第42話 絶望の淵
乾いた風が頬を掠める。
いつの間にか意識を失っていたみずきは、大の字に倒れる自らの体をゆっくりと起こした。
頭がボーっとする……ボヤける視界に、みずきはまるで寝起きのように目蓋をこすった。
「あっ、目を覚ましましたのね、みずき……」
「ユリカ……一体、何が起こって……おいおい、これって……冗談だろ……?」
微かに聞こえてくるユリカの声に反応し、みずきは顔を上げた。
その時、みずきは目の前に広がる光景に思わず絶句した。
何もなかったのだ。
家も、道路も、電柱やポストまで、先程まで確かにそこにあったはずの日常的な風景は、ニコラグーンの手によって一瞬のうちに破壊し尽くされてしまっていた。
半円球型に広がる巨大なクレーターの底で、みずきは目元を熱くさせた。
「……んっ……ユリカ……ここは一体……?」
「沙耶!目を覚ましたんですのね!!」
と、ここで、長らく気を失っていた沙耶の意識が戻り、彼女もまたゆっくりと体を起こした。
だが、目覚めた矢先、視界に飛び込んでくる絶望的な光景に、沙耶は状況を察したように表情を曇らせた。
「……そうか、これもあいつが……」
「……ごめんなさい、沙耶……ワタクシのシールドでは、あなた達を守るのが精一杯でしたの……ワタクシにもっと力があれば、この町だって守れたかもしれませんのに……」
そう話すと、ユリカは小刻みに肩を振るわせながら悔しそうに唇を強く噛み締めた。
そんな彼女を慰めようと、沙耶がユリカに近づいたその時、ふと沙耶はユリカの手のひらを見て、あることに気がついた。
白く美しかった彼女の手はボロボロに汚れ、赤く腫れ上がっていたのだ。
もはや杖を持つことすら困難な彼女の手のひらを見て、沙耶は息を詰まらせる。と、対して、今度は自らの体をキョロキョロと見渡した。
するとどうだろう、あれほど深くおっていたはずの傷は一瞬のうちに癒え、大量の出血もいつの間にか止まっていたことに沙耶は気がついた。と、同時に、これが魔力の持つ力、超回復であることを沙耶は理解した。
”人間を守るために人間であることをやめる……何とも皮肉なものですね、魔法少女というのは……”
そんなニコラグーンの言葉が、沙耶の脳裏を微かに過ぎった。記憶の底から蘇る冷徹な声に、沙耶は思わず肩を振るわせた。
「……ッハ!?アッシらは一体何を……って、ナンジャコリャー!!?」
「何もない……何も……奴のあの攻撃で、町が吹き飛んだってこと……!?」
みずきと沙耶が意識を回復させると、続けて今度は風菜と息吹がほぼ同時に目を覚ませた。
困惑しているものの、命に別状はない様子。何より、5人全員が無事だったことに、ユリカはホッと胸を撫で下ろした。
「風菜、息吹……!よかった、目を覚ましてくれて……」
と、2人が目を覚ましたことにユリカが安堵していたその時、みずきはある事に気がついた。
「……あれ、そう言えばニューンの奴は?」
みずきの言葉に一同は辺りを見渡した。だが、一通り目を通すも、ニューンの姿は何処にもなかった。
「ニューン……あいつ、一体どこ行っちまったんだ……まさか……」
「みずき、そう心配するでない。彼奴は見かけによらず切れ者じゃ。そう易々とやられるような奴ではない。きっと今頃は、テレポートを使って安全なところにでも避難しておるんじゃろう」
「あ、ああ……そうだな。あいつはそんな簡単に死んだりしない……ありがとう、風菜」
青ざめるみずきの肩に風菜はそっと手を掛け、前向きな考えを話した。その言葉に、みずきも薄っすらと笑みを浮かべた。
だが、ホッとしたのもつかの間、突如周囲を支配する不吉な予感に、空が暗雲垂ち込めた。
刹那、身の毛もよだつ不気味な気配と共に、再び奴の声が魔法少女達の耳に響き渡った。
「おっと、幸いにも生きていましたか。流石は魔法少女、うっかり殺してしまったのではないかと心配しましたよ……」
ねっとりと耳触りなニコラグーンの声に、魔法少女達は一斉に声のする方へと体を向けた。
そこには、地上からクレーター底のみずき達を見下ろすかのようにして立つニコラグーンの姿があった。
