再会 3

 『大干渉だいかんしょう』が起こるという報せは、すでに『アパート』にも届いていた。

 その際に『調和の聖女』から釘でも刺されたのか、簡単な確認をされただけで特に詳しい事情を聞かれることもなく、さいはマスターにコントロールルームへと連れていかれる。

 理沙りさも非常時に備え、雨稜うりょうの管理する土地で薬草を採取する手伝いをするとのことで、迎えにきたシロとともにいおりへと向かった。

 ひとまず待機となった遠子とおことマリーは、ミーティングルームに取り残される。

 静かになった部屋の中、しばらくカチャカチャと茶器がこすれる音だけが聞こえていた。


「……ごめんなさい」


 やがて、マリーがぽつりと言う。


「何が?」

「あっ、ええと、口に出したつもりじゃなかったんだけれど……つい」


 彼女は頬を赤らめ、それから意を決したように続けた。


「紅茶の香りで、『悪夢を招く者ファントム・ブリンガー 』の時のことを思い出したの。……わたし、トーコのことを疑ってたわ」

「何の説明もなく薬で眠らされたら、疑って当然だと思うけど? あの時は仕方なかったとはいえ、私もごめんなさい。でも結局はみんな信じてくれて助かったし、嬉しかった」

「そうね。でもそれだけじゃなく、色々誤解があったなって」


 遠子は首を傾げ、それから今度は縦に振る。

 

「マリーちゃん、何か聞きたいことがあるんじゃない? もう大体のことはバレちゃったし、いいのよ? 聞いても」

「どうしたの? 突然」

「『大干渉』は由々しき事態だけど、それとは違う悩みがあるって顔をしてるもの」

「……かなわないわね」


 マリーは小さく笑みを浮かべた。それからまた少しだけ黙り、カップの紅茶に目を落としたまま口を開く。


「……トーコは、自分が魔女だってこと、いつ分かったの? 物心ついた時には、そういう自覚があるものなのかしら?」

「そうね……」

「あっ、言いにくいとかなら、全然かまわないんだけど」

「そういうわけじゃないの。ずいぶん前のことだから、どうだったかなって思って。……確かに、物心ついた頃には、自分が人とは違うんだってことは嫌でも分かったわ。私の生まれ育った村では強い能力を持つ人はいなかったから。でも、はっきりとした違いを知ったのは、十になる前だったかしら。山に薬草を採りに行ったときに、魔女と出会ったの。やっぱりその衝撃は大きかったわね」

「その魔女に、色々と相談したの? 術を教えてもらったとか?」

「いいえ。その人がどこかに行くのを見かけただけ」

「……魔女は相手もそうだっていうことが分かるってことよね?」

「ええ。『因子』の関係でしょうね。上手くは言えないけど、『そういう感じ』がするわ」

「だから無垢むくの魔女もトーコに『そうは見えない』と言ったのね。ボーニンゲンの力に阻まれていたから。まるで結界のように」


 長い息が吐かれたあと、マリーは視線を上げ、遠子の方を見た。


「トーコ。どうか正直に教えて欲しいの。――ママは、魔女なのよね?」


 ◆


 視界がゆらぐ。耳元で音が弾けた。ぱらっと髪が舞う。あと一瞬遅ければ、髪の代わりに耳がちぎれていたかもしれない。


「優秀な防衛本能だ。だが、それを意識して使えないならいずれ詰むぞ」

「――!?」


 瞬きしている間に、女は祥太郎しょうたろうの目の前にいた。

 ――走る戦慄。とっさにその場を離れる。指先ほどの大きさとなった女の姿を見てほっとしたのもつかの間、また嫌な汗が体を伝った。

 動き続けることはやめてはいない。けれども、女は米粒ほどの大きさになったかと思えば、すぐに指先ほどの大きさに戻る。ピッタリとマークされているのだ。まるで獲物をもてあそぶ狩人のようだった。


「えっと、どうしよう……どうしよう」


 恐怖と焦りで、パニックを起こしそうになる自分を何とか抑え込み、あたりを見回す。どこを目印にして、どこに逃げたら良いのかすら分からない。隠れるところも見当たらない、ただただ広い空間。

 先ほどから転移が思い描いたとおりに行かないのも、もどかしかった。力が膨れ上がって調整するのが難しくなったかと思えば、一気に脱力して維持が困難になる。


「イメージ。集中……! とにかく遠くに逃げなきゃ! このままじゃ追いつかれちゃうよ!」


 そして、殺される。

 恐怖が膨れ上がったと同時に、女の姿も大きくなった。あっという間に目の前までやって来たのだ。

 あわあわと口を動かす祥太郎に向かい、女はハンドサインのように、右手で様々な形をつくる。

 ――何かの術を使うつもりだ。

 予感は的中する。女の周りには無数の小石が現れた。やがてそれはうなりを上げながら祥太郎へと向かってくる。


「くそっ! やってやる!」


 逃げている余裕はなかった。そうすれば今までのように出現場所を予測され、狙い撃ちされるだけだろう。

 出来うる限りの広範囲とスピードで石を退けるが、軌道もタイミングも複雑で、何より数が多すぎた。すり抜けたつぶては、祥太郎の腕を、足を、体を打つ。


「うぉぉぉぉぉっっ!!!」


 今までの戦いなら、理沙がともに弾き飛ばしてくれただろう。才が次に来る場所を教え、マリーが結界で守ってくれただろう。遠子の力なら、全部を一気に処理できるのかもしれない。

