第159話 ★14★ 2月14日金曜日、18時過ぎ

「――で、結局この状況は変わらないんだけど、あたしはどうしたら良いのかしらね?」

 問い掛けてくるこうの頬は上気したままだ。それが見えてしまうのが堪えられなくて、抜折羅ばさらは視線を逸らした。またあの衝動が来たら、自分を抑える自信がない。

「そうだな……」

 紅の問いに、抜折羅は一つだけ案を思い付いていた。

「クッキーを摘みながら、脱出するための作戦を練る、なんてどうだ? まずは暗いままなのは色々とアレだから、〝カルブンクルスの炎〟を灯してくれ」

 明かりを灯す方法をすぐに思い付けない程度には気が動転していたらしい。こういうハプニングの対処は経験が浅い分だけ遅れてしまう。

 抜折羅の提案に、紅が頷く。

「あぁ、その手があったわね。了解」

 〝カルブンクルスの炎〟とは〝燃える石炭〟と呼ばれていたことに由来するルビーの能力の一つだ。それを呼び出せば、部屋を明るくするのは容易い。

 ――紅が持つ能力に気が向かなかったことは反省して改善しないとな。

 間もなくして、部屋に明かりが戻ってくる。誕生日ケーキの上に飾られたロウソクの炎程度のものが部屋に複数浮かんだ。

「……前に出したときはもう少し明るかったよな?」

「無茶を言わないでくれる? ……まだ精神状態が平常に戻ってないのよ」

 言いにくそうに、紅は理由を呟いた。

「う……すまない」

 謝ることしかできない。彼女が文句を言いたいのはよくわかる。弁解の余地はない。

「謝らないで」

 はぁ、と溜め息をついて紅が言う。

 ――気まずい。

 自分がしてしまったことを取り消してしまいたくなる。紅に負担をかけたんじゃないかと思うと、記憶だけでもなかったことにしたい。

 抜折羅が気まずさで狼狽えていると、紅はポケットからスマートフォンを取り出した。そして告げる。

「とりあえず、家に電話するわ。帰れないことも想定して、ひかりに協力を依頼しておく。どうせ明日の朝には向日むこう先輩も様子を見にくるんでしょ?」

「さすがに監禁したいわけじゃないだろうし、おそらくはな」

 このトラップは紅を一晩引き止めるだけのもののはずだ。魔性石の力を跳ね除ける結界の効力が永遠に持続するわけもない。日付が変わる頃には消えているだろうと経験則から判断できる。時間さえ経ってしまえば脱出可能なのだ。

「よしっ、じゃあ早速――」

「待てっ」

 電話を掛けようとした紅を慌てて制した。抜折羅を見る彼女の顔には疑問の色が浮かぶ。

「何?」

「泊まりになった場合の裏工作は最終手段だ。今からそれをすると、俺の決意が揺らぐ。早まるな」

「決意って大げさな……。あたしは一晩中語り明かしても構わないのよ? 宝石について勉強するのも良いかもって思っているんだけど」

 さも普通に返してくる。そんな紅の精神状態というものを、抜折羅はさっぱりイメージできない。

「お前な……この流れでその発言ができるってことが、俺は信じられないぞ」

 頭痛を覚えずにはいられない。どうして彼女はそうなんだろうか。

「抜折羅なら大丈夫よ。それに次はちゃんと抵抗するわ」

「そういう問題じゃないだろ」

「あたしにはそういう問題なのよ」

 屈託なく笑う紅の両肩に抜折羅は手を置く。これは言っておくべきだ。

「聞け、紅。お前は非道い女だ。お願いだから自覚してくれっ!」

 しっかりと目を合わせて告げると、紅はついっと背伸びをして口付けをしてきた。軽く触れて離れると、彼女は悪戯っぽく笑う。

「自覚はしてるわ。わざと、よ」

 人差し指を唇に当てて、ウインクをするのが様になっている。

「どこでそういうことを覚えてくるんだか……」

 紅の幸せを奪うのは本意じゃないからとずっと野放しにしてきた。だけど、そろそろ主張しても良い頃合なのかも知れない。

「あたしから口付けするのは抜折羅だけよ」

 ――俺はとんでもない原石を見つけてしまったんだろうか……。

 初めて出逢った頃はただの少女だった。事件に巻き込まれがちな女の子。そのときから、磨いて整えれば価値のあるスタールビーになると思っていたが、想像以上に化けてくれたものだ。それを証明するかのように、彼女の輝きはあらゆる宝石を引き寄せる。

