布石 2

 ――それからさらに一週間後。都内某所。


 小雨が降る中、どこかから明るい音楽が聞こえてくる。街ゆく人のほとんどは気にも留めなかったが、興味をひかれてそちらへと足を向ける人もいた。

 立ち並ぶビルの一角にひっそりと存在するイベントスペース。普段はあまり使用されていないそこはきらびやかに飾りつけられ、ライトアップされている。ただし、イベント内容を示すようなものは、どこにも見当たらなかった。


『あああ雨降りのあとのレインボー♪ レレレのレインボー♪』

『あなたと、あなたと、お出かけしたーい♪』


 小さな特設ステージ上では、メイド服を思わせるドレスを着た二人の少女がパフォーマンスを披露している。


「新人アイドルかな? ――あのツインテールの子めちゃくちゃ可愛いな! 背の高い子も笑顔がいい! 癒されるー!」


 近くを歩いていた男が立ち止まり、一緒にいた友人を呼び止めると、彼は興味なさげにステージを見る。


「ダッセェ歌……つーかクオリティ低くね? 背が高い方の動きはキレがすげーけど、ダンスってより格闘技みたいだな」

「歌は市原あまなの曲だよ。マニアックな選曲だけど……もしかして事務所の後輩とかかね? チェックしてるはずなのに、あんな可愛い子いたの見逃してたとは不覚すぎる」


 そのうち足を止める人たちが増えてきた。曲が終わると、二人はお辞儀をし、一度ステージの端に姿を消す。それをまばらな拍手が追いかけた。


「もぉぉぉぉぉぉぉっっっっ!!!!」


 そのステージ端。機材の後ろに隠れるようにしながら、ツインテールの少女――マリーが怒りに身を震わせる。


「ドクターめぇぇぇぇぇぇ!! というか元凶はサイよ! あのヘンタイどもがぁぁぁぁぁ!!!」

「落ち着いてマリーちゃん、あたしたち今はアイドルだから! ほら笑顔笑顔! もう次の曲始まっちゃうし!」

「わかってるわよ! この計画が終わったら覚えときなさい……!」


 理沙になだめられ、何とかマリーは呼吸を整える。それから二人は再びステージの中央へと駆け出して行った。


 ◇


「あ、あのぅ……」

「何か?」

「え、その……ええとですね。一緒にお茶でもいかがかなぁ、なんて……」

「私そういうの大丈夫ですので」

「で、ですよねー! 失礼しました!」


 マリーと理沙がアイドル活動にいそしんでいるころ、祥太郎はナンパをしていた。

 もちろん、好き好んでという訳ではない。話は少し遡る。


「皆さんおはようございます」


 それはミーティングから二日後のこと。銀縁のメガネをかけ、黒く染めもどした髪をオールバックにして、地味なシャツとスラックスという出で立ちの才が、皆の前へと現れた。


「才がおかしくなった!?」

「違いますよ祥太郎さん。別人と入れ替わっちゃったんじゃないですかね? たぶん」

「わたしは何かの撮影だと思うわ」

「あのなー!」


 いつものように反応しかけた才だったが、あわてて咳払いをして生真面目な表情を作る。


「失礼。おかしくなったのでも、別人と入れ替わったのでも、何かの撮影でもありません。すべてはゼロのもとへとたどり着くための布石なのです」


 顔を見合わせた三人を見て、彼はゆっくりと首を振った。


「まぁそう言われてもピンとこないでしょうね。説明をしましょう。未来とは変わるものです。多くの人は意識せずに生活していますが、例えば家を出て右足で歩き始めるか左足で歩き始めるか。そんな些細な一歩の違いが、後に進む道を大きく変えることもあるのです。――さらにゼロの目は『神の目』であるとお話ししましたね? けれども扱うのは人間。彼は天才ではありますが、どうしても限界というものは存在します。ノイズを混ぜてやることで、あちらの目をかく乱しようという考えなのです」

「つまり普段とは全然違うサイを演じることで、あちらの予想を裏切ろうってことなのね?」

「ええ。さすがマリーさんは理解が早くていらっしゃる」

「僕は予知能力のことはよくわかんないけど、そんなに簡単にいくものなのかなぁ」

「もちろん簡単な事ではありませんよ、祥太郎さん。ですから真剣に取り組む必要があります。当然、あなたたちにも参加していただきます」

「ええっ? なんで!?」

「仕方ないわよショータロー。わたしたちもゼロの力を借りたい以上、作戦の一部ってことなんでしょうから」

「それに、ちょっと面白そうじゃないですか? それで才さん、あたしたちは何をしたらいんですか?」


 興味津々といった感じの理沙に、才はメガネをくいっとやってから答えた。


「それを考えるのは俺――ワタクシではダメです。あなたたちが自分で考えるのも意外性という点ではイマイチ。今回の作戦に関わっていない人物に意見を仰ぐべきだと考えます」