 ――けれども、今はひとりだ。


「その程度かな? 君の力は。この程度で死ぬ男かい?」

「うるさい!」


 石の一つが頬をかすめた。目の前に赤い色が飛び散る。

 厄介なのは、敵の攻撃だけではなかった。自らの中で暴れ馬のように跳ねる力の手綱を必死でつかみ続ける。それに加え、全身に蓄積されていくダメージが、さらに集中を奪っていく。


「そろそろ遊びは終わりにしようか」


 飛び回っていた石がピタリと静止した。女はまた右手で、複雑な印を結ぶ。

 無数の石はその場で回転し――祥太郎へと向かって一気に襲い掛かった。


 ◇


「どうして、急にそんなことを?」

「急にではないわ。疑問に思っていた少しずつがつながって、形になったの」


 表情を変えずに言った遠子に、マリーは小さく首を振り、少し遠くを見るようにして言う。


「わたしね、ママがフォンドラドルード家と折り合いが悪くなったのは、わたしが生まれたせいだって思ってた。実際、どこの誰かも分からない男の、子を産んだって陰口を言う親戚もいたから」

「エレナさんは何て言ってたの?」

「ママはわたしのせいじゃないって言ってくれた。でも、本当の理由は教えてくれなかったわ。連れられて何度かお祖母様のお宅にも行ったけれど、そんなに仲が悪いようにも見えなかったし」


 最後に訪れた日。母と祖母は長い抱擁を交わしていた。それきり祖母には会っていないし、葬儀にも呼ばれてはいない。


「フォンドラドルード家の歴史は、魔女との戦いの歴史でもある。だからもしママに魔女の片鱗があったとしたら、お祖母様が見逃すことはないだろうし、家に残ることを許せるはずがない。わたしだってね、この一年で成長したのよ。アパートのお仕事もたくさんこなしたし、ザラに鍛えられたり、初めての異界派遣を経験したり、『悪夢を招く者ファントム・ブリンガー』と遭遇したり――自分の未熟さを思い知ったりもした。三剣みつるぎ大臣の結界が、あんなに美しく織られていることだって、ようやくわかるようになった」


 そこで彼女は言葉を切り、紅茶を一口飲む。


「トーコの淹れる紅茶は、とっても美味しいわね。しばらく飲めなくなってしまった事で、かえってそれに気づけたわ。しばらく会わなかったママも、どこか。――おそらく、お祖母様の施した結界の効力が薄れて来たのじゃないかしら。わたしの感覚が正しいのなら、トーコにはもっと良く分かるはず」


 真っすぐに目を向けた先には、いつもの遠子の微笑みがあった。彼女はうなずくと、それに答える。


「あくまで、私の印象で良ければ言う。直接エレナさんに聞いたわけじゃないから」

「それで構わないわ」

「以前のエレナさんは、正直良く分からなかった。でも今のエレナさんは――魔女に見える」

「ありがとう。結界の仮説も補強されるわね」


 マリーは言って長い息を吐き、緊張を解いた。


「……マリーちゃんは、エレナさんが魔女だったら心配?」

「そうね、以前だったらそう思ったかもしれない。でもママはママだもの。トーコはトーコだし、無垢の魔女だってそんなに悪い人じゃなかったわ。それに彼女の話が本当なら、わたしだって魔女になる可能性はあるわけでしょう? ――むしろ今は、安心してる」

「安心?」

「そう。だってママはすごい人なのよ? そのママが魔女だったってことは、才能が保証されてるってことなんだもの。ママに任せておけば、ショータローは絶対大丈夫だわ」


 ◆


「はぁっ……はぁっ……」


 自分の荒い息づかいが大きく聞こえる。今にも崩れ落ちそうな体を必死でつなぎとめ、前を見る。

 霞む視界には、したたる赤い色が見えた。


「あっ……」

「何故、そんな顔をするんだ?」


 顔をしかめながらも、女は祥太郎へと口角を上げてみせる。


「追い詰められた状況下で、あれだけの数の石を正確にこの空間の片隅へと転移させ、私の次の手を封じようとした。見事だったよ」

「腕が……!」

「でも君は、この腕を狙ったんだろう? 狙い通りいったじゃないか」

「そう……だけど……」

「そんな顔をしなくても良い。こちらも狙い通りだったのだから」

「え……?」


 するとだらりとしていた右手がゆっくりとあがり、ピースサインが作られた。やはり痛みをこらえているようではあるが、今度の笑顔は少しだけ自然に見える。


「わざと目立つように動かしたからね。腕の動きで術を発動していると思わせるように。ただ、そこに君が乗ってくれるかどうかは賭けだったけれども。君が前評判通りの善良な男で助かったよ」

「それって、単純だってバカにされてるんですか?」

「失礼。そういうつもりはなかったんだけどね。君は私を殺したくないと思ったからこそ、私の誘いに乗ったんだろう? 自らの中で膨れ上がり、コントロールを失いつつあった力への怖れもあったはずだ」

「それは……」


 すべてを見透かされているかのようだった。先ほどまでは身の危険を感じていたのに、今は目の前の女が悪人には見えない。


「そして君が腕を狙ってくれたおかげで、非常に効率的な処理が行えた。ただ、私でなかったら腕は粉々になっていただろうね。それが君の持つ力の大きさと、技術のアンバランスさだ」

「すみません……」

「しかしこれで、君の中に滞り、いまにも爆発しようとしていたエネルギーの方向性は定められた。おめでとう! あとはトレーニング次第でどうとでもなる。君は優秀な先生につけたのだからね」

「あの、きざはしの魔女さん……?」


 おそるおそるといったその言葉を聞き、彼女はほがらかに笑った。


「その名前も中々素敵だけど、私にはもっと良い名前があるんだ。――エレナ・フォンドラドルード。君の前任の転移能力者だよ」

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