第169話 ★9★ 3月14日金曜日、22時前

 夕食を終えて、こうが入浴に出掛けている間、部屋には抜折羅ばさら遊輝ゆうきが残っていた。

 海を見下ろせる最上階の和室。部屋に付属する風呂に入って浴衣に着替え、窓際の掘り炬燵で寛ぐ遊輝は真っ暗になった外を眺めている。長い銀髪は下ろしたまま束ねていない。そんな姿は絵になるような気がする。

 風呂上がりの抜折羅は、紅が戻ってきていないのを確認した上で問うことにした。気になっていたことがあるのだ。

「――白浪しらなみ先輩は、部屋のこと聞いていたんですか?」

 問い掛けると、遊輝は抜折羅にゆっくりと顔を向けて微笑んだ。

「ん? 陽太ようたくんからは、ホテルは楽しみにしていいとだけ言われたよ。彼の趣味は面白いね」

「迷惑なだけですよ。アメリカにいた間はずっと標的にされていたんですから、いい加減にして欲しいくらいだ」

 うんざりしているのだ。陽太の玩具にされたくないのに、どう気を付けていてもはめられてしまう。理不尽だ。

 むすっとして不機嫌な抜折羅に、遊輝は明るく笑う。

「抜折羅くんはからかいがいがあるからね。天然なところもあるから、予想を良い感じに外すし。ちょっかいを出したくなる気持ちはよくわかるよ」

「白浪先輩も同系統の性格でしたね」

 からかってくるのは陽太だけではない。目の前にいる遊輝もその傾向は備えている。

「キャラが被っているみたいな言い方は心外だなぁ」

 微苦笑を浮かべる。彼は表情がころころ変わるな、と抜折羅は毎度ながら思う。

「厄介さが同程度ってことですよ」

「厄介かい? 僕は陽太くんと比べたら、だいぶ君を贔屓していると思うんだけどな」

「贔屓、ですか?」

 奇妙な単語を使ってくるな、と感じての問い。

 遊輝は不思議そうな顔をする。

「だって、協力的でしょ? 僕は君とも紅ちゃんとも敵対関係になった記憶はないよ」

「いや、紅を攫ったことがあるくせによくそんな台詞が出ますね」

 危うく鵜呑みにするところだった。抜折羅は思い出してすかさず指摘する。

「えー? おかしいなぁ、合意の上だったはずなのに。それに、あのときは君からの一方的な宣戦布告であって、僕は君を敵だとは思っていなかったよ」

「紅を好いているのに、俺を邪魔だとは思わないんですか?」

 紅に想いを寄せる蒼衣あおいからの敵意は感じるが、同じ状況のはずの遊輝からはそういった気持ちを感じたことはない。

「僕は君のことも好きだからね」

「な……」

 思わず絶句する。ラヴの意味ではなくライクの意味に違いないのだが、好かれているとは思わなかったのだ。

「ふふっ、愉快な反応だね。君の顔が赤く見えるのは湯上がりだからかな?」

「阿呆抜かせっ!!」

「期待されているところ申し訳ないけど、僕は女の子の方がずっと好きだから安心していいよ?」

 言って、妖艶に微笑む。中性的な整った顔立ちでそんな仕草をされると、彼なのか彼女なのか曖昧になる。

「ただ、まぁ、思うとすれば、君と紅ちゃんと僕で、みたいな妄想くらいはしたかな。うまくいくような気がするんだよねぇ」

「……一体何の話をしている?」

 遊輝が何を考えているのか、抜折羅にはさっぱりわからない。

「だからさ、二人で紅ちゃんを襲お――」

「ただいまー」

 ドアが開く音とともに聞こえてきたのは紅の声。遊輝は台詞をみなまで言わず、口を閉じた。

「温泉、なかなか良かったわよ? 二人とも部屋風呂じゃなくて入ってくればいいのに」

 部屋に入ってきた紅は浴衣姿だ。しっとりとして艶やかな髪は高い位置で纏められ、ほんのりと上気した首筋を際立たせる。ぴっちりと前身頃は閉じているのだが、それが余計に彼女の胸を強調しているように映った。正直、色っぽい。

