二つの世界 3

「あっちの方ですね!」

「……さい、転移しても大丈夫そうか?」


 祥太郎しょうたろうが振り返って確認する。才は一瞬だけ視線を迷わせてから黙ってうなずいた。すると景色が消え、新たな景色が目の前に現れる。

 先ほどの場所よりは木々が少なく、開けた視界には茶色の草原と丘が映った。しかし大きくえぐれた地面が、異常な状況を物語っている。


「どうしてこうなったんだろう? 周りには何も落ちてないし、誰かがいたってこともないみたい」

「魔力の残滓も特に感じられないわ。でも自然現象ってわけでもない……爆発の瞬間を見てみないとなんとも言えないわね」

「突然爆発するんだったら、あんまり近寄ったら危ないんじゃないかな?」


 早速調べ始めた理沙りさとマリーに、祥太郎が声をかける。


「一応結界は張ってあるわ。突然爆発されたら結局防げないかもしれないけれど。ただ今まで見てきた感じだと、同じ場所が何度も爆発するってことはない気がするのよね」

「……世界同士が干渉してやがるんだ」


 背後でつぶやかれた言葉にマリーは驚き、振り向いた。


「それって、もう『大干渉だいかんしょう』が起こりそうってこと?」

「いや、今はまだそこまでじゃねーと思うが、早まってるのは確かだ」


 才は言いながら、よろよろと立ち上がる。


「サイどうしたの!? 目が真っ赤だわ!」

「ちょっと力を使いすぎてるだけだ。どうってことねぇ」


 彼は顔をしかめ、こめかみを抑えながら空中をにらみつけた。それから何度も小さく首を振り、大きく息を吐く。


「祥太郎、あの丘の上に見える、でけー木のとこだ! いいか? もし危ねーと思ったら、すぐ退避だからな。覚えとけよ?」

「わ……わかったよ」


 いつもの才にはない迫力に少し怯みながらも、祥太郎は指示通りに動く。次の瞬間には目的の場所まで移動していた。

 直後、近くで起こる爆発。巨大な木の複雑に絡み合った枝の一部が吹き飛び、バラバラと降ってくる。マリーが扇を振ると、広がった結界がそれを弾いた。


「やっぱヤバそうな感じだよね? 早く『ゲート』を開くポイントを見つけないと」

「でも今のところ、そこまで強い力は感じないですね。街のあたりののほうがよっぽど淀んでたというか……そんなに危ないなら、あたしたちでも察知できるような気がしますけど」


 理沙はちらりと才を見る。彼は虚空を見つめながら、ぶつぶつと何事かをつぶやいていた。体調の心配もあるが、今は任せるしかない。


「次の指示があるまで、わたしたちの方でもできることを考えましょう。やっぱり爆発の対策もちゃんと考えておいたほうがよさそうね。全員で固まったところに結界を張って――」


