エピローグ

エピローグ


 黄金色の瞳が夜空を見上げた。

 雲ひとつない満天の星空だが、ここからでは何も見えない。

 生い茂るドラゴンウッドの枝葉が、月光も、星のまたたきも、なにもかもさえぎり、夜空よりも深い濃厚な闇を生み出していた。

 クリスタルは胸一杯にドラゴンフラワーの甘美な薫りを吸い込むと、足元に目を移した。

 松明の明かりを頼りに、数十人の男が堅い地面に穴を掘っている。

 露天掘りで穿うがたれた、深い穴だ。


 男たちは、ひと言も口を利かずに黙々と作業を続けている。

 指示を出しているのは、鼻の潰れた大男。

 鉄壁のハーパーである。

「奥様」

 小男の自由戦士が、クリスタルの前にひざまづいた。

「ご所望の品を発見致しました」

「ご苦労さま」

 長く、細く、美しい指先が小男の肩に触れた。

 小男は、全身に戦慄が走るのを感じた。

 とろんととろけた熱い視線を、クリスタルに向ける。

〈美しい〉

 編み込んだ蜂蜜色の金髪は、太陽のように光り輝いている。

 血色の良い白い肌を包むのは、不思議な光沢を放つ黒いチュニックだ。

 身体のラインがくっきりと浮き上がるタイトなズボンをいた脚に、強烈な色香を感じて、小男は思わず恍惚こうこつとなった。


「おい、なにボーッとしてやがる」

 爪先でこずかれた小男が、焦点の定まらぬ視線をハーパーに向けた。

「オレは、あの人のためなら死ねるぜ、ハーパー」


 ハンっ、


 と、ハーパーが鼻で笑った。

「そりゃオレのセリフだ、カルヴィン」

 小男、カルヴィンがちらりと横目で見ながら、皮肉に頬を歪めて嘯いた。

「あの男に負けたのにか?」

「負けちゃいねえ!!」

 ハーパーが、大声で喚いた。

「オレは、参ったしちゃいねえからな」

「勝負の途中だって?」

 カルヴィンが顔を背けながら訊いた。

「そうだよカルヴィン、二度と口にするな」

 ハーパーの愚痴は続いたが、カルヴィンは相手にしない。

 いつものことだからだ。


 全く、愚痴の種が尽きない野郎だ。

 そう想いながら鼻をほじり、鼻くそを丸めてピンと弾いた。

〈ここは、平和だな~〉

 と、カルヴィンは思った。

 いま頃、荒野には馬鹿共の死体が山ほど転がり、カラスについばまれ、山犬にむさぼり喰われてるに違いない。

 大地を潤した大量の血は、良い肥やしになるだろう。

 ドラゴンを相手に、心底バカな連中だと思う。

 カルヴィンは、そんな死に様は御免だった。

 金を貰うだけ貰って逃げる。

 それも自由戦士の自由のひとつだ。


 ふと、カルヴィンが眼を落とした。

 そこに不審ふしんな人影を見たからだ。

「おいハーパー」

 カルヴィンが、壊れたオモチャのように手を振ってハーパーを呼んだ。

「あ~ん?」

 いかにも、かったるそうに返事をしたハーパーが振り向いて、それを見た。

「あい、ありゃ」

 二人が駆け寄った。

「おい、大丈夫か?」

 倒れ込んだ男を抱えた。

「み、水を」

 差し出された皮袋に口を付け、ゴクゴクと喉を鳴らし、貪るように飲み干した。

「あんたぁ、生きてたのか!?」

 ハーパーがうめくように呟いた。

 男が、ギロリと血走った眼を向けた。

「こんなことで、死ぬものか」

 男が吐き捨てた。



