第14話「長い夜の間に間に」



 武は今まで隠れてこっそり書いていた宇留部家の手製の家系図を、鷹志田たちに向けて見せびらかした。

 いかにも素人が付け焼刃の知識で書いたといえる出来の代物であった。

 下手くそな阿弥陀くじのようである。

 本職の鷹志田だけはパッと見ただけですぐにわかったが、普通の一般人には見にくいし、わかりづらいだろう。

 その家系図をさっきまでの軋轢を忘れたかのように、鷹志田の前に置いた。


「な、弁護士さん。これでいいんだろう」

「……どれ」


 とりあえず書き込んである財産分与のための分数を見る。

 こんなの司法試験の択一の問題でやったなあと鷹志田は懐かしく思い出した。

 答え合わせなどはしたくもなかったが、言い争うのも面倒なので弁護士らしく条文だけを適用してみせた結果。


「間違ってはいませんね」

「そうか。じゃあ、うちの財産の半分は俺のものということだな。おおい、法律的にはあっているんだろ! な!?」

「法律的にはね」


 鷹志田のこめたわずかに皮肉な口調に気がつくには、武は興奮しすぎていた。

 両親が亡くなったかもしれないというのに、今の彼には自分に入ってくる金の問題の方が大切なようであった。

 他の親族からの白い視線に晒されていることさえもわかっていない。


「よしよし、来週から分配に入ろうぜ」


 うきうきと都合のいい未来を語る武。

 その姿に切れかけたのは、やはり男性陣―――智だった。


「いい加減にしろよ、クソ野郎!」

「―――なんだと?」

「お祖母ちゃんが死んだ日、しかもあんたの親まで死んだ日に金の話かよ。クズなのもほどほどにしとけよ、このDV男!」

「誰がDV男だって?」

「親戚みんなが知っているよ、あんたの離婚原因なんて。誰も知らないとでも思ったのかよ。あんたの別れた女房がわざわざ親戚中に吹聴して回っているってのに。それに琴乃伯母ちゃんがうちにまで金を借りに来たのはあんたのせいだろ。あんたが嫁に作った慰謝料の返済のためさ。親にあんな恥をかかせておいて、よくもまあ、ぬけぬけと生きてられんな、この恥さらしが!」

「……なんだと。なんで、おまえなんかに」

「うちにも来たぜ、金を借りに。あんたが浮気相手の旦那にファミレスで土下座しているときに、幸吉さんがさ。ただし、うちだって裕福じゃねえから俺が断らせたけどな。あとよ、あんたのオヤジ、うちの母ちゃんに妙な色目使うんじゃねえよ。親子揃って反吐がでらあ」


 静磨までが加勢に入る。

 ラグビーをしていたとはいえ、どうやら身体の大きいことだけが取り柄の武は次第に押され気味になる。

 空気を読まない振る舞いが、ただでさえ張り詰めた緊張感の中で反感を買いすぎたのだ。

 このまま一食触発の状態が続くかと思われたとき、


「もうやめてよ!」


 叫んだのは舞衣だった。

 万事おとなしい彼女にしては珍しい振る舞いに、全員が仰天した。


「なんで、こんな怖い出来事が起きているときに、そんなくだらないお金のことで騒げるの! あなたたちの家族が死んでいるんだよ、お祖母さまも亡くなっているんだよ! こんなにも辛いことばかりなのに、どうして親戚同士でいがみ合えるの! ホントにいい加減にして! もうやめて!」


 髪を振り乱して叫ぶ舞衣の姿は、見るものに罪悪感を伴わせ、気分を落ち着かせるためには十分であった。

 その爆発を機に、武も静磨も落ち着いたのか、無言で自分の場所に戻る。

 周囲が静かになったことで取り乱してしまったことに羞恥心を覚えたのか、舞衣はそのまま俯いて座り込んでしまう。

 もともと、ああいうふうにいきなり激昂するタイプではないのでなおさら恥ずかしいのであろう。

 だが、鷹志田としてはむしろ好印象だった。


(取り乱した時に、あんな風に周りを気遣えるのは根が優しい証拠だ。裏表のない性格なんだろうな、きっと)


 あの時にもっと品のないことを思わず口走る性格だったら、鷹志田も見放していたかもしれない。

 弁護士としても依頼者はできたら選びたいものだ。

 楽に金を稼ぐにしても、変な相手と組むのは御免被りたいのだから。

 彼女はいい依頼者になりそうだ。

 と、心の中で言い訳をしてから、頃合を見計らって鷹志田は舞衣の隣に腰掛けた。


「落ち着きましたか」

「……先生。お恥ずかしいところをお見せしてしまいました」

「仕方ないでしょう。ショックの大きなことが立て続けです。私もさっきまでは同じようにショックを受けて凹んでいましたし、気を取り直した今でも時折目の前にさっきの酷い光景がフラッシュバックを起こしています。正直、周囲に当たり散らしたくてならないくらいですよ」