と、ニコラグーンは魔法少女達が生きていることを確認するや否や不気味な笑みを浮かべると、急な坂道を下り、ゆっくりと彼女達の元へと近づいていった。
「さあ、そろそろお人形遊びを再開しましょうか。誰が最初にぶっ潰れてしまうのか……あぁ……想像するだけで非常に楽しみです……!」
指をギシギシと疼かせながら、ニコラグーンは細く鋭い目をギラつかせた。
その瞳の奥で不気味に光る輝きに、みずき達は心を抉られるような感覚を覚えた。
ニコラグーンが一歩近づくたび、みずき達もまた無意識のうちに一歩後ろへと体を引く。先程までの戦いで芽生えたニコラグーンへの恐怖心が、じわじわと彼女達の肉体を支配していたのだ。
「私に対する恐怖心も芽生え始めてきたようですし、そろそろ頃合いでしょうか……では、ここからは少し手荒くお相手させて頂くとしましょうか」
ニコラグーンの不吉な言葉に、みずき達は思わず息を飲んだ。
ドクドクと心臓の音が高まる。溢れ出す恐怖の感情からか、みずき達は息を荒くし、その凍るような彼の視線に冷たい汗を流した。
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横浜の一角で壮絶な戦いが繰り広げられている中、一方で、白爪亭の地下に広がる巨大施設、LDM本部内もまた、そのニコラグーンの圧倒的力にざわつきを見せていた。
モニターに映し出される悲惨な町の様子に、構成員達も忙しなく本部内を駆け回る。そんな現状を前に、その場で魔法少女達を見守っていた小坂もまた悔しそうに親指の爪を噛んだ。
「こんなことが……あいつら魔法少女が全く歯が立たないだなんて……それで、あんたはこの事を私達に知らせに戻って来てくれたわけね、ニューン」
険しい表情を浮かべる小坂が振り向いた先、そこには、土埃に塗れたニューンの姿があった。
「……ああ、奴の力はハッキリ言って異常だ……それも、これまで現れた闇の使者達とは比べものにならないほど……完全に僕の予想を遥かに上回る実力だ……」
フラフラと体を不安定に揺らしながら、ニューンは小さな声でそう話した。その言葉に、小坂の握り締めた拳はさらに強さを増す。
すると、今度は本部の司令台に立ち、皆と同じく事を見守っていた東堂が口を開いた。
「ふむ……ニコラグーン、ですか……厄介な相手ですな。ここから見ている限り、奴はまだ本気を出しているようには思えません。今回、幸いにもお嬢様を含め皆様の暮らす地域は無事でしたが、このまま奴を生かせておけば、いずれは……」
東堂の指摘に、ニューンは表情を曇らせ、思わず俯いた。
その様子を見て、小坂の横に立つアーベラは少し心配気な表情を浮かべていた。
「あの場に居ても、僕は全くの無力だった……それどころか、僕はニコラグーンの攻撃から身を守るため、結果的にみずき達を見捨ててしまった……」
「し、仕方ないデスよ。あんな力を見せつけられてしまっては、誰だって怖くなります。ここが無事だっただけでも……」
「……だけど、それは私達が現状から目を背けてもいい理由にはならない!」
落ち込むニューンの姿を見て、その場に居たメイド長アーベラは思わず彼を慰めるように声をかけた。だが、その言葉を否定するかのように、突如小坂が声を上げた。
すると、小坂はそのままカツカツと黒いヒールの音を基地内に響かせながら、突然急ぎ足で出口の方へと歩き始めた。
「こ、小坂ちゃん……?一体どこへ……」
「私が……私があいつらを助けます……!!」
「えっ、ちょっ、ま、待つデスよ!!」
小坂の発言に、アーベラは咄嗟に歩く彼女を追いかけ、その手首を掴んだ。
「小坂ちゃん……貴方、自分が何を言っているのかわかってるんデスか……?あいつは魔法少女ですら敵わない闇の使者。貴方1人が行って、どうにかなる相手じゃないんデスよ!!死ぬつもりですか!!」
アーベラは安易な小坂の行動を必死に止めようと、彼女に厳しく当たった。
だが、普段は見せないアーベラの態度に少し戸惑いながらも、小坂は強い眼差しで掴まれた彼女の手を振り解いた。
「じゃあ何!?みずき達がやられていく様を、ただ指を咥えて見てろって言うんですか!?……嫌なんですよ、私は……何も出来ない自分が……だから……だから……!!」
