパスを見渡せば、享楽的な生活を送っている若者の姿を、いくつも見いだすことができた。 昼間、思想性の強い作家の世界に没頭したあと、夜間、文学青年の苦悩に直面した。

 頭が混乱して、望月は窓の外を見た。遠くまでずっと続く深い森林が見えた。闇は地表の全体を黒いじゅうたんをかぶせたようにおおっていた。


 望月は今度は、深雪や信子が混じっている人の集まりに加わった。深雪の隣にすわった。

「川口さんて妖艶な魅力があるよね。きれいというか派手というか、おしゃれだね」

 望月は深雪の顔から足にかけて、好奇の視線でなぞった。深雪は強い視線で望月を見つめ返した。

「これはママのお下がりなの」

 深雪は二〇歳くらいだったが、母親のことをママと呼んでいた。裕福な家庭の育ちらしかった。おしゃれな港町に住んでいた。地方から出てきた望月には、異国風な雰囲気が感じられた。

「何だか望月さんて、女の子にもてそう……」

 深雪は疑り深そうな目で望月を見た。

「えっ、そんなことはないよ。なに言ってるの」

 深雪はそのうち、望月の隣から席を外した。望月は深雪の行動をいぶかしく思った。自分を浮気男だと思って警戒しているのか。思わせぶりな態度をとって気を惹こうとしているのか。

 信子は、深雪のそばにすわっていた。最初は望月の話に調子を合わせていた。そのうち、望月のそばに来て、アルコールを口にしているうちにだんだんと赤ら顔になってきた。

 信子はときどき、望月をじっと正面から見つめた。望月は、信子が自分に好意を抱いているのだろうかと思った。

 望月は腰を上げてトイレに立って、座敷に戻ろうとした。すると、酔った女子学生のひとりが、客のスリッパの並んだ宴会場の廊下でよろけていた。顔を覗くと、信子だった。

「大丈夫かい?」

「あっ」

 望月が後ろから支えると、ぐったりして倒れそうになった。信子は望月の腕をつかみ、身をもたせかけた。望月は信子の体を抱え込んだ。一瞬、望月の手に信子の乳房の柔らかい感触が伝わった。

「寝た方がいいかな?何号室?」

「二階です」

 信子の腰に腕を巻きつけて階段を昇りながら、望月は信子の耳元に尋ねた。

「飲み過ぎたの?」

「ちょっと寝不足だったから……。すいません」

「ああ、そう」


 望月は信子の体を抱えて、個室まで運んだ。

「部屋の鍵は?」

 望月が尋ねると、信子は手にぶら下げていた巾着から鍵を取り出して、ドアを開けた。望月はためらいながら、信子と一緒に狭い部屋に入った。

「大丈夫ですから…」

 ベッドにすわり込んだ信子は、うなだれてそう言った。

「横になった方がいいよ」

 望月は信子の体を、ゆっくりとベッドに寝かせた。腕をつかんで、その体を改めて上から見下ろした。

 スカートの裾から出た脚を見て、望月の下半身が興奮した。白くて形の良い、まるで汚れを知らないような脚だった。望月の視線が泳いだ。太ももの先にある暗がりの秘所に、興味が惹きつけられた。スカートの裾に手を入れたくなった。

「うん」

 頭を枕に載せて、信子は声を出して呆然としている。

「どうだい?」

 望月は信子の細い手を握り、肩から腕をさすった。信子は背中を向けて、体を丸めた。望月は後ろから手を回して、乳房の上に静かに手をやった。

「ああ」

 信子は吐き出すような声を漏らして、腕で乳房を隠そうとした。

 望月は手で探って肉の塊を軽くつかんだ。乳房は見た目より大きくて、柔らかい感触だった。

「あっ、だめ」

 望月の手を、信子の手が上からつかんだ。望月はゆっくりと乳房を揉んだ。信子の手が一緒に動いた。信子の手は、望月の手をどけようとするのか、一緒に乳房を揉んでいるのか、望月には分からなかった。

