第171話 ◯11◯ 3月15日土曜日、未明
「――
「夜更けというか、早朝だけどな」
「確かに」
陽太の欠伸をする声が電話の向こう側から聞こえる。
時刻は四時過ぎ。目の前には真っ暗な海岸線。BGMは波の音。ホテルから逃げてきてしまった。
「――何かあったんだろ。頼んでる報告以外も特別に受け付けてやるぜ?」
黙っていると、陽太が促してきた。遊輝はふっと小さく笑う。
「……失敗しちゃったよ。何やってんだろうね。
告白、そして沈黙。
先に沈黙を破ったのは陽太だった。
「――ユー? どうして遊びの関係でいられないんだ? 君の周りにはたくさん女の子がいるだろう?
君たち、の『たち』の部分には一体誰が含まれているのだろう。少なくとも自分と
「僕にはどうして君に紅ちゃんの魅力が通じないのか不思議だけどね。あ、ひょっとして陽太くんは胸がない方が好み?」
「オレの好みはどうでもいいだろ」
答えて、陽太は笑う。
「こんな妙な時間に電話掛けてくるから、立ち直れていないんじゃないかと想像していたんだが、それだけの台詞が出てくるなら平気そうだな。しかも自滅とは」
「笑わないでよ。結構これでも凹んでいるつもりなんだよ? 陽太くんに電話なんて、仕事の報告以外でするとは思わなかった」
「そうか? オレにとっては想定の範囲内なんだが」
そう答える声は意外そうに聞こえる。
「えー、僕が失敗すると思っていたのかい? 本当にそう考えていて、僕を抜折羅くんたちのお守りにつけたんだとしたら、君はずい分と大した人間だね」
「ユーが引き受けた時点で、オレの目的は達成できているようなもんだったからな。付き合わせて悪いと少しながら思ったんで電話に出たのさ。それを察して欲しかったな」
――目的の達成ね……。
彼が何をしようとしているのか、この話に乗ればわかるかもと期待していた。だが、結局はわからず仕舞いだ。何かを企んでいるとは感じられるのに、全貌はさっぱり見えてこない。流石は隠蔽に特化したタリスマントーカーだと思う。
――少し試してみようか。
「ねぇ、君はどこまで計算しているの? アメリカからわざわざ抜折羅くんを追いかけてくるなんて、僕としてはそっちの方が異常に思えるよ?」
タリスマンオーダー社の日本支部を設立するための調査を兼ねて、向日陽太はアメリカから来た。日本人の父とアメリカ人の母との間に生まれたハーフで、育ちはずっとアメリカだった――そんな生い立ちを遊輝は調べて知っている。
――調査なんて建前みたいだし、何か別の意図がある。何か嫌な感じがするんだよね……。
探るための遊輝の台詞に、陽太は声を立てて愉快そうに笑った。
「その口振りだと、バサラが女だったら納得してくれたのかな?」
「自分が女だったら、とは言わないんだね。君が紅ちゃんに興味を示さないのは、男が好きだからかと疑っているんだよ」
真意を隠すために冗談を混ぜ込む。
彼は軽い調子で、こう答えた。
「オレは君とは違うよ、ユー」
そういう返しが来るとは思っておらず、すぐに台詞が出て来ない。
「……そこで沈黙されると、肯定だと受け取りたくなるのだが」
気まずそうな声がスピーカーから響く。
「傷心中で寝ぼけ気味なんだよ。頭が回っていると思う?」
舌を噛まないで言えたのは奇跡かも知れない。完全に動転している。それは心の底で陽太の台詞を認めているからだろうか。
「ふーん」
からかいの感情が滲んでいる。男色疑惑は自身の中性的な容姿も手伝って、時折湧いてくる話題であるのだが、陽太にそう思われるのはどうにも許し難い。遊輝はむすっとした。
再び黙っていると、陽太が続ける。
「――ユー? それはそれだとしても、火群ちゃんへの愛情を取るか、バサラへの友情を取るか、結局はどちらかだとオレは思うぞ」
「知っているよ」
わかっている、とは言えなかった。彼の意見はもっともだと思う。肯定の台詞だって返せる。
――でも。
遊輝は続ける。
「だけどさ、そういう未来を見せつけられて、素直に認められるような時代は終わっちゃったみたいなんだよね」
――あ、そっか……僕もあの頃とは違うんだ。
ある事実に気が付いた。なんで見えていなかったのだろう。
遊輝は空いていた右手を胸に当てる。少しだけ、充たされた気がした。
「おやおや? オレのところに来ている資料では、君は来る人拒まず去る人追わずってことになっているんだが、改めておこうか?」
陽太の問いに、遊輝は笑う。
「その必要はあるかも知れないね」