「そんな……」

「だから、とりあえず朝まで我慢しましょう。朝になったら、ここから逃げ出して、そこでまた改めて考えることにしましょうか」

「わかりました……」


 舞衣が精神的にようやく落ち着いたことを確認すると、


「そういえば、舞衣さんはどちらにお勤めで?」

「は……い?」

「舞衣さんには社会人としてどこかで働いていた人に特有の物腰がありますよね。どこかでOLでもなされてたんですか?」

「……気になります?」

「わりと」


 舞衣は口元だけで笑った。

 儚げだが、多少は陽気な気分になれたのであろう。


「急に暢気になりましたね、先生。なんですか、もしかして……」

「ええ、あなたのことが気になり始めました」

「ふふ。お上手ですね。彼女さんとかたくさんいるんじゃないのですか?」

「そうですかね。大学時代から勉強ばかりやっていましたから、あまり女の子とは付き合っていないんですよ」

「謙遜されているみたいです。あの小夜子ちゃんが懐いていますから、結構やり手な感じがしますけど……」

「誤解ですね」

「へえ」


 二人のあいだの雰囲気が一変した。

 こんな場合とは思えないぐらいに親密なものに変わる。

 うまくいったな、と鷹志田は思った。

 こうやって依頼者との関係を良くしてのちのちの仕事に繋げれば、彼自身の独立も早まるというものだ。

 だが、ここで以前に抱いた疑問を思い出した。

 果たして彼のボスである南場壮一郎はこうなることを見越して、彼をここに派遣したのだろうか。

 まさか、殺人が起きて犯人はオバケなんてことが予見できるはずはないが、彼のボスがなにかを承知していたということは考えられなくもない。

 なぜなら、あの権威に弱く金が好きな大物弁護士が何十億円の遺産が動くこの宇留部の案件に関わってこないはずがないからだ。

 まったく、あのおっさんは……。

 不思議と自分をこの場に追いやったボス弁護士への恨みはでてこなかったが、今度飲むことがあったらとりあえず報復に日本酒の中にしめ鯖をぶちこんでやろう。

 アレは最高に不味いからな。


「……先生は凄く冷静なのですね」

「えっ。あ、まあ、なんとか」

「さっき、鷹志田先生が詳細な分析をはじめてくれたおかげで、みんなが落ち着いてくれたのでとても助かりました。―――結局、武兄さんがぶちこわしちゃいましたけど」

「なんか授業をしていたみたいですみません」

「先生は、どこかで家庭教師とかをなされていたんですか? お話中に生徒が食いつきやすいポイントでためを作ったりしていて、とても手慣れているなあとか思ったのですけれど。静磨くんなんか、見事に釣れていましたし」

「……出身大学でたまに法学の講座をしています。学生よりもおじさんおばさん相手のカルチャースクールみたいなものですが。年齢が若いとそういう雑用みたいな仕事を押し付けられるので面倒なものですよ。ところで、私のことばかりを聞いていますが、舞衣さんも絶対に何かをしていたんでしょう? 生徒の食いつきやすいポイントなんて普通の人は考えませんよ」

「一人暮らしをしていた頃、八王子にある塾で中学生相手に三教科を教えていました。きちんとした教員免許も持っているのですけれど、どこにも採用されなくて……。宇留部のコネを使って青梅市の高校の教員にならないかって話もあったのですけれど、それは断っちゃいました」

「なぜ?」

「お恥ずかしいことながら、自分だけの力で勝負してみたかったんです。……でも、ダメでした。なんのコネもない普通の女として応募してみても洟もひっかけてもらえませんでした。それでも教師になるという夢を諦めたくなくて塾の講師を細々と続けてながら機会を待っていましたが、祖母の調子が悪くなった途端、逃げるみたいにこっちに戻ってきたんです。それに、一人暮らしをしていたといっても、八王子なんてここから目と鼻の先ですし……。ホントにおままごとみたいなものでした。結局のところ、私は何者にもなれなかったみたいです」


 舞衣は自嘲した。


「やっぱりどこまでいっても田舎の旧家の箱入りなんです、私は。自分では何も出来ない程度の。……亡くなった母も私に近い、何も出来そうにない自分に甘い人間でした。家のしきたりということもありますけど、大人になったら果敢に外に出て行った叔母さんたちと比べたらホントにダメダメで」