 望月はスリッパを脱いで、ベッドの上に横たわった。信子の背中に自分の体を添わせた。両手で信子の体を柔らかく抱くと、硬くなった下半身が信子の尻に当たった。信子のうなじにかかる望月の鼻息が乱れた。

「だめ、だめ」

 信子は反射的に尻を引いた。

 望月は迷った。このまま先に進んでしまっていいのか。信子とこんな形で性関係を持ってしまっていいのか。それとも、据え膳喰わぬは男の恥か。邪魔者はいない。時間はある。酔った女は、体が弱っている。

 望月はしばらく添い寝して、信子の体の柔らかさ、温かさを感じていた。獲物を捕らえて、腹ふさぎに舌なめずりしている獣のような気分だった。


 望月は手を伸ばし、信子のブラウスを脱がそうとしてボタンを外した。

「いいかい?」

 乳房の一部があらわになった。思わず乳房をしっかりと握った。

「いやあ、いやあ」

 信子が抵抗して逃げようとした。望月はそれ以上の行為を諦めた。

 望月が体を離すと、信子は今度は望月の腕をつかんだ。

「あん、あん」

 信子はだだをこねるような声を出した。

 望月は引き留められて夢中になり、おおい被さって信子の首の辺りに、音を立てて口づけした。

「だめえ」

 すると信子は体を引いて、半分泣き出しそうな声を出した。

 おれを求めているのか、いないのか。望月はあきれて、ベッドから降りて、部屋のドアの方に向かった。他の人たちのことが気になった。声をかけて部屋を出た。

「お休み」

 宴会場に戻ると、まだ数人が酒盛りを上げていた。


望月は大学の夏休みを迎えて、出身地の町に戻った。

 ある晩、友人と会ったあとで、杉山礼子という女性に電話を入れた。礼子は、大学浪人の生活を自宅で続けていた。

 望月の浪人生活が終わって大学に入学すると同時に、礼子の浪人生活が始まった。望月は浪人生活のみじめな境遇は身に沁みて分かっていた。礼子には無駄な干渉はしなかった。二人の交際が、互いの入試の不合格の原因のひとつだったかと思うと、複雑な心境になった。最初に声をかけたのは望月の方だった。

 望月は都会で覚えてきた酒に酔って、近頃の自由で明るい自分の生活を、電話で快活にしゃべった。

「文学部は、女子学生が多くて楽しいでしょう?」

男の心を詮索するような質問に、望月は言葉を濁した。

離れている間に、望月に対する疑いや不安が生まれているようだった。

「浪人生活はつらくはありませんけど、最近、自分が冷めていくのが分かります」

 そんな礼子の言葉が心に引っかかった。

 思えば、もう半年近く礼子に連絡を入れていなかった。冷めていく気持ちが望月との関係に対してなのか、もっと一般的な事柄に対してなのか、望月には分からなかった。

「どっかで久しぶりに会わない?」

「ちょっと都合が悪いから…。長かった髪も切ったんです」

 礼子の声には、以前の精彩さがなかった。

 かつて、礼子の中には、望月が原因になっている喜びや、望月に対する恥じらいがあったような気がした。それらの感情が、いつの間にか薄れてしまったようだった。


 数日後、うららかな天候に誘われて、望月は散歩に出た。

 かつて礼子とともに歩いた町中の道を、再びたどった。高校生が下校する時刻だった。街のどこかで、詰め襟の学生服とセーラー服が、望月たちと似たような若い恋の歩みを始めていた。

 望月は、高校生のアベックに無言で語りかけた。

 今の時代に、受験を控えた高校生たちの始めた恋は、簡単には実らない。甘い恋への憧れが、将来への懸念に変わっていく。様々な迷いが生まれて、やがて二人の関係は、袋小路に追い詰められる。

 青春は最初、純粋で無知で、若さだけで輝いている。それが、心の移ろいと、大人臭い配慮や狡猾さで侵食されてくる。若者の目の前に、人生はこれから、思いもかけない側面をいくつも見せてくる。その時、一度つないだ手が離れそうになる。

