第9話

言い終わるが早いか、ガタンと調理台の上に押し倒されてしまった。

驚いて目をぱちぱちと瞬かせる。

三十五年生きてきたけれど、こんな体勢になるのは人生で初めただ。

時々、映画でこういったシーンを見るけれど、この姿勢はあまり腰によくはなさそうだ。

腰の限界が来るまでに早くどいてもらいたかったが、覆いかぶさる右京君の顔はなぜか真剣でなかなか退く気配がない。


「右京君、そろそろ腰が……」

「やべぇ、俺、酔ってるのかな。青葉さんがめちゃくちゃかわいく見える」


独り言のように呟く右京君の目はとろんとなっていた。

彼の言う通り、酔っているのは間違いない。

自覚があるのならば、一刻も早く水を飲んで酔いを醒ました方がいいと思うが、やはり退く気配がない。

どうしたのだろうか? もしかして、酔いすぎて目を開けたまま寝ているのだろうか?

首を傾げて右京君の動向を見守っていると、


パシャ!


突如、カメラのシャッター音が響いた。

僕らは反射的に音の元に顔を向けた。

そこには、桜季さんが携帯をこちらに向けて立っていた。


「スクープ激写~。人気ホストクラブのホストが、同じ職場の男性を押し倒し強制わいせつ行為に至る~。い~けないんだ、いけないんだ~、てーんちょうに言ってやろ~」

「うわっ、ちょ、ご、誤解ですよ、桜季さん!」


右京君は慌てた様子で桜季さんに駆け寄った。

そして携帯を奪おうとするが、一回りほど大きい桜季さんが腕を上げれば当然届くはずもなく、その場でぴょんぴょんと飛び跳ねることとなる。


「人の神聖な場所で、えっちなことしないでよね~。今日は忙しいんでしょ、早く持ち場に戻りなよぉ。店長がすごく疲れてたよぉ」

「ああ、あれはお店が忙しいからじゃなくて……」


一旦、言葉を切ると辺りを見回してから、右京君は声を顰めて再度口を開いた。


「実は、今日来るはずの新入りがまだ来てないらしいんですよ」

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