White Day's Rhapsody
第160話 **0** 3月13日木曜日、放課後
三月十三日木曜日。宝杖学院中等部、二年A組教室。
学年末テストの最後の科目が終了し、生徒たちがざわめいている。テストの答え合わせを始める者、放課後の予定を話し合う者、机に突っ伏している者、様々な人間がそれぞれの時間を過ごしていた。
「――また落書きしていたのかい?」
幼なじみのクラスメート、
「だって、暇だったし」
見られないように手で隠したまま、むすっと蓮は膨れる。
「絵、上手いんだから隠さなくても良いのに」
「恥ずかしいだろ」
「恥ずかしがるようなレベルじゃないじゃん。美術の
「あれは兄貴や姉ちゃんがジュエリーデザイナーを目指しているから、そういう話をしてくれただけだよ」
「才能あるって思うんだけどな。僕、君がデザイナーになるなら、絶対に注文するよ? ――なぁ、
蓮の隣の席に座るショートカットの少女、
「そうですねぇ。ほったらかしにするには勿体ないとは思います」
急に話を振られたはずなのに、戸惑う素振りなく返事がきたのはここまでのやり取りを聞いていた証拠だろう。萌はにっこり微笑んだ。
「二人の期待には応えたい気持ちはあるけど、業界でやっていけるレベルには程遠いよ」
「他の夢でもあるの?」
蒼次の問いに、蓮は首を横に振る。
「別に。そういうお前は?」
三年生になれば進路を決めなくてはならない。大抵の中等部の生徒はエスカレーターで高等部に進学する。一部の生徒が転科試験を受け、美術科に移動するのが宝杖学院でのよくある光景だ。
自分の話題から離れて欲しくて問うと、蒼次は子どもっぽい顔立ちから少しだけ大人びた表情を作った。最近はそんな顔をしているのばかり目にするので、蓮は彼を少し遠くに感じる。
「うーん。あおにいを支えていければそれで良かったんだけどね」
「だけどね、ってなんだよ?」
机の中に問題用紙を突っ込んでいた手を止める。何か別のやりたいことでもできたのだろうか。
――蒼次も
努力をしているのは知っているのだが、羨ましくなる程度には出来の違いを実感させられる。他人から比べられたことはないが、一緒に過ごしているとついつい比較してしまうのだ。
黙って返事を待っていると、蒼次は真面目な顔をして呟いた。
「横恋慕ってやつ?」
「横恋慕……? ん、ちょい待て」
どういうことなのか、それだけで蓮は察した。
蒼次は続ける。
「このままふつうに過ごしていれば、僕たちは義理の兄弟になるじゃん。でもさ、
――やっぱり。
直感は正しかったようだ。親友の告白に、蓮は頭痛を覚える。
「やめておけよ。蒼衣兄ちゃんでさえ、口説くの失敗しているんだろ? 誰と付き合ってるんだか知らないけど、難しいと思うぞ。――加えて言うなら、僕はお前を親友だと思っているが、紅姉ちゃんは蒼衣兄ちゃんとくっ付くべきだって思ってる。そーちゃんの応援はできないよ」
蒼次が声を掛けてきた理由まで想像力を働かせ、蓮は先に結論を告げる。ぴしゃりと言ってやると、彼は苦笑していた。
「う……察しが良すぎるよ」
「おおかた、明日のホワイトデーに備えて協力を要請しようとでも考えていたんだろ? 生憎、僕はそういう手助けはしない主義」
「くっ……自分だって紅姉ちゃんのこと好きなくせに……」
ブーブー文句を言っている蒼次をちらりと見やり、蓮はため息をつく。
「姉ちゃんが幸せでいてくれれば、僕はそれで充分なんだ」
「あぁ、だから転科試験受けないんですか?」
ぼそりと呟いた台詞を萌が拾う。
「だからって何が?」
「お姉さん、転科試験通らなかったのでしょう? 気を遣って受けないのではありませんか?」
「まさか」
蓮は肩を竦めて、首を横に振る。
「落書きは好きだけど、仕事にしようとまでは思わないだけ。美術科に進んだら、その先も絞られちゃうだろ。僕はふつうのサラリーマンになれれば充分さ」
「僕の次にテストの成績が良いくせに、つまらないこと言うなよ。しかも全科目だと蓮の方が出来るし」
「ぶっちぎりのヤツの次の席じゃ、大したことないだろ」
――そーちゃんはわかってない。