 もはや自分と礼子の関係は、高校時代に戻るのは不可能に思えた。


 二人の出会いは、地元の英語の弁論大会だった。

 二人はそれぞれの男子校、女子校の代表だった。望月は礼子を見初めた。礼子と同じ中学校を出ている男友だちから、礼子の住所を聞き出した。気取って英語でラブレターの文章をつづって送った。

 初めてのデートは、望月の高校の文化祭の時だった。

 会場の廊下で、向こうから近づいてくる礼子の瞳は、きらきら輝いて見えた。礼子は、修学旅行に出かけたときには、遠方から記念葉書を送ってよこした。そこには、一〇代の乙女の感傷をつづられていた。

 若い恋は胸のときめきから始まった。しかし、互いに本心がつかめないまま、一学年上の望月が受験勉強の波に洗われていった。

 望月は医学部を志望し、合格の可能性のある国公立大学を目指した。住んでいる北関東を離れる覚悟で、南関東や東北に向かった。

 残念ながら受験に失敗した望月は、東京の予備校で一年間浪人した。

 その後、礼子と離れることは分かっていたが、関西の一流大学を目指した。学部は、思うところがあって医学部から文学部に転向した。

 結局、東京の大学に入学し、浪人時代と同じ都会で生活を始めた。


 大学への入学は、孤独な浪人時代や、重苦しい受験勉強から望月を解放した。大学のクラスの仲間やクラブ活動の仲間たちと、酒場をはしごして回った。多くの学生に接して交際半径も広がった。

文学や音楽や様々な芸術に引きつけられた。前途が開けてきて、まだまだ自分には、やりたいことが無数にあるように思われた。それらは、未来の開けた青年がなすべき何ものかだった。しかしそれは、特定の仕事には結びついていかなかった。具体性を欠いた、漠然として正体の定まらないものだった。

 キャンパスに通ううちに、都会的なセンスのある女性や、快活なお嬢さん育ちの女性に関心を引かれた。マドンナに出会い、信子や深雪と交流し、節子とも接触した。何人かの女友だちとは気軽に語り合える間柄になった。

 礼子とのことは、遠い過去の出来事に思われてきた。

 望月はずっと、離れて暮らす礼子への陰うつな思いを心に抱えていた。都会の日常生活では、心労の数々から解放されていることの快さを味わった。しかし同時に、他に好きな女性が出来たと言って、礼子を悲しませる想像も生んだ。

振り返ってみると、礼子を心から愛していない気がした。礼子は、自分が恋に憧れ始めた時代に、間に合わせに選んだ異性ではなかったのか、と思うこともあった。

 礼子は器量は良く、頭もいいと思ったが、思い込みかもしれなかった。性欲も感じたが、相手を選ばない本能かもしれなかった。

 望月の周りには、「彼女がいない」と言ってぼやいている連中がいた。都会の人波にもまれながら通り過ぎる娘たちに、楽しそうに物色の視線を投げていた。

 望月は皮肉なことに、彼らの自由な境遇がうらやましくなった。一七,八歳で、偶然見つけた女性とこのまま平凡に結婚して、どこにでもあるような生活をしていくことがためらわれた。

 しかし、自分と離れた礼子が、他の男と身も心もを溶け合わすことには耐えられなかった。


 大学では秋になると、学園祭が開催された。文芸部の面々は喫茶店を展示した。

 夜になると、学生たちがどこからともなくキャンパスに集まってきた。若者たちでキャンパスはあふれた。どこから流れてきたのか、他の大学の学生も混じっているようだった。

 キャンパスには、臨時のステージが設置されていた。闇の中であちこちに眩しい照明が輝いていた。ロックバンドの演奏する激しい曲が、会場に鳴り響いた。

 大勢の学生たちが、アルコールを浴びるように飲んでいた。ステージの前で、激しく歌い踊っていた。周囲は、話し込む者、踊りまくる者、そのうち円陣を組み出す者と、見渡す限り人だらけだった。

