第7話 出会い/言葉交す

 その後、ティンカーベル本人からメールが届き、日時や場所の指定など数回のやり取りを経て、休日の午後に天神の喫茶店で待ち合わせすることになった。

 例によって朝早くから姉に叩き起こされたので、眠気で非常に機嫌が悪い。揺れる電車の中で険しい表情をしながら襲い来る睡魔と戦う。最も、天神に着けば終点なので寝ても良い。

 つかむの住んでいる地域から天神までは、9駅分の距離で、長いようで短くもある。この間は携帯ゲームに勤しむか本を読みふけるか、選択肢は限られる。広告に目を通すのも一興だが直ぐに飽きてしまう。諦めて惰眠を貪る。


 何事も無く天神駅に到着。薄ぼやけの意識から目が覚めてあくびをしながら立ち上がり、人混みに紛れて電車から降りて改札口を抜ける。そのまま地下街へと階段を下りる。少しの距離を歩いた後、エスカレーターに乗り込み再び地上へ。待ち合わせ場所の喫茶店へとたどり着いたが、携帯端末を確認すると、思いのほか早めに着いたようだ。

 店員へ促されるまま、窓際の席に座る。丁度ガラス張りになっており、外に行き交う人々が見える光景は、まるで動物園で飼育されている動物を眺める様子のよう。

 数分が経過し、さすがに何も頼まないわけにはいかないのでメニュー表を開くが、どれもこれも割高。どうみても自販機の方が安いではないかと内心舌打ちをする。メニューを隅から隅まで確認した後、仕方なく適当に「当店オススメ」と書かれたソフトドリンクを注文する。

 器に注がれた液体をストローで吸い上げて喉へと通過させる。途端に表情を歪める。話題性を呼ぶためだけに装った派手な見た目なだけで味は最悪。栄養数値と成分表に目をやるが、カロリーは高いし栄養は偏っているではないか。これならフードコーディネーターの母の作った自家製スムージーの方が美味い。

 きっと店員の方々も手間がかかって面倒臭いと思っているに違いないと心の中で毒づく。こういう今の時代だからこそシンプル・イズ・ベストの精神ではなかろうか。最終的にはこれを頼んだ自分のチョイスに腹が立ってきて軽く溜息を付いて俯く。だが残すのは罪悪感があるので頼んだからには飲み切るつもりだ。


 そういえば、店に着いたら一度メールするという約束だった事を思い出し、慌てて携帯端末フューチャーフォンを起動。自分は先に着いたと打ち込んでから送信。少しだけ緊張感が襲い掛かる。巷で噂のティンカーベルにこれから合うのだから当然かもしれないが、そもそも人と話すの嫌いなのであまり乗り気というわけでもない。まことならば人並みに浮足立つだろうが、残念ながら掴はそういう事に感心も無ければ興味も薄い。


 自由に閲覧可能な紙媒体の雑誌に目が止まる。丁度表紙でジャングル社の特集が組まれた新刊雑誌だ。まだ時間があるので時間つぶしには持って来いなので手に取り読んでみる。ページをめくると、小太りというか大分お太り気味の温和そうな表情をした若い男性社長の写真がお出迎えしてくれた。

 “IT企業、ジャングル社社長、熊野楓太郎ふうたろう。尊敬する人は2人、ファンタジアギャラクシアを運営・発展させた夢緒ゆめお育継いくつぐ。そしてファンタジアギャラクシアの世界観・基礎を構築した御門みかど御守みかみ

 父の名前と、望の父の名前が出てきた。嬉しくないと言えば嘘になるが、この男が言っている事なので素直に喜べない。これ以上読むと気分が悪くなるので早々に読むのを止めた。 


 しかし、ここで彼女の事を調べるのを忘れていたことに気付く。打ち合わせ話が出て数日間の間は仕事で忙しくて調べる暇がなかったのだ。名前しか知らないのは流石に失礼過ぎる。急いで携帯端末からネットに繋ぎ、ティンカーベルに関する情報を検索して片っ端から閲覧を始める。まだ時間はあるのでそれまでに必要最低限の事は詰め込める。