 マリーがそう言いかけた時、誰かが近づいてくる気配がした。


「ステラさん! こっちでもすごい音が……あれ?」


 落ち葉を踏む乾いた音を立てながら、こちらへと小走りでやってくるのは見知った姿。


美世みよさん!」

「ミヨ!?」

「理沙ちゃんに、マリーちゃん!?」


 美世から少し遅れて来た老婦人が、驚き合っている少女たちを交互に見た。


「ミヨ、もしかしてこちらの方々が、あなたが言っていた?」

「はい、理沙ちゃんと、マリーちゃんです。あと……」


 祥太郎と才のことをどう説明したら良いのかわからず、美世は二人に向かって小さくお辞儀をする。祥太郎は頭を下げ返したが、才にその余裕はなかった。


「何でだ? 何でこんなに加速するみてぇに――くそっ、予知の修正が間に合わねぇ!」

「母さん!」


 うわ言のようにつぶやく彼の声を、別方向から届いた声がかき消す。息を切らせながらやってきたのは、中年の男だった。

 どこか人の好さそうなその姿を見て祥太郎は思い出す。東京湾上空にうっすらと映し出されていた男性。エレナがじっと見つめていた『ファントム』。


「ハロルド! どうしてここに?」

「このあたりで爆発があったって聞いて、心配になったから急いで来たんだよ。……この人たちは?」


 その目がステラの隣りにいる美世を見た。それから才に視線が移り、祥太郎と理沙を見て――最後に見たマリーと、目が合う。


「ハロルド……?」


 つぶやかれた自分の名に、彼は不思議そうな顔をした。


「そうだが、どこかでお会いしたことあったかな? お嬢さん」

「エレナ……エレナ・フォンドラドルードをご存知ですか?」


 それを聞き、ハロルドの表情が驚きへと変わる。その反応だけでマリーには十分だった。


「わたし――わたしは」


 ――唐突に。

 大きな力が生まれた。それは風を起こし、大地を揺るがす。


「なっ、何が? 何が起こってるんだ!?」

「きゃぁぁぁっ!」

「二人とも、落ち着いて! 落ち着くのよ!」


 ただの突風や地震とは思えない異様な雰囲気に、三人は恐れおののく。


「大丈夫です! まずは姿勢を低くしましょう!」

「『神亀の甲羅シェル・オブ・ザ・ゴッドタートル』!」


  すぐに理沙はサポートに向かい、マリーは結界で皆を守ったが、緊張に顔をこわばらせたのは『アパート』のメンバーも同じだった。才は自らを落ち着かせるように目を閉じ、何度か深呼吸した後、再び目を開く。


「祥太郎! まずは三人を街へ避難させろ!」

「了解!」


 指示を受け、祥太郎は有無を言わさずハロルドたちを転移させた。イメージしたのは街で最初に自分が目覚めた場所。あの建物の陰であれば人目にもつきにくいと考えたからだ。


「くそっ! ロクに準備も出来てねぇのに、もうやるしかねぇ! ――マスター! エレナさん! 目標ポイントを発見!」


 それから才は香袋を強く握って叫ぶ。すると少しの間を置き、どんよりとした空の一点が淡い虹色に光った。それが返答なのだろう。


「祥太郎、次は俺らがさっき居た場所まで戻れ!」

「了解!」


 一瞬にして移動。丘の上を見上げると、爆発で吹き飛んだはずの大きな木の枝はすっかり形を取り戻していて、それどころか前よりもずっと太く、硬質なシルエットを見せていた。ぼこぼことした太い根は赤く脈打ちながら大地を裂くように拡がっていき、四方八方から吹く生ぬるい風は、戦うかのようにぶつかり合い、強さを増していった。


「マリーちゃんは結界で周辺を防御! 理沙ちゃんは強化を!」

「わかりました!」

「……大丈夫。オーケーよ」


 理沙は呼吸を整え、を練り始める。マリーは気持ちを振り払うように数度、自分の頬を両手で叩き、結界を張ることへと集中した。


「祥太郎、これ以上は近づくなよ? 何かあったら即、退避だからな!」

「わかってるって!」


 ふと、巨木の真ん中がひし形に裂ける。ぬらりと赤く光るそれは、まるで巨大な一つの目のようだった。

 その場所を打ち抜けば良いのだということを、この場にいる全員が直感的に悟った。だがその『目』を見つめ続けるだけで首筋を冷や汗が伝い、目眩を起こしそうになる。自分の『軸』が引っ張られ、倒されてしまうような、不気味な力が放たれていた。


「『原初の大盾ザ・シールド・オブ・オリジン』!」


 そこでマリーの術が完成した。幾重にも重なる光の壁が周囲に出現し、仲間を守る盾となる。


「はぁぁぁぁっ!」


 理沙は気合とともに結界の一部へと触れた。力は波のように拡がっていき、マリーの結界をより強固なものとする。その中にいれば嵐の影響は弱まり、意識も体の感覚も次第にクリアになっていくのがわかった。

 祥太郎は感覚をさらに研ぎ澄ませ、合図を待つ。問題はタイミングだけで、自分はただ思い切り力を放てば良い。あとはきっと向こう側にいる仲間たちがなんとかしてくれるという信頼感があった。遠子が以前『ゲート』を破壊したときもこんな気持ちだったのかもしれない。

 マリーも理沙も自分の仕事へと静かに集中し、才も何も言わなかった。

 時が過ぎていきーーそして、空が光る。


「行けぇぇぇぇ!!!」


 祥太郎は極限まで細く、絞りに絞った力を解き放った。ふと、修行の日々が思い出され、師の笑顔と金だらいが見えた気がした。光は、真っ直ぐにその幻影のど真ん中を――木に生まれた赤い一つ目の中心を撃ち抜く。

 しん――と、世界から音が消えた。ひどく長く感じられた一瞬の後、撃ち抜かれた赤い目は、ぽっかりと開く黒い穴へと変わる。それはただ静かに、こちらを見つめていた。


「やった……?」


 祥太郎がつぶやいた時、突如地面が波打つように揺れる。四人はバラバラに空中へと投げ出され、地面へと落ちた。


「ぐうっ――!」


 背中を打ち、肺から息が押し出される。痛みと苦しみに咳き込みながらも、何とか体を起こした。少し離れた場所に才とマリーがいる。理沙の姿は見当たらなかったが、ひとまず二人と合流しようとした時、才がこちらを見て叫んだ。