 望月も、その場の雰囲気に影響を受け、酒の勢いで勝手気ままに振る舞った。


 信子は大勢の人影に混じって、望月のそばにいた。合宿の夜の出来事が記憶に残っていて、望月に気があるらしく何かと話しかけた。

 夜の闇がキャンパスをおおい、酒に酔った若者が浮かれ騒いでいた。闇と騒音と不穏な人影であたりは包まれた。

「怖い」

 信子はそう言って、子犬のように望月にまとわりついてきた。

 望月はアルコールが入って大胆になっていた。純情そうな信子に、その場限りの男女関係を意識して言い寄り始めた。

「どこか、いいとこへ行こうか?ねえ」

 望月は信子の腕を引き、肩を抱いてどこかに連れて行こうとした。

「怖い」

 信子は抵抗して声を上げ、望月の手を払って逃げようとした。今度は周囲の雰囲気ではなく、望月の欲望を怖がっているようだった。

 望月はそっぽを向いた。背中を向けて信子を無視して、離れたところに行った。すると、信子はやはり一緒にいたいらしく、すぐ隣に寄ってきた。

 望月はまた信子の肩に手をやった。


 傍らにいた深雪が、信子の前で体を盾にした。望月にきつい表情で詰問した。

「何してるんですか?」

 望月は言い返した。

「いや、いいことしようって言ってるんだよ」

 望月は面白くなくなって、信子たちから離れ、踊りの輪の中に入った。

すると、深雪が望月のあとを追うようにして、踊り手の中に加わった。やはり酔っぱらっているらしく、望月の前に出てきて、これ見よがしに踊り始めた。

 深雪は望月に近い距離で、わずかにあごを突き出していた。笑顔も見せずに、望月を挑発するようにじっと見つめた。望月にはそれが、遊び慣れた、男を知っている女の振る舞いに見えた。

 深雪はくるりと体を回して背中を向けた。長い髪を振り乱し、くびれた腰をくねらせて、慣れた動きで踊った。女の肩と尻が、望月の目の前で小気味よく揺れた。腰を軸にして上下の体が均衡をとっていた。海中で漂う軟体動物のようだった。望月の心は、ゆらゆらと揺れる女の体に惹きつけられた。

 深雪はまた体の向きを変えて、望月と向かい合った。望月がじっと見つめると、深雪は黙ったまま目を伏せた。望月の追及から逃れるように、その場でまた身をひるがえし、背中を向けた。

 息のかかるところで、深雪の頭が右に左に動いた。望月は深雪に促されるように、誘われるようにその体に自分の体を近づけた。

 片手を慎重に背後から伸ばし、腕と胴の間に差し込んだ。軽く抱きかかえるようにして、自分の方に引き寄せた。鼻先に女の髪の毛が触れ、その香りが嗅覚を刺激した。何か香水をつけているようだった。深雪の肩に自分の頭を乗せ、しばらく一緒に体を揺すった。女体の熱と弾力が、望月の男の体にじわじわと伝わってきた。

 最初は、下半身を深雪の体から遠ざけていた。しかし、男の性欲は自然に反応した。望月は自分の膨らみを、後ろから女の谷間にあてがおうとした。

 股間を接触させると、体のあちこちに快感が走った。固くなった下半身が、深雪の尻に当たって、分け入っていこうとした。望月はためらっていたもう一方の手を、深雪の胴に回した。匂うような女体を抱きしめた。

 すると深雪は、反射的な動作で身を離して逃げた。望月の腕の中から、自分の体を滑らかに引き抜いていった。離れたところで望月を一瞥した。ステージの方を向き、また自分だけの世界に入るように、背を向けて踊り出した。