「金剛石でも紅玉には適わないみたいだな。宝石の王と謳われているのは伊達じゃない」

 運命を切り開く紅き石の女王の前では、ダイヤモンドでさえ霞んでしまうようだ。

 紅を捕まえておこうなどと考えるのは浅はかだと抜折羅は悟る。振り回されることになっても付き合っていこう――そう決めたから、ここにいるのだ。

「素敵な誉め言葉をありがとう、ダイヤモンドのナイト様」

 お互いを見て笑みを交わす。

 楽しそうにしている彼女を見ていると自分も楽しく感じられる。たまにはこんなくだらないことに煩わされるのも悪くない。

「――紅は家に電話しとけ。言い訳は任せる。もう好きにしろ」

「はーい」

 嬉しそうな声を出すと、紅は早速どこかに電話をしている。喋り方から思うに、相手は長月ながつきひかりのようだ。

 ――しかし、どうしたもんかな。

 紅から貰ったクッキー入りの袋を手に取る。青色で透ける袋にルビー色のリボンが付けられているのをじっと見て、何を意味しているのか理解した。

 ――ホープとフレイムブラッドを模したのか。

 それと同時に、あることも想像した。

 ――どこまでこれを配ったんだ?

 彼女がやりそうなことだ。世話になった先輩たちにも、きっとこうしてそれぞれの誕生石に因んだラッピングを施したのだろう。

「む……俺だけを見てくれる日って、くるのか……?」

 ホープの呪いと向き合うようになってからは、できるだけ何も望まないようにしてきた。だのに、彼女を望んでしまうのはどんな気の迷いなのだろう。

 おもむろにリボンを解いて、袋の中からチョコクッキーを引き抜く。彼女の自信作だ。一口大のそれを試しに頬張った。

「美味しい……」

 苦味と甘味のバランスが好みに合っている。さっくりとした食感も悪くない。たくさん食べたいと思える菓子に出会ったのは久々だ。

「――抜折羅、口裏合わせも済んだし、明日まではどうにかなりそうよ。雪には注意しろだって……って、食べてるし」

 連絡が終わったようだ。クッキーの袋を開けた抜折羅を見て、紅が近付いてくる。

「どう?」

「美味い」

 蒼衣あおいが毎年楽しみにしているのも頷ける。遊輝ゆうきなら、ここは君の方が美味しかったなどと口説くシーンなのだろうか。

 抜折羅の率直な返答に紅は満足げに微笑んだ。

「そうでしょ」

「なぁ、来年は俺だけに作ってくれないか?」

 独占欲が湧く。それを素直に口にできるようになったのはずいぶんな進歩だ。

 紅は抜折羅の要求に対し、目を瞬かせた。驚いているらしい。

 なかなか返事がないので、抜折羅は続ける。

「他のヤツに喰わせるのが惜しいんだ。――そのくらい、願っても構わないだろ?」

 紅がふっと笑った。

「そうね。覚えておくわ」

「約束しろ」

「抜折羅だけにするって誓うわよ」

 強気での命令に、紅は幸せそうな表情で応える。

「今の台詞、絶対に忘れないからな」

「えぇ、覚えていて」

 再び交わされた口付けは、どちらが先だったのだろうか。

 今年のバレンタインの思い出は、チョコクッキーの味になりそうだ――抜折羅はそう感じながら、紅を優しく抱き締めたのだった。


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