「……やっと認めたみたいだな」
ぼそりと呟かれた台詞。
「やっとって?」
「気にするな、こっちの話だ」
はぐらかされた。不都合があるとも思えないのだが、誘導する台詞が浮かばない。
――対決は本調子のときまでお預けだね……。
だいぶ長話になったので、そろそろ切り上げようと考える。そこで、重要なことが脳裏を過ぎった。今回の仕事の話だ。
「――あ、僕、ホテルから逃げ出して来ちゃったんだけど、契約不履行になるかい? 二人と顔を合わせづらいんだけど」
どういう対応をされるのか想像がつかない。金銭に関しては支払いを強く要求したいわけではない。やりたいことをやるには充分すぎる貯金がある。ただ、風向きが変わるのはとても困るのだ。紅との関係の変化を望む以上に、今の人間関係を維持したい気持ちは強い。
恐る恐る訊ねると、陽太は明るく答えた。
「帰路がそっちの負担になるだけで、あとは満額支払ってやるさ。観光でもしながら帰ってくればいい」
とても理想的な模範解答だと思う。
――だけど、僕が欲しいのはそんなことじゃない。
遊輝は情報を引き出すために続ける。
「おー、太っ腹だね。経営難で監査に来ているって抜折羅くんから聞いていたんだけど」
「ユーにはやって欲しいことがたくさんあるんで、ある程度の餌は用意するさ。だが、君の応援はできないね」
少しは釣れたようだが、なんとも判断に困る台詞だ。意味合いの確認を兼ねて大げさに演技をしてみる。
「僕を持ち駒の一つにしておきたいだなんて、ずい分と大胆な発言だね」
「わりとウィンウィンの関係を築けると思うんだがな。飲めないなら策を練るだけさ」
――ここでやめておくか……。
時折だが、陽太と接していると彼の中は愛情が欠落しているんじゃないかと感じられる。故に、どこまでも冷酷な判断を下し、目的のためなら人を簡単に裏切れるタイプに思えてしまう。
――冗談半分で楽しんでいるように見えている間は、踊らされているのが得策かな。
陽太の内が見えない。それは付き合いが浅いからではないだろう。巧妙に本心が隠されているせいだ。
遊輝は笑う。
「ふふっ、まぁ構わないよ。フリーでいられるなら、抜折羅くんの下に就くより都合が良さそうだし。僕は君にも興味があるんだ」
「興味、ね。オレの何を知りたいのか気にはなるが、あえて質問はしないでおこうか」
問わないのは、こちらの考えを見通せているからだと遊輝は察する。
陽太を敵に回してはならない――スティールハートの予知能力も告げている。仲良くしておくのが、少なくとも今の最適解だろう。
「ふふっ。君は好きな物を最後に食べるタイプみたいだね」
「さっさと美味しく食べてしまう君とは違うってことだよ」
この程度の趣味はすぐにばれることだ。驚きには価しない。しかし、好みや嗜好をきちんと把握しているようには映る。少なくとも、知ろうという姿勢は会話の節々から透けて見える。
出会って半年の付き合いだが、接している時間は短かったはず。基本的に自分を演出している遊輝は、それを見抜かれることを恐ろしく思っている。
――彼は何を握っているんだろう。僕がタリスマントーカーだから念入りに調査しているのか? だとしても、価値があるとは……。
陽太の眠そうな欠伸が聞こえてくる。
「報告はそれでおしまいだと思っていいかい? 一応、英文レポートを要求するけど、簡単な日誌で構わないよ。形式上の問題だから」
遊輝の思考の時間は、陽太の台詞で中断された。
「あぁ、うん。英文なんだね。月曜日の早朝くらいにはメールするよ」
タリスマンオーダー社の本社に提出するのであれば、英文レポートになるのは理解できるところだ。英語は得意なので苦には感じない。
「了解。――んじゃ、良い旅を」
「おやすみ、陽太くん」
良い旅を、とは、とんだ皮肉だと思う。傷心旅行も良いところだ。
――まぁ、眺めは良い場所だし、ロープウェイくらいは乗っておこうかな。綺麗な景色を眺めて、嫌なことはさっさと忘れよう。紅ちゃんと抜折羅くんが許してくれることも祈っておかなきゃなぁ……。
沈黙したスマートフォンに地図を表示する。車がほとんど走っていない海沿いの国道を進むことに決めた。下田ロープウェイが動き出すまでたくさん時間があるのだ。のんびり行こう。
遊輝は自分に言い聞かせながら、南に向かって歩みを進めたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます