翡翠の一角獣 ドラゴンと女神の剣

宮明寺勝大

第一部 第一章

遭遇 その1


 遥かなる過去と、



 遥かなる未来のはざま、



 広大無辺な宇宙の一角で⋯⋯



 ♠



 太い雨粒が屋根瓦を叩くような音を立て、首筋から噴き出した血潮が大地を濡らした。

 男は、棒のようにぶっ倒れた敵には目もくれず、新たな獲物を視野におさめた。

 目深に被った兜の奥にあっても、その眼に宿る凶暴な光りは隠しようもない。

 血塗られた剣をひとりして握りなおし、敵に向かって雄叫びを上げるその男を、バルボアは寝ころんだ姿勢のままで、薄目を開けて眺めていた。

 心の中では、さっさと敵を片付けちまえよジェイド。

 と、叫んでいたのだが。

 口には出さない。

 正直な話し、いま、この瞬間でさえ、敵にタヌキ寝入りがバレやしないかと、内心ヒヤヒヤしてた。

 ガタガタと身体が震えるのを必死にこらえながら、顔をジェイドに向けた。


 雄牛の角飾りがついた鉄兜の襟足からあふれるちぢれた黒髪は長く、まるで野生馬のたてがみを思わせる。

 その口から発せられる雄叫びは、さながら野獣の咆哮ほうこうだ。

 ジェイドは巨漢だ。

 身長は二メートル近い。

 体重も百キロを軽く超えている。

 筋骨隆々きんこつりゅうりゅうとして、ぜい肉というものがひと欠片もない。

 それが鎧の上からでもよくわる。

 鎖帷子くさりかたびらを着込み、その上から胸鎧を身にまとっていても、猫化の肉食獣のようなしなやかさは、微塵みじんも損なわれてはいない。

 いまや山道で動いている者はジェイドと、ジェイドと対峙する巨漢の二人だけになっていた。

 デカい男だ。

 身長はジェイドと互角。

 しかし、体重の方は倍もありそうだ。

 羽根飾りのついた鉄兜をかぶっていたが、面頬めんぼうはつけていない。

 胸元まである長い髭に覆われた顔が、血の色を失って青白くなっていた。

〈手強い相手だ〉

 巨漢をひと目見て、ジェイドは思わず舌を巻いた。

 これだけの真似をされても、この男は、ひとつも頭に血が昇ってない。

 それが対峙しただけで分かる。

 怒り狂ってない。

 頭のなかは、冷静そのものだろう。

 醒めた目で状況を分析し、判断し、この大胆不敵な若僧を、いかに血祭りに上げるか。

 それだけを考えている。

 巨漢の背後で荷物を満載した荷車が、パチパチと音を立ててくすぶっていた。

 細い煙が空に向かって延びていく。

 男の手にした長柄の戦斧ハルバードの刃が炎を反射し、鈍い光を放っている。

 どっしりとした構えには、微塵も気負いが感じられない。

 腰が低い。

 両脚ががっしりと地面を踏みしめている。

 まるで大地に根を張っているかのようだ。

 身長よりも長い戦斧を、まるで小枝のように振り回している。

 一振りするたびに、風が巻き起こる。


 ブンとも、


 ヒュンとも、


 聴こえる鋭い風音だ。

 ジェイドは動かない。

 惚れぼれと巨漢の動きを見ていた。

 不意に、巨漢が口を利いた。

「小僧、名を名乗れ」

 太くしゃがれた声である。

「この大いなる穴熊のブラグデンが殺した、百人めの男の墓に刻む名だ。大いなる愚か者、恐れ知らずの大馬鹿者。そう墓碑銘ぼひめいに刻んでやろう」

「ジェイド」

 ジェイドが応えた、野太くかすれた声だ。

「ジェイドだと!?、女の名ではないか。真の名前ではあるまい」

 ブラグデンの声に、呆れたような響きがあった。

「追い剥ぎ相手に、真の名を名乗るバカがいるかよ」

 ジェイドの口元に、獰猛な笑みが浮かんだ。

 巨漢ブラグデンが、からからと笑った。

「面白い小僧だ、殺すに惜しい」

「もう、勝った気でいるのか?」

「当たり前ではないか――、小僧!!」

 戦斧の一撃が飛んできた。

 横殴りの打撃だ。

 斧で殴るとはおかしな表現に思えるが、戦斧は鉞の刃で敵を叩き割るだけの武器ではない。


 払う、

 