宝杖学院に数々の伝説を残した星章蒼衣の弟――蒼次は入学当初はそんなふうに周りから言われていた。優秀すぎる兄の話題ばかり振られて、彼は最初の頃こそひねていた。だが、一学期の中間テストで蒼衣と同等あるいは以上の成績を出し、部活動や委員会活動で頭角を現し始めてからは兄の名を聞かなくなった。そうなるように密かに努力していたのを、蓮は付き合わされた都合で知っている。
そして、そうやって自分を一人の人間だと認めさせた蒼次を格好良く思うと同時に、自身を惨めに感じていた。
――僕は期待なんてされていないんだし、邪魔にならないように生きられればそれでいいんだ。
御守りとして首から提げている祖母からもらったパパラチアサファイアにそっと触れる。気持ちを落ち着かせるおまじない。
「――あ、そうだ」
ふと思い出して、蓮は萌を見る。
「何か?」
きょとんとする彼女に、小声で続ける。
「明日のやつ、定番なもので良い? 好みがあるなら、希望に添えるように努力するけど」
「別に構いませんのに。義理なんですから」
萌は微笑んでいる。申し訳なさそうにしているようにも見えた。
「三倍返しは否定派だけど、返礼をするのが僕のポリシーなんだよ。部活が終わったら、そっちの部室に行くからさ。何がいい?」
彼女は書道部であり、明日の部活動推奨日には書道室にいるはずだ。蓮と蒼次が所属しているサッカー部の活動は午前中のみなので、終わってから行っても大丈夫だろう――そう考えた。
萌は悩んだようだ。しばし困った顔をして唸っていたが、やがて口を開いた。
「そうですね……でしたら、マシュマロで。たくさんは食べられないので、少なめでお願いします」
「了解」
首尾よく聞き出せて、蓮はほっとする。学校で受け取ったチョコは彼女からのみで、他にも数人から渡されそうになったが断っていた。
「なぁ、そーちゃん? お前、今日このあと何するつもりだ? 暇なら買い物に付き合えよ」
話を振ると、蒼次はニヤリと笑んだ。何かを企んでいるときの顔であり、その中身がろくでもないことであるのが常だ。
「ふっ、僕には偉大な計画があるのでね。残念ながら君に付き合うことはできそうにないのだよ」
「何のキャラ付けだよ、それ……。ま、それなら一人で行くけどね。――そうそう。紅姉ちゃんなら、明日は屋敷に寄らないよ? どこかに行くらしいから。蒼衣兄ちゃんからのホワイトデーは郵送にしてもらったって言ってた」
「うっそ、マジで!?」
聞いていなかったらしい。蒼次の驚きに満ちた顔が近い。
「本当だ。――ってか、そーちゃん、お前、うちの姉ちゃんに何かしたの? 蒼衣兄ちゃんから僕宛に探りを入れるみたいなメールが何通もきていたんだけどさ」
黙っているつもりだったのだが、蒼次本人から紅を好きだと聞けたので話しやすい。隠す必要性も感じられないので、牽制する意味合いも持たせて明かす。
「あおにいはまたそういうことを……」
「張り合うのは勝手だと思うけど、敵に回さない方がいいと思うよ。味方につけるには心強いが、敵になったら強過ぎる」
小さい頃から見ているからよくわかる。蒼衣とは学年が四つも離れているのだから、なおさら勝ち目は薄い。向こうはもうほとんど大人だ。子どもの感覚から抜け出せていない蓮にはずっと遠く、それでいながら大きな存在に感じられる。
「それで蓮はあおにいの肩を持つのか」
蒼次はむすっと膨れた。そういう仕草は年相応のままだ。
「そんなとこ。悪いね、既に買収済みってわけさ」
軽く返してやる。見返りに何かしてもらったわけではないが、親しくしておくのは利益が大きい。
「くっ……だが、僕は退かないっ!!」
蒼次が決意を新たにしているところで、担任が入ってきた。チャイムが鳴る。
――しかし、紅姉ちゃんは明日どう過ごすんだろ……。
バレンタインに配った袋は一〇を超える。その全員からホワイトデーを回収するのだろうか。
姉の心配をしながら外を見やる。景色には霞が掛かっていて、蓮は不安な気持ちを覚えたのだった。
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