「素晴らしい、さすがはサー・サイラス・オブライエンさま。強運の持ち主のようね」



 耳心地の良い涼やかな声に、聞き覚えがあった。

「お前は、バルボアの⋯⋯」

「クリスタルと申します、閣下」

 宛然えんぜんと微笑んだ。

「女、こんな所で何をしている?」

 無礼は物言いにカッとなったハーパーとカルヴィンが、腰の剣に手を掛けた。

「閣下はなにを? わたしの愛しい旦那様はどこに?」

 オブライエンの眼が怒気に歪んだ。

 その刹那。

 悲鳴を上げて、クリスタルが倒れ込んだ。


 一瞬であった。

 慇懃いんぎんな物言いの奥底に潜む、微かな猛毒を敏感に察知したオブライエンが、抜き討ちの一刀で袈裟に斬り捨てたのだ。

「なぶるか、女」

 剣を鞘に収めながら、怒気を込めた声でオブライエンがののしった。


「キサマ!!」


 ハーパーが喚いた。

 カルヴィンがレイピアを抜き、隙無く構える。

「やるか、小わっぱども」


 くっくっくっくっ

 

 澄んだ笑い声が聞こえた。

 オブライエンの首筋を、冷たく粘る嫌な汗が流れ落ちた。

 信じられない。

 確かな手応えがあった。

 間違い無く、即死のはず。

「ああ、痛い」

 胸を押さえながらクリスタルが立ち上がった。

「なぜ生きている?」

 オブライエンが一歩後ずさった。

「このチュニック、旦那様からの贈り物ですの」

 黒いチュニックの胸元を引っ張りながら、クリスタルがニコリと笑った。

 斬り裂ける所か、ほつれひとつ見当たらない、痕すらついていない。

 元はジェイドのために誂えた長袖のベストを、クリスタルが自分用に仕立て直したものだ。

 バルボアの言葉では、どんな刀剣でも切れず、矢も槍も通さないとのことだが。

 奇しくもそれを、クリスタルとオブライエンが証明した。


「化け物め」


 苦々しげに吐き捨てた。

 この女の奥底に潜む魔性を、幾多の戦場を渡り歩いたオブライエンは感じ取っていた。

 シャドーシルクのチュニックは、確かにオブライエンの斬撃を防いだ。

 しかし、肉を打った衝撃は、確実にクリスタルの肉体の奥深くに達している筈である。

 その衝撃一つで、骨を砕き、内蔵を破裂させる程の一撃である。

 それなのに何故この女は、平気な顔をして立っていられるのか。

 オブライエンが構えを変える。

 刺突の構えである。

 チュニックに包まれていない、喉に狙いをつけた。

 オブライエンの様子を眺めたクリスタルが、首を傾げ、楽しげに微笑みながら指差した。


「真実の怪物は、あそこに居るわ」

 クリスタルの視線の先。

 遥かなる樹海の彼方。

 夜空に巨大な積乱雲が湧き出でていた。

「なんだ、あれは⋯⋯」

 オブライエンの声が上擦っていた。


「おい、あれ、サントハーバーじゃないよな」

 カルヴィンが囁く。

「南だ。サントハーバーの方角だ」

 ハーパーの声に、微かな怯えの色があった。

 月光と星明かりに照らされ、夜目にもはっきりと見える。

 真夏の空でも拝めない、桁違いの巨大さだ。

 その巨大積乱雲は、南の空の一角だけを覆うかたちで発生している。

 季節は秋だ。

 雲ひとつ湧いていない夜空に、積乱雲が発生する要因など、ひとつも無かったはずだ。

 それが何故?