「それって誰だよ?」

「それは皆さんでお考えください。ワタクシはしばらく姿を消します。また改めてお会いしましょう」


 そして才が去った後、マスターやエレナも交えて話し合った結果、白羽の矢が立ったのはドクターだった。作戦の内容は伏せ、祥太郎たち三人が『今の自分を変えたい』という相談を持ち掛けたところ、アイドル活動とナンパ、というアドバイスが返ってきたのだ。


「あのっ! こんにちは」

「はぁ。こんちは」

「え、えっと……突然で申し訳なく思うのですが、ご、ご一緒にお茶とか食事とか、そんな感じでしてもらえると嬉しいかなって……」

「んー……ま、いいけど?」

「ほ、ほんとに!?」

「別にそんくらいいいよ。で、どこ行くわけ?」

「え、そんな、何というか急に言われましても……や、やっぱり後日改めてってことで……」

「はぁ? 何それ? キモっ!」

「すすすすいません! 悪気があったわけでは……!」


 せっかくOKをもらったというのに逆にパニックになってしまい、怒った女性の背中を見送りながら、その場に崩れる祥太郎。


「あらー、祥太郎ちゃんやないの」

「はい? ――あっ」


 半泣きになっているところで急に名前を呼ばれ、弾かれるように振り向くと、そこには艶やかな和服姿の人物がいた。


「ええと……江上さん」

「お久しゅう。ゆりあっちやで」

「あ、はい。お久しぶりです」


 江上友里亜えがみゆりあはにっこりと笑い、少し周囲を見回してから言う。

 

「ところで祥太郎ちゃん。繁華街ならまだしも、なんでこんな中途半端な場所でナンパしとるん? 下手したら通報されるで」

「ええっ!? み、見てたんですか……その、何ていうか、人が多いところだと恥ずかしくて」

「ならマッチングアプリでも使うたらええやんか」

「そ、そういうのもちょっと……抵抗があるというか」

「きみ何がしたいん? 罰ゲーム?」

「そういう訳でもないんですけど……」

「ふーん」


 少し考え、友里亜はポンと手を叩いた。


「ならお姉さんが付きおうたるわ」


 それから戸惑う祥太郎の手をとり、強引に引っ張っていく。

 ――歩くことしばし。連れて行かれたのは、雑居ビルの地下にある古びたバーだった。昼間は喫茶店として営業しているようで、汚れた黒板に殴り書きのような字でメニューが書いてある。

 友里亜は顔なじみなのか、声をかけて来たマスターに会釈をし、勝手に奥にあるテーブル席へと向かった。


「祥太郎ちゃん、何がええ?」

「じゃあ……僕はコーヒーで」

「うちもそうしよ。マスター、コーヒー二つ」


 店の中央には大きな蓄音機が置いてあり、そこからはジャズが流れている。薄暗い店内に客はまばらだった。挽きたてのコーヒーの香りが漂い、鼻をくすぐる。


「で、祥太郎ちゃんは何してたん?」


 注文したコーヒーが運ばれてくると、一口飲んでから友里亜が切り出した。どうしてもそこが気になるらしい。しかし祥太郎としては詳しい話をするわけにもいかない。


「それはその……自分を変えるためにナンパを」

「あはは、可笑し。きみそういうキャラやなさそうやけど。罰ゲームやなかったら、誰かの入れ知恵とか? あー、お仕事関係ってとこ?」

「まぁそんなとこのような、そうでもないような」

「なら言われへんよな、ごめんな」


 彼女は笑ってから、脇に置いたバッグへと手を伸ばした。中から小さな和柄の巾着袋を取り出し、目の前へとかかげて揺らす。


「これな、うちの自作のスペシャル匂い袋。女の子にあげたら喜ばれると思うよ? ええ匂いやから、祥太郎ちゃんもちょっと嗅いでみ?」


 それから匂い袋を祥太郎へと差し出した。その手が、突然止まる。


「祥太郎ちゃん! 皆を避難させ!」

「……はい!」


 迷いは一瞬。祥太郎自身は何も感じなかったが、これまでの経験が体を動かした。店のマスターと客は、一瞬にして姿を消す。コントロールに不安はなかった。間違いなく思い描いた場所に転移は行われたはずだ。


 ほっと息をついた瞬間。――あたりは紫色の闇に包まれた。

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