 世界のティンカーベル。

 通称、電子の妖精・電子の歌姫と呼称されているファンギャラからリアルデビューを果たした歌い手の女性。しかし、その活動範囲は電脳世界であるファンギャラの中のみならず、世界中の貧しい国に赴いては慰安コンサートを開催している。歌はエディット・ピアフ、踊りはマイケル・ジャクソン並みの腕前を持っている。なお、コンサートの際はアバターであるティンカーベルの容姿と衣装をCGで身体に映写しており、本当の姿は未だに不明。

 画像検索を埋め尽くすほどのティンカーベルのきらびやかな姿。どれもステージ上で歌い踊る優雅なものばかり。まさに幻想と未来から訪れた、妖精然とした愛らしく清楚な大人の容姿。目に優しい自然色を基調とした服装。まるで異世界にでも迷い込んだかのようなステージ演出、いくら関心の薄い掴でも夢中になり魅入っていた。


 突如携帯の画面が変わり、バイブ音が鳴る。ティンカーベルからのメール通知だ。開いてみると、外見の特徴と服装が書いてあり、今から店に入ると書かれていた。


 椅子から半身を乗り出し、すぐに彼女を探す。


 一目見て彼女とわかった。


 派手な外見が目を引いたからだ。


 横目でメールの内容と垂らし合わせる。


 白い肌。ストロベリーブロンドを高く結い上げ、毛質は緩やかにウェーブがかって肩まで広がり、花のコサージュが付いたレースのカチューシャを付けている。

服装は淡い色のブラウスにコットンのロングスカート。


 その通りの格好だった。第一印象は、派手な外見に反して全体的に柔らかい雰囲気の女性といったところ。そうだ、入ってきたらわかるように手を振らなければ。右手を上げて、彼女の目に入る様に手を左右に振る。すると、彼女の方も振り返す。思わず安堵の息が漏れた。彼女は緩やかな足取りで掴の方へと近づいてくる。徐々に距離が縮まり、数秒で目の前に辿り着く。


「ティンカーベルです」


「スコーピオンです…」


 傍から見ると意味の分からない挨拶であろう。下手をすると中二病かと疑われるであろう。しかし、これがお互いを認識する合言葉だ。


 ティンカーベルの彼女は微かに笑顔を浮かべ、掴もぎこちない笑顔を作る。


「初めまして、スコーピオンさん」


「こちらこそ初めまして。どうぞこちらへ」


「はい、お言葉に甘えて、失礼します」


 柄にもなく椅子を引いて座りやすいように促す。まあ最低限のマナーを出してみただけである。彼女は丁寧に一礼して席に座る。ふわっとしたアロマの香りが鼻孔をくすぐる。


「どうぞ」


「え? はい…」


 彼女が名刺を差し出して来た。まさかの行動に思わず素っ頓狂な返事を返しながら受け取ってしまう。シトラスミントカラーの名刺にはティンカーベルの名前がプリントされている。この流れだと自分も名刺を渡すべきなのだが、生憎スコーピオンには名刺などない。途端に申し訳なくなり恥ずかしさを覚える。


「すみません…僕の方は名刺持ってないんです…」


「ふふ、大丈夫ですよ、お気になさらず。それよりも、この度はわたくしの依頼にお答えいただきありがとうございます。貴重な休日の時間を割いてこの場に来てくださった事にも重ねてお礼を述べさせていただきます。ありがとうございます」


「いいえこちらこそ」


 流石はプロと言ったところか、彼女の方が自分と違い話馴れている。それでいて事務的過ぎず、おっとりして優しい声音だと思った。


「何か飲み物か食べ物でも頼みます?」


「お気遣いありがとうございます。そうですね…」


 彼女はメニュー表を動かし、一目見ただけで直ぐに店員を呼び止め注文を始める。


「アールグレイと苺のミルフィーユをください」


 嘘か真か冗談なのか、彼女はアールグレイを頼んだ。


 彼女の祖父の名字はアールグレイではないか。思わず教授の顔が思い浮かび、口から声が漏れて吹いてしまった。軽く咳き込むと、彼女は怪訝な表情を浮かべることなく微笑みかけてくれた。彼女は自分を気遣ってユーモアを効かせてくれたのだと気付き、掴も硬い笑顔を返した。