「それでも危険過ぎます!何でそこまで……」
「魔法少女だとか魔道適合者だとか、それ以前に彼女達はまだ高校生なんです……彼女達が世界を守ると言うのなら、じゃあ、その彼女達は一体誰が守ってやればいいんですか!!……それが出来るのは私達、大人しかいないじゃないですか!!」
止めるアーベラの思いも虚しく、小坂は自分の考えをきっぱりと言い放った。真っ直ぐと輝く瞳に、アーベラもまた言葉を詰まらせる。
「……小坂殿」
と、小坂の発言に、今度は東堂が反応を見せた。小坂の名を呼ぶその声に、小坂もアーベラも静かに彼の方へと視線を集めた。
東堂は気難しそうに眉間を指で摘むと、彼女達から背中を向けたまま、ゆっくりと重い口を開く。
「……出口を出てすぐの保管庫、そこに武器や貴方の着替えを保管しております」
「えっ……それって……!!」
「なっ、東堂さんまで……!」
東堂のその言葉に、小坂は目を輝かせた。
絶対に助け出してみせる……そんな強い思いに、小坂は鼓動を高まらせる。
「誰か、至急ヘリを一台用意してください!」
「東堂さん……ありがとうございます……!」
小坂は東堂に深く頭を下げると、急いで出口へ駆けて行った。
徐々に小さくなっていく小坂の背中を、アーベラは不安そうな表情で見送った。
「東堂さん、本当に小坂ちゃんを行かせてしまって良かったんデスか?私は心配で心配で……」
胸を手を添えながら、アーベラはゆっくりと東堂の元へと近づいていった。
すると、ふと東堂に目をやると、アーベラはある事に気がついた。
「……お嬢様、どうかご無事で……」
(東堂さん……震えているんデスか……?)
小さく呟きながら、拳をふるふると震わせている東堂の姿を前にして、アーベラは胸を締め付けられるような思いを募らせた。
(そうデスよ……東堂さんもユリカ様が心配で仕方がない。でも、本部の司令である自分がここを離れるわけにはいかない……だから、小坂ちゃんに託したんデスね……小坂ちゃん、かならず生きて帰ってきて……!)
小坂にユリカ、みずき達の顔を頭の中で思い描くと、アーベラは胸の前で両手の指を組み、ただひたすらに祈りを捧げた。
破壊された町を映し出したモニターを前に、混乱冷めやらぬ様子で、未だLDM本部内はガヤガヤと忙しなく動き続けていた。
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大切なもの全て、何もかもが崩れていく感覚。
今日、世界が終わってしまうような……本気でそんな気がしていた。
「どうしました、魔法少女の皆さん?まさか、これでおしまいだなんて……そんなつまらない冗談は言いませんよね?そうですよね、紅咲みずきさん……?」
ニヤニヤと黒い笑顔を浮かべながら、ニコラグーンはまるでボロ雑巾のように地べたへ無造作に捨てられたみずきの元へと近づいた。
影のかかったその笑顔が、彼の不気味さをより鮮明に感じさせていた。
ニコラグーンとの第2ラウンド。
結果は言わずもがな惨敗。ニコラグーンとの圧倒的な力差を前に、魔法少女達は次々と地面に倒れていった。
抉れた土に混じる血痕が、その悲惨な状況を生々しく物語っていた。
「ほら、貴方は世界を救うヒーローなんでしょう?だったら早く立ち上がってくださいよ。ねぇ、ヒーローさん……」
みずきの感情を逆撫でするかのような発言を繰り返しながら、ニコラグーン大の字に倒れるみずきの右腕に足を置いた。
そしてそのまま、体の全体重をゆっくりと足にかける。
「……ッ!!アアッ……アアアアアアアアアアッ!!!!」
ミシミシと骨を砕く音と共に、みずきの悲鳴が辺りに響き渡る。
そのあまりに非道な行為を目の当たりに、散り散りに倒れる他の魔法少女達は悔しそうに拳を握り締めた。そして同時に、地に倒れ無力な自分達に怒り、また悲しみすら感じた。
ニコラグーンがスッと足を腕から離す。と、次の瞬間、みずきの中で、バラバラに砕けた腕が一瞬のうちに回復していくのがわかった。
超回復だ。本来ならそう簡単に治るはずのない複雑な骨折ですら、魔法少女の肉体では、魔力によってすぐさま回復していったのだ。