「ドラゴンが呼んだのよ」

「なに?」

 唸るような声を上げ、オブライエンが振り向いた。

「ドラゴンだと。どうやって?」

「魔法に決まってるじゃありませんか」

「ドラゴンが魔法を使うだと!?」

「なにも知らないのね。この世で最も巧みに魔法を用いる生物は、なんだとお思い? 人間!? いいえ。妖精!? いいえ。答えは、ドラゴン」

「世迷い言をほざくなよ、女」

 クリスタルの眼が笑みの形に崩れた。

 期待通りの答えだからだ。


「天候を変える程の大魔法、ドラゴンほど強大な生命力を誇らねば、到底無理な芸当ですよ」

「ならばドラゴンは、日照りを続けさせ、人間を世界から一掃できるというのか?」

「まさか。そんなことをすれば、ドラゴンとて死にますわ」

「なに?」

 クリスタルが声に出して笑った。

「なにが可笑おかしい」

「いつまで経っても、人の認識は変わらないものですね」

「何のことを言っている」

 オブライエンの声に、殺気か宿る。


 周囲に目を配る。

 いまやオブライエンの周りには、人集りが出来ていた。

 剣を抜いているのは、ハーパーとカルヴィンだけではない。

 オブライエンが腰を落とした。

 剣を八双はっそうに構えた。

 明らかに、多人数を対手にする構えだ。

「魔法のことですよ」

「魔法だと」

「そう魔法。なにゆえ魔法と呼ばれるのか、ご存知?」

「知らんな、興味もない」

「この力を用いるには、代償だいしょうが必要なのです。大きな力には、大きな代償。小さな力には、小さな代償。代償を伴わぬ術など、この法には有り得ない。それゆえこれらの術は、どれほど巨大な力を持とうと、理法とは呼ばれず。外法げほう、または魔法と呼ばれるのです」

 そこまで言うと、荒野へと眼を向けた。


 クリスタルが唐突に話題を変えた。

「所で閣下。わたしの旦那様は、どうでした。活躍されたのかしら?」

「する訳があるまい。奴はペテン師だ」

「そう。確かにペテン師ね。親友の手柄を横撮りする人ですもの。 ――でも、彼は役に立ってくれたわ。アルフォンス・ヴェガの何倍もね。あの忌々いまいましいドラゴンを、遠ざけてくれたのですから」

「ドラゴンを遠ざけただと!?」

 クリスタルが、ニコリと微笑ほほえんだ。

「あなたは、どれくらい役に立つかしら?」

「私が、お前にしたがうとでも?」

 強い口調で訊いた。


 唾を吐き捨て、剣をクリスタルに向ける。

 いきり立ったハーパーを、クリスタルが視線ひとつでなだめた。

「数々の男を、その色香で惑わせたのだろうが、私には通用せんぞ」

「確かに。男色のあなたに、女の柔肌やわはだは無力。これまではね⋯⋯」

 クリスタルの手の中に、赤く輝く宝石があった。

 新生児の頭ほどもある、卵形の球体だ。

 赤く輝くその宝石は、えぐり出したばかりの心臓のように、力強く脈打って見えた。


 オブライエンの見ている間に、クリスタルの眼が大きくみひらかれた。

「これがなにか、ご存知!?」

 クリスタルの声が、頭に大きく響いた。

 黄金色の瞳が輝き、クリスタルの顔が上半身を超えるほどに巨大化した。

 鼻の奥がムズムズとする。

 甘やかなミルクの香り。

 これは!?

 そんな莫迦ばかな。

 これは、かつて愛した少年の香りだ。

 彼は死んだ。

 私の代わりに、奴に斬り殺された⋯⋯

 腰まである美しい黒髪。

 黒曜石のように輝く瞳。

 しなやかな肉体。

 それに、あの声。

 オレが喜ぶといって、歌い続けた柔らかなボーイソプラノ。


 なんだ?


 これは、なんなんだ!?


 オブライエンの心を、癒しがたい渇きが支配した。

 自然と、オブライエンの膝が折れた。

 跪くように、片膝立ちになる。

「わたしがアナタを愛してあげる。だから、わたしのために命を捧げなさい。サイラス」

「御意」

 オブライエンが、クリスタルの指先にキスをした。

「さあ、復讐の時が来たわよ」

 サントハーバーを嵐が襲った。




 ♥



 第二部へつづく。


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