 アールグレイの他に苺のミルフィーユも頼んでいた、そして改めて彼女の髪色を見ると、日本人離れしたストロベリーブロンドカラー。アールグレイ教授はフランス系だった筈。やはりクォーターであろうか? 思い切って聞いてみることにした。


「凄く綺麗な髪色ですけど、それって地毛なんですか?」


「そうですよ。でも今どきは国際化も珍しくないので助かってますね」


 会話のキャッチボールは出来ている。気分は害していないようだ。丁度良く、彼女が注文したアールグレイと苺のミルフィーユが届き、テーブルに置かれる。彼女は丁寧な所作でカップを手に取り、アールグレイを一口。


「貴方がプログラムをお書きになるようになったきっかけはなんです?」


 ごく自然に尋ねられた。今は表立って活動していないので、素直に答えるべきか一瞬躊躇する。しかし、掻い摘んで正直に話す事にした。


「幼少期の頃、父が作ったゲームなので、自然と興味を持って遊び始めたんですよ。そしたらいつの間にかプログラムを覚えて上に申請する様になって今に至ります」


「へえ。そんな小さい頃からお遊びになられてたんですね。私は周りに褒められたことがきっかけですね」


「定番ですね」


「ふふ、そうですね」


 やはり歌い手の大半はこの辺がきっかけらしい。どういう経緯で、ティンカーベルとしてファンギャラの中で歌うようになったのか知りたくなったからだ。これから一緒に仕事をするのだから、相手の事を知っておくのも必要であり、物事も円滑に進めれる。


「小さい頃から自然と口ずさんでいたら、よく家族や友達が聴き入って静かになることがあるんです。自覚はしてなかったんですけど、私の歌声には人を引き付け動かす力があるって。

 それがきっかけで歌う事に興味を持ち始め、気付いたら歌う事が好きになりました。そしてある時に、祖父に教えられてファンギャラを始めました。私の祖父、ブレイン・アールグレイの事はご存知ですよね?」


「僕の父と、僕の師匠である御守さんの恩師ですから」


 ブレイン・アールグレイ。

 脳科学の世界的権威であり、AIと人間のよりよい共存関係を理想に掲げる高名なAI研究者でもある。ファンギャラに搭載されているシステム管理用AIは、彼の研究の賜物。育継と望の父、御守の恩師という繋がりで何度か会った事はある。出会ったのは幼少期の頃だが、名前と堀の深いロマンスグレーの出で立ちから、異国の人だと直ぐに理解していた。


「祖父から育継さんと御守さんの話だけは聞かされていました。教え子の二人がこのファンギャラを作ったんだって、自分はその手助けをさせてもらい光栄に思うって。まるで自分の事の様に喜んでいました」


「そうだったんですか」


「体に障害を抱える人達や病気の人々と繋がる事の出来るゲーム。とても感銘を受けました。娯楽作品で手助けが出来るなんて素晴らしい事ですよ。だから、私も何かできないかなって、そう思ったんです」


「それが、歌…」


「はい。私の歌に何かを動かす力があるなら、ネットを通して世界中の人々を助ける手伝いが出来るんじゃないかって。ファンギャラでティンカーベルとして歌い始めたんです。

 姿は現実とは違うアバターの姿ですから、まるで自分じゃないみたいで変な感じでした。でも、気づいたら私の周りに沢山の人達が集まっていて、サーバーダウンしかけたとか…」


 彼女は恥ずかしそうに照れ笑いを浮かべる。その話を聞き、昔の記憶が呼び起こされた。そういえば数回サーバーダウンしかけた事があった。あれは彼女のせいだったのか。微笑ましい事だ。


「そうして活動していたら、クイーンレコード会社様からお声を掛けていただき、リアルデビューしました。そして、ファンギャラをプレイしている病気の子供達や寝たきりの人達の為に慈善活動を始めました」