 殴る、


 突く、


 引っ掻く、


 押し潰す、


 と、実に多彩だ。

 使う部分もまさかりだけでなく、柄の先に設えた槍の、鉤、こじり、その長い柄そのものさえ必殺の武器となる。

 鉞の刃で斬るというのは、あくまで用法のひとつにすぎない。


 ブラグデンの攻撃は苛烈かれつを極めた。

 鉞を叩きつけてきたかと思えば、鉞の先端についた槍の穂先で突き刺しにくる。

 それも避けたら、次は間合いをつめて柄で殴りつける。

 ジェイドが、たたらを踏んだところでかぎを使って脚を払った。

 危うく転ぶところを、ジェイドが片手をついてこらえた。

 そのジェイドの顔面に向かって、ブラグデンの太い脚が飛んで来た。

 直撃を食らえば、たちどころに顎は砕け、鼻は潰れ、頸椎けいついが音を高い立ててヘシ折れる。

 その瞬間に、ジェイドは即死するだろう。

 ジェイドの背筋を戦慄せんりつが駆け抜けた。

 剣と腕でブラグデンの蹴りをガードし、その勢いを借りてトンボを切ると、ジェイドは間合いを取った。

 さらに一回転して、距離を稼ぐ。

 ここでようやく肺の中に溜め込んだ息を吐き出した。

 暴風の如き凄まじい攻撃だ。

 あの場で倒れていたら、間違いなく鐺で頭を割られたか、あの太い脚で顔を踏み潰されていただろう。

「このオレを相手に、十合も持ちこたえる者はそうはおらん。やるではないか」

 ブラグデンが、口元に笑みを浮かべた。

 感に堪えぬような表情だ。

 太い指で長い髭をしごいている。

 心底喜んでいるのだ。

「なんなら百合でもつき合うぜ」

 そう言うとジェイドは、ペッと唾を吐き出した。

 唾液の中に血が混じっている。

 舌先がジンジンと痺れていた。

 いつの間にか自分の舌を噛んでいた。

 ブラグデンの動きは見事といえた。

 ジェイドが唾を吐き捨てた瞬間、そのわずかな隙を衝いて槍の穂先を突き出したのだ。

 ジェイドの兜が吹き飛んだ。

 それを見たバルボアが、思わず悲鳴を上げた。

 ジェイドの首が飛んだと想ったのだ。

 バルボアの悲鳴に、ブラグデンが思わず反応した。

 視線を向けたのだ。

 その瞬間、ブラグデンはいままでに感じたことのない激痛と圧迫感を胸に覚えた。

 刹那。

 ブラグデンの脚から、いや身体から重力が消えた。

〈なにが起きた!?〉

 それがブラグデンの最後の想念となった。


 ゴツンとも、ドスンとも、聞こえる音を立てて、ブラグデンの身体が頭から地面に突き刺さっていた。

 ゆらゆらと前後に揺れたあと、ゆっくりと仰向けに倒れたブラグデンの胸に、ジェイドがすかさず剣を突き立てる。

 柄を握り直すと、そのままギリリとこじった。

 悲鳴も絶叫も上げずに、ブラグデンは絶命した。

 死に顔を見たジェイドは、その満ち足りたような顔に、思わず強い羨望を覚えた。

 なぜそのような気持ちになったのか、自分でも分からない。

 ただ良い顔だと、思っただけだ。

「おい、なにしてやがるジェイド、早く手伝え。荷物が全部燃えちまうだろ」

 バルボアの絶叫が、ジェイドの感慨を打ち破った。

 いままさに燃え上がらんとしてる荷車から、荷物を必死に引きずりおろそうと、バルボアが狂ったように悲鳴をあげている。

「早くしろよ、このヤロウ」

〈こいつめ〉

 ジェイドが剣を鞘に収めながら近づくと、力いっぱいバルボアの尻を蹴飛ばした。



 ♠



 第一章 遭遇 その2へつづく。



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