「それで、琴乃さんたちには逆らいにくかったという訳ですか」

「コンプレックスなのかな。生き方が逞しい人たちには最初から敵わないと思っちゃうみたいです。ホントに情けない話ですね」


 鷹志田はそうは思わなかった。

 真に甘ったれた人間というものはそもそも勝負さえしない。

 世間というものを舐めきった人間も無謀な勝負にでやすいものだが、勝負をすることさえしないよりは遥かにマシだろう。

 最後に勝負にも勝てればいいのだが、実際はそうもいかない。勝てるものよりも負けるものの方が多いのが世の常だ。

 ただ、戦ったという事実だけは残る。

 そして、何もしなかったという後悔はなによりも心に淀みを残すものだ。


「すべてがすべて成功する訳ではありません。自分の思い通りにいかないことなんて世の中には吐いて捨てるほどあります。でも、それに怒り狂って他人にぶつけるなんてことをしなければいいのです。思い込みで八つ当たりする人たちこそ一番たちが悪い。そして、あなたはそうではなかった。それでいいのではありませんか」

「……ありがとうございます」


 舞衣の笑い方は気品があっていい。

 そんなことを鷹志田は思った。


「あれ、センセー、もしかして舞衣従姉さんを口説いているの」


 隣に小夜子がやってきた。

 さっきまで帰ってこない父親のことを心配して真っ青になっていたにしては語調が軽い。

 むしろ楽しげだ。

 だが、年上の二人はそれが空元気だと見抜いた。

 痛々しいまでに元気な人間を演じているのだ。

 彼女は声優であり、演技者でもあるのだから、見た目そのままでは判断してはならない。


「よくおわかりで。ナンパ中ですよ」

「おおっと、上手い切り返しだよね。そう冗談っぽくごまかされると茶化しづらくなるよ」

「ええ、そうでしょう」

「依頼人に手を出す弁護士って、これは懲戒ものだね。弁護士会に報告しようっと。センセーは第一と第二のどっちの弁護士会なの? あとで懲戒請求をしておくから教えてよ」

「……えっと、額の汗を拭いてくれませんか」

「ふふふ。いじめてごめんなさい。じゃあ、お詫びにダイシ様についてあたしが思い出したことを教えてあげるよ。だから、感謝してね」

「ほお、なにを思い出したんですか?」


 おとがいに指をあてて、何かをひねり出すように唸ってから、


「お祖母ちゃんは、あの化け物を見たことがあるはずなんだよ」

「えっ」


 思わず鷹志田と舞衣の声がハモった。

 予想外の話だったからだ。


「……昔、お祖母ちゃんが自費出版した同人誌にそんな記述があったはずだから、おそらく間違っていないよ」

「お祖母様、漫画なんか書いていたの?」

「いや、今風に言う同人誌じゃなくて……。ほら白樺派とか昔の文学サークルが出してたみたいなやつのことだよ。お金かけたみたいだから、わら半紙作りじゃない結構立派な装丁だったけどね。お祖母ちゃん、ああ見えて文学少女だったらしいし」

「そういえば、刀自の本棚に自費出版の本がありましたね」

「うーん。あったような、なかったような……」

「確か『宇留部家の歴史』とか……」

「そう、それ! それだよ! それを読めばきっといろいろなことが書いてあると思う。あたしが子供の頃に読んだ記憶があるからさ」

「だったら、あとで読んでみましょうか。お祖母様の部屋に行けばあるはずですし」

「いえ、それなら今は私の部屋にありますよ」


 二人の不思議そうな視線が飛んだ。

 どうして? と目つきが物語っている。


「あ、面白そうだったので、つい読んでみたくなりまして……」

「そうなんですか?」


 勝手に拝借したとは言わなかったが、どうやら誤解されずにすませられなかったらしい。

 二人はちょっとだけ疑わしげであった。


「そういや、なんで従姉さんがアレを読んでないの? 子供の頃から家にあったんだから、読む機会はあったはずだけど」

「私は……」


 少しだけ舞衣が言いよどむ。

 躊躇ったあと視線を泳がしながら、


「理系だったもので」

「……従姉さん、現国の教師じゃん」

「うっ。ごめんなさい。普通につまらなそうだったから、手にも取らなかったのよ……」

「ホント、舞衣従姉さんて昔から軽めのコバルトとかビーンズ文庫なんてものばかり読んでいたもんね。たまには小難しい文学も読みなよ」

「……レジーナも読んでいるわよ、最近は」


 じゃれあうことができるぐらいには、従姉妹同士仲は悪くないらしい。

 二人の会話が少しずれだしたので疎外感を覚えた鷹志田は、開き直って自分の思考を手繰ることを始めた。

 刀自である祖母の青子があの『ダイシ様』を見知っているとなると、菊美が知らなかった五十年分をさっぴけば、だいたい七十年前から五十年前にもアイツは出現していたと推測できるはずだ。

 その頃にいったい何があった?

 おそらくはそのあたりがポイントになるはずだ……。


 それ以降は何も起きず、柱時計の鐘が六回鳴り響いた。

 六時になったのだ。

 しかし、まだ宇留部の人々は知らない。




 そして、戦慄の朝が訪れたことを。

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