 望月は一度諦めて、周りの夜の群衆に気をとられながら、ひとりで踊った。

 すると、後ろから女の声がした。

「ねえ」

 振り向くと、にらみつけるような深雪の顔があった。

「好きなら好きって言いなさい」

 目の前の深雪は、大人を見上げる上目づかいの子どものようだった。しかし一方で、大人が子どもを叱るような声で、厳しく言った。

 それでも、ステージの音響や周囲の騒音が大きくて、それにかき消されそうな声だった。望月は聞き直した。

「何だって?」

 望月は、生意気な女だなと思ったが、苦笑いした。少しためらってから、投げつけるように言った。

「好きだよ」

 深雪は望月の目をじっと見つめてから、またくるりと背中を向けて体を揺すった。

 望月が腰に腕を回しても、今度の深雪は逃げていこうとはしなかった。望月とともに、海中の藻のようにゆらゆらと、音楽に合わせて体を揺すった。

 望月は深雪の体の熱を感じながら思った。外見上は身持ちの良い女性に見える。しかし、男遊びも陰ではしているのかもしれない。自分に好意を感じているようだ。


ステージの演奏が終わり、若者たちが帰路についた。

 駅までの道のりで、望月はポケットの財布に手をやり、所持金を確かめた。女性をラブホテルに連れ込んだことはない。望月は裕福な学生ではなかった。持ち金には自信はなかった。しかし、どうやら資金は足りるようだった。

 望月は深雪の顔を覗き込んだ。

「どこかで休んでいこう。時間あるんでしょう?」

 望月は深雪の手を引いて、駅への歩道を歩いた。

 電車に乗り込むと、肩に腕を回し、深雪に顔を近づけた。

「きれいだからさあ……」

 思い当たる駅で降りて、望月は近くのラブホテルに向かった。

「どこに行くの?」

「とりあえず静かな所……」

 ラブホテルのネオンサインが見えた。

「いやあ」

 深雪は望月の手をほどいて帰ろうとした。

「大丈夫だよ。ねっ」

 望月は深雪の手を離さなかった。


 ホテルの部屋に入ると、深雪はドアのそばに突っ立っていた。

「女の子を、こういうところによく連れてくるの?」

「そんなことないよ。経験は少ないもん」

 望月は深雪の体を、不意に前から抱きしめた。ずっと触りたいと思っていた尻の肉を、両手で大きくつかんだ。しかし、深雪は押し返した。

「誰にでも、こんな風に許すわけじゃないのよ」

 望月はこっくりと頷いた。

「分かった」

 深雪は続けて言った。

「でも、だからって、本気はいやなの」

 深雪はうつむいた。

「むずかしいな」

 望月は苦笑いした。

「セックスフレンドならいいけど…。あまり相手に縛られたくないの」

 望月は言葉に詰まった。良かれ悪しかれ、どんな過去があるのか分からないが、この女はこういう女なんだ。

 望月は深雪の首元を、唇で吸った。深雪はうめき声を出した。望月はベッドに押し倒した。不器用な手つきで女の服を脱がそうとした。

「汗臭いからシャワー浴びる」

「いいよ。そんなの」

 望月は鼻息を荒くして、あらわになった乳房を吸った。

「ああっ」

 二人は声を出し、汗をかき、裸で絡んだ。

 すると、深雪は望月の体を押し返し、仰向けにさせた。望月の股間のあたりを見つめた。片手で握って、弄びながらつぶやく。

「すごい」

 先ほどまで可愛い様子だった女が、娼婦に変わって見える。素人女が、場所が変わって玄人女に変身したか。

「超高層ビルみたい?」

 望月の冗談に深雪は目をそらして、軽く吹きだす。

 深雪は髪をかき上げる。股間に口づけして、舐めて、口の中にほおばる。

 望月は気持ち良くなり、発射してしまいそうになる。深雪の肩を軽く叩く。

 近くにあった避妊具を見せると、深雪は手早くかぶせる。

 正直に言うと望月には、風俗営業の女性を相手にした一度か二度の性体験しかない。男性経験が何度かありそうな深雪には、引け目を覚える。

 望月は最初は、深雪の女体とうまく交われなかった。そのうちうまく合体した。今度は勢いに乗って、馬車馬のように汗をかいて、欲望を解放することができた。深雪は激しく声を出し続けた。快感なのか不快感なのか、その声と表情からは読み取れなかった。

 性行為のあと、しばらくして深雪はベッドから起き上がった。

「髪の毛がくしゃくしゃになっちゃった」

 背中越しに聞こえるその声は、まるで望月のせいでそうなったかのような皮肉な言い方だった。


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