 抜折羅は前にも紅の浴衣姿を見ている。だけど見慣れるようなものではない。

 ――紅はまた危険なことを……。

 遊輝の前ですべき格好ではないと思う。鴨がネギを背負ってきているようなものではないか。

 あれこれと抜折羅が思いを巡らせている間に、遊輝が紅に応える。

「僕のスティールハートは目立つからね。人目のつくところでは肌を見せられないよ」

 苦笑して、遊輝は肩を竦める。彼の胸元に埋まる宝石は、確かに目立つかも知れない。推定のカラット数も一〇カラットは軽く越えている。湯気でごまかすこともできないだろう。

「あたしは気にせず入りますけどね」

「紅のは一見赤い痣だからな。俺と同じでわかりにくいだろうよ」

 石が身体に埋まった状態になる石憑きは、石の場所によっては見た目を気にして隠すことが多い。紅はその点には無頓着であるようだ。

「――なんていうか、今の会話を閣下に聞かせてやりたいね。君らは肌を見せ合う仲なの?」

 抜折羅の台詞に、遊輝はニヤリと笑んで問う。

「へ、変な言い方をしないで下さいよっ!! あたしたちの場合、石の場所が肩だから見やすいだけですっ!!」

 慌てて否定したのは紅だ。紅は右肩、抜折羅は左肩に石が埋まっている。見ようとすればどこででも見せることができる場所だ。

「ふふっ、それなら安心だね。色々突っ込んで訊きたいこともあるけど、ここで引いてあげるよ。部屋から追い出されたくないしね」

 それじゃあ否定しきれていないよ、とでも言いたげな台詞だ。気になって、抜折羅は冷静に紅と自身の台詞を思い返す。

 ――あ、紅が墓穴を掘ったのか。

 遊輝が巧妙な罠を仕掛けてきたことに今さら気付く。言ってしまった台詞をなかったことにはできない。

「そうそう。寝る場所、どうする?」

 話題を変えたかったのだろう。紅は抜折羅と遊輝の顔を見ながら訊ねる。

「僕は紅ちゃんが真ん中だったらどこでもいいよ!」

 ハイっと手を上げて、遊輝は元気に即答した。狙っていたに違いない。

「下心見え見えな台詞をよくもまぁはっきり言えたもんだな」

 呆れて、ですます調を使う気にもなれない。冷たい視線を送ると、遊輝は何かを企んでいるかのような笑みを浮かべる。

「真ん中がいいと言わなかっただけ、譲歩しているつもりだよ? 僕は君から紅ちゃんを取り上げるつもりはないからね。混じるくらいが良いかも」

 遊輝の台詞に、紅が反応した。顔を赤らめている。

「あの……白浪先輩? よからぬ妄想をしていませんか?」

 恐る恐るといった雰囲気が漂う紅の問い。

 それに対し、遊輝は真顔で目を瞬かせ、小首を傾げた。長い銀髪がさらさらと揺れる。

「ん? 紅ちゃんが期待しているなら、僕は抜折羅くんをせっつくよ?」

 ――せっつく?

 二人は何の話をしているのだろうか。

「……話が通じているように見えるのは気のせいか?」

 問うと、紅は自分の失言に気付いたらしい顔をした。片手を額に当ててうなだれる。

「うう……あたし、だいぶ白浪先輩に毒されてる……」

 一方、何がツボに入ったのか、遊輝はとても楽しそうにクスクスと笑った。

「抜折羅くんはピュアだねー。乗り気になったらどうしようかと思っていたんだけど、杞憂だったね。――しかし、紅ちゃんにそういう素養があったとは……僕はオーケーな人だよ?」