「素晴らしい再生能力ですね。体が本能的に死の危機を察知したのか、その回復力も以前より遥かに強力になっています……いやぁ、お見事!……ですが、それが、それこそが、魔法少女となった代償……人ならざる肉体なのです」
淡々と語るニコラグーンは一息つくと、再びみずきの右腕に足を置き、メキメキと彼女の骨を砕いた。
「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ーーーーーーッ!!!!!」
みずきの骨が砕けるたび、ニコラグーンは足を離し、そしてまた彼女の腕が回復するや否や、再び同じ部位の骨を砕いた。その一連の流れが、まるで永遠と思えるほど長く繰り返された。
”超回復できるのは変身中に受けた怪我のみで、痛覚自体は基本そのままだから、ある意味生き地獄になる可能性も考えられるけど……”
かつて、ニューンから聞かされたそんな話を、みずきはふと思い出した。
まさに今のこの状況、肉体は再生するとはいえ、当然、彼女達に痛みは生じる。強烈な痛みを繰り返し受けるということの精神的苦痛は非常に大きく、それが永遠と続くとなれば……その恐怖は計り知れないものだと理解できるだろう。
ニコラグーンは戦いの初め、彼女達魔法少女を”人形”と表現していたが、それはあなごち間違いではなかった。ニコラグーンにとって、何度攻撃を受けようと簡単に死ぬことのない彼女達の肉体は、絶好の拷問人形と言える。
その恐ろしい事実を体で理解したみずきは、完全に思考を停止させ、死んだ魚のような目で項垂れた。
「みずき……みずき……しっかりしてくれ、みずきッ!!!」
明らかに壊れ始めたみずきの様子を見て、息吹は咄嗟に大きな声を上げた。目に涙を浮かべながら、みずきに向かって精一杯手を伸ばす。
しかし、その行為をニコラグーンが見逃すはずもなく、彼は息吹の伸ばす手に透かさず鎖を打ち飛ばした。
血を撒き散らしながら、鎖が手のひらを貫通する。そのあまりの激痛に、息吹は声を詰まらせながら悶え苦しんだ。
「うう……ああ……ッ!!!」
「順番は守って頂かないと……そう焦らなくても、これが終われば次は貴方の番ですよ……ふふっ……」
嬉しそうに笑うニコラグーンに、息吹の心は憎悪で満ち溢れた。
誰もがこの状況にくやしさを覚え、そしてまた絶望した。これまでにない窮地に、魔法少女達の意識は遠退いていった……。
霞む意識の中、みずきの耳に何やらざわざわと騒がしい音が響き出した。
すると、その音が聞こえ始めたと同時に、みずきの肉体へ走る痛みが突如止んだ。苦痛を与え続けていたニコラグーンの足が止まったのだ。
「ああ?何なんですか、この虫ケラ共は……まだ生き残っていたとは驚きですね……」
ニコラグーンの言葉に、みずきはゆっくりと顔を上げ、周りの様子を伺った。
すると、目の前に広がる光景に、先程まで死んだ目をしていたみずきの瞳はカッと見開かれた。
「人だ……しかもこんなにたくさん……良かった、生きてたのか……」
そこにはニコラグーンの攻撃から生き延びた町の人々が、みずき達のいる巨大なクレーターを囲むようにして顔を覗かせていたのだ。
”何だこれ……一体、何が起こってるんだよ……”
”この穴の下、人がいるの……?”
”ママはどこ……?うう……ママーッ!!”
ざわざわと声を上げ集まってくる人の肉声に、何故かみずきの目は涙で溢れた。
しかし、落ち着きを取り戻したのもつかの間、次々と集まる人の騒がしさにイライラとするニコラグーンの様子を見て、ハッと我に返ったみずきは咄嗟に大きな声を上げた。
「……ッ!!ダメだ!!近づいちゃダメだ!!早くここから逃げろおおおおーーーーーッ!!!!」
クレーターの付近まで近づいてくる人々に、みずきは腹の底から全力で声を出した。
その声にビクリと肩を揺らし、町の人々は怯えるようにしてクレーターから少しずつ散っていった。
死なす訳にはいかない。生き残った彼らだけでも救いたいという意思が、みずきの心に再び火を付けた。
―運命改変による世界終了まであと95日-
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