 確かに、ファンギャラは医療リハビリ装置に付属するオンラインゲーム。通信手段も調整すれば一個の施設だけに繋ぎ、バーチャルシステムを利用して広大なステージやアバターをリアルに表示させることが出来る。


「それからたくさんの手紙が届いたんです。どれも感謝の言葉が綴られていて、私の歌が、誰かを助ける事が出来たんだって、もう本当に嬉しかったな…」


 聖人とは、彼女の事を言うのではないだろうか。

 こうやって直接言葉を交わす事で、彼女の崇高なる理念と立派な人柄を理解できた。まるで次元が違う。ティンカーベルの成した偉業は、とてつもなく素晴らしいものだ。それに比べて自分が成した事など、途端にちっぽけに見えて恥ずかしくなる。彼女は自分の好きな歌を、ファンギャラを通して届ける事で、病気や障害を持つ世界中の人々の心を突き動かし救いとなっている…。


 掴は彼女に、ティンカーベルに対し感銘を受けた。ネットの情報を見聞きしただけと実際に会って話すのでは違うと、しみじみに実感しながら。


「尊敬します、貴方は、とても立派な方ですね」


「へ?」


 心の底から、尊敬と称賛の言葉が数年ぶりに口から出て来た。それに対し、彼女は突然の褒め言葉に驚いたようだが、直ぐに笑顔で答えてくれた。


「ありがとうございます。お世辞でもそう言っていただけて光栄です」


「お世辞ではありません。本当に褒めたい事しか褒めないので」


「そうなんですか? でも…」


「なにか気に障りましたか?」


「いえそうじゃなくて…さっきから敬語のままだから」


「え? いや貴方の方が年上ですから当然でしょう?」


「同じ高校生ですよ?」


 しばしの沈黙が流れる。


 掴の思考は完全に停止。喋る事も止まる。それまでの会話も考えもショートして吹っ飛んだかの如く真っ白に染まる。


「あ、あの…?」


 表情まで凝り固まったまま微動だにしなくなった掴に対し、彼女は不安そうに呼びかける。それでも反応が無く。自分が失言をしてしまったのではないかと彼女は次第に焦り始める。


 これまでの人柄と口調から完全に年上の女性だと思い込んでいた。これまでに会った事の無い女性然とした女性。


 まさか同じ歳の女子高生だとは思わなかった。


いよいよ本格的に焦りだした彼女はどうにかしようと必死に話題を考える。そして…。


「あ、そういえば、本名を名乗ってませんでしたね!? 私、大空おおぞら小鳥ことりです!」


 条件反射で意識が回復し、即座に自分も名乗る。


「あ、夢緒ゆめおつかむです」


 数秒の無言が続いた後、彼女の本名を頭で繰り返して途端におかしくなりわらってしまった。大空小鳥…? そのままではないか、と。すると、小鳥の方も笑い始める。


「ご、ごめんなさい。夢を…掴むって…そのままっていうか、変な名前でもないですね、今どき…」


「ちょっ、そっちだって大空小鳥だなんて…そのままんじゃないですか。変な名前とまではいかないけどさ…」


 お互いに名前を指摘し合うが、ますます笑いが込み上げてくる。


「名前でからかわれたりは?」


「ええ? まあ意外とそうでもないですよ? そりゃあ小さい頃はちょっとはあったけど、おまえどんな夢を掴むんだよ~って」


「私も、大空を飛ぶ小鳥なの~? って小さい頃にからかわれた程度かな」


「まあそんなもんでしょう?」


「ですよね? ふふふ」


「…ははは」


 変わった名前という共通点の発見により、お互い打ち解けた。同じ歳と判明した瞬間、ティンカーベルのプレーヤーである彼女、大空小鳥が割と親しみやすく近づけた気がした。気負うものが無くなったとでも言うのだろうか。


 その後、相変わらず事務的な口調は変わらなかったが、多少砕けたので打ち合わせはスムーズに進行した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る