「やめろ祥太郎!」


 その言葉が何を意味するのか理解する前に、祥太郎の能力は発動した。

 才が手を大きく振り、叫びながらこちらへと走ってくるが、何を言っているのかわからず、その姿はとても小さい。――いつの間にか祥太郎がいたのは丘の上だった。背後にはあの巨木。その深淵のような、黒い『目』。


「うぐっ……!」


 当然、意図した転移先ではない。まずいことになっている。それはわかったが、体がうまく動かせない。手も足もずっしりと重く、地面にしがみつくようにしたまま仲間の方を見るので精一杯だった。才の後ろを走るマリーが扇を振った。おそらく祥太郎の周囲に結界を張るつもりだったのだろうが、一瞬生まれたあたたかな光はすぐに霧散した。


「くそっ! 動けよ!」


 手足は相変わらず自分のものではないように重たい。見えない力で拘束されてしまったかのように能力も発動しない。今のところそれ以上のことは起きていないが、何が起こるかわからないという恐怖が、じわじわと心を侵食していく。ただ、撃ち抜いた手応えは確実にあった。もう少しすればマスターの術によってあの『目』は『ゲート』へと変わるはず。それまでの辛抱だ。そう自分を励ました時、突風が吹いた。


「くっ――」


 周囲の落ち葉や枯れ葉が一気に舞い上がり、祥太郎にぶつかりながら後方へ飛んでいく。首を少しでも下に向け、目を細めてそれを凌いだ。だが踏ん張ることの出来ない体は、滑らかな草の上をずるずると動き始める。


「――!?」


 そこで気づく。風に押されているのではない。吸い込まれているのだ。腕越しで逆さまに見えた黒い『目』は、じりじりと迫ってきている。全身の毛が逆立った。必死で抵抗しようとするが、体は相変わらず言うことを聞いてくれない。吸い込む力はどんどん強くなっていて、祥太郎がその中に入るのも時間の問題だった。


「祥太郎さん!」


 そこで突然した声。目だけを動かしてみる。姿勢を低くしながらこちらへ近づいてくるのは理沙だった。


「理沙、ちゃん……」


 転移する際に巻き込んでしまったのだろうか。そんな思いを察したかのように彼女は言う。


「祥太郎さんがここに転移したので、すぐに走ってきました! 才さんがやけに祥太郎さんのことを気にしてたから何かあるんじゃないかと思って、様子を見てたんです!」


 そして見せる明るい笑顔。その頼もしさに、祥太郎は涙が出そうになる。


「動けないんですね? でも、あたしが運ぶから大丈夫ですよ! さぁ行きましょう!」


 理沙はそのまま祥太郎の体を抱えようと、手を伸ばす。そして――後ろへ飛び退った。その理由は祥太郎にも理解できた。嫌な予感が走ったのだ。理沙が祥太郎に触れれば、確実に巻き込まれるという予感。


「理沙ちゃん、ありがとう……もう、いいから」


 精一杯の声でそれだけを言い、首を出来るだけ大きく振る。理沙は目を見開き、うなだれる祥太郎の顔を下から覗き込んだ。驚く祥太郎へと、彼女はまた頼もしい笑顔を見せる。


「そういうの、ダメですよ! あきらめたら、終わりなんです!」


 彼女の周囲へと力が集まっていく。そして柔らかな光に包まれた手を、再び理沙は差し伸べた。


 ◇


「ショータロー! リサ!」


 マリーは叫ぶ。必死になって走ったが、まだあの丘は遠い。立ち止まって荒く呼吸をする彼女の少し先で、才は崩れるように膝を折った。


「畜生! わかってたのに、なんも出来なかった……!」


 何度も拳を地面へ打ち付けるその姿を見て、才がずっと恐れていたであろうことを、マリーはようやく理解する。

 荒れ狂ったように吹いていた風も、波打つ地面も嘘のように鎮まり、雲間から差し込んだ光が、草原を黄金色に輝かせた。

 祥太郎と理沙、二人の姿が消えてから、しばらくの後。あの『目』の周囲が光り始める。ただ黒い穴だったそこには、薄い光の膜が目蓋のように重なり、次第に質感を増して、教会の大聖堂のものを思わせるような美しいドアへと変化していった。やがて、『ゲート』は完成をする。

 『大干渉』が回避された瞬間だった。

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