「先輩は黙って下さい」

 紅は恥ずかしがっている。

「紅ちゃん、赤くなり過ぎ。そんなに反応されるとは思わなかった」

 紅の反応が面白いのか、遊輝がからかいを含んだ軽い口調で告げる。彼女はきっと睨み付けた。

「《浄化の炎》で焼いて差し上げましょうか?」

 声が地を這うように冷たく重い。冗談が通じない声だ。

「ごめんなさい。間に合ってます」

 降参とばかりに遊輝は両手を肩の上まで上げる。

「ん……?」

 ここまでの紅と遊輝の様子を見ると、やはり通じるものがあったのだとしか思えない。説明を求めて紅を見ると、真っ赤な顔で睨まれた。

「お願い、抜折羅。今の話題は綺麗さっぱり忘れて。二度と話題にしないで」

 紅の瞳には殺気が混じる。抜折羅は頷くことしかできない。

「……わかった」

 コクコクと首を縦に振って見せると、紅は深呼吸をした。そのあとで、改めて彼女は告げる。

「――とにかく、抜折羅が真ん中、その両隣に白浪先輩とあたしね。今の立ち位置から、窓際が先輩でドア側があたしで良いかしら?」

「異議なし」

 必然的な位置取りだと抜折羅は思う。紅が真ん中でも遊輝が真ん中でもまずいのだから、それしかあるまい。

「右に同じく――寒かったら、いつでもこっちにおいで。僕が暖めてあげる」

 こんなときでもすぐにそういう台詞が出てくるのは、本当にすごいと思う。羨ましいとも真似したいとも思っていない抜折羅ではあるが、遊輝の才能だと認めているのは事実だ。

「耐えますからご心配なく」

 遊輝の誘いを、紅は照れずに断った。彼女の想定には存在した台詞のようだ。

「あ、抜折羅くんも暖めてあげるよ?」

「気持ち悪いことを言うな」

 ついでのように言われて、抜折羅も返す。好きだと言われた影響が、口調に出ている気がしなくもない。

「ねぇ、僕が凍えそうになったら、どっちが暖めてくれる?」

 ――まだこの話題を続けるのか。

 紅が返す前に抜折羅が即答する。

「寒さに震えながら朝を迎えればいい」

「ひどっ!?」

「明日の最低気温は一〇度を越えるそうですから、心配いりませんよ」

 スマートフォンで天気を確認したらしい。紅が画面を見ながら言う。

「あらら、それは残念。楽しいイベントが減っちゃったよ」

 心底残念そうに告げて、遊輝は肩を竦める。

「もう何も期待せず、おとなしく眠って下さい、先輩」

 爽やかな笑顔で紅が促す。

「仕方ないなぁ。こんなに楽しいことってないんだけど、今朝はなんだかんだで早かったし、寝ようかな」

 遊輝は大きく伸びをする。ホワイトデーのために数十枚だか百枚以上だか知れないポストカードを配ってきているのだ。さぞかし眠いことだろう。

「じゃあ、あたしも寝る……抜折羅、電灯よろしく」

 そろりと紅も布団に潜る。

「了解。――って、浴衣のまま寝て、お前、大丈夫なのか?」

「はだけても見えないように下に着てるわ。防寒も兼ねてる」

「なら、構わないが……」

 遊輝の舌打ちが聞こえたような気がするが、そっとしておこう。

「そだ。寝てるあたしに何かしたら、星章せいしょう先輩に言いつけるから、そのつもりで」

「閣下をそういう使い方するのもどうかと思うんだけどなぁ」

 布団で横になった遊輝が呟く。

「報告しろって、本人が言っていたんですけど?」

「愛しい婚約者がこんな調子じゃ、閣下も気苦労が絶えないね」

 ――星章先輩を煩わせている原因はあんたにもあるでしょうよ。

 遊輝の同情の台詞に、抜折羅は心の中で指摘する。自分にも返ってくる言葉だけに、口にすることができない。

「電灯、消すぞ」

「はーい」

 消灯は二十二時前。こうして夜は更けていく。


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