第124話 ★2★

 普段であれば二階にある遊輝ゆうきの部屋に通されるのだが、今日は三階に通された。

 階段を上った先はリビングで、振り向けばダイニングキッチンになっていた。住宅を紹介するチラシに載っていそうな感じに綺麗に整えられていて、とても独り暮らし中だとは思えない。デザインに凝った家具の数々を見るとさすがは芸術家の部屋といった印象である。とりわけ観葉植物やらフラワーアレンジメントやらがあちらこちらにあって華やかに彩られているのはすごい。ただ、目につく場所に絵画が見当たらないことが少しだけ意外だった。彼の父親は彫刻家として名前が知れているが、遊輝本人もプロの画家であるのに。

 ――よく片付いているというか、それ以上というか……。

 抜折羅ばさらは部屋の様子をまじまじと見ながら感心する。身の回りの雑用は養母がつけてくれたトパーズという青年に任せているため、自分では片付けくらいしかしていない。部屋自体もそんなに広くはないので手間ではないのだが、この家を遊輝が独りで管理していてこの状態なのであれば大したものだ。

「しばらくはソファーにでも座ってくつろいでいて。準備しちゃうから」

「何か手伝いましょうか?」

 キッチンへと向かう遊輝に、こうが声を掛ける。

「大丈夫。あとはセッティングするだけだし。――そうだ。紅ちゃん、着替えておいでよ。僕の部屋に君に似合いそうな服を用意しておいたから」

「……って、なんでそんな準備をしてるんですか?」

 驚きに若干の非難を加えたような口調で紅が問う。

「僕の趣味ってやつ? 僕への誕生日プレゼントだと思って着てくれると嬉しいな」

 さらりとにこやかに遊輝が答えた。彼は提案を押し切るのが上手いと思う。断りにくいように誘導しているというか。

 抜折羅が思ったように、紅はすぐに断ったりはしなかった。遊輝に疑いの視線を向けながらゆっくりと口を開く。

「普通の服ですよね……?」

 その問いに、遊輝は楽しげに自身の長い人差し指を顎に当てて僅かに首を傾げた。

「抜折羅くんがいなかったら、色っぽいネグリジェを着せてみたいところなんだけどね。耐性がない人を刺激したくないから自重したよ」

「一生自重していただきたいです」

 紅の台詞はとても冷たい。だが遊輝はにこにこしたままだった。

「とにかく、見るだけでもいいから、僕の部屋に行ってみて。あ、それとも僕を着替えに誘っているのかな。やぶさかではないよ?」

「ご心配なく。一人で行きます」

 身の危険を感じたらしい。片手で拒否を示すと、紅は階段へと身体を向けた。

「先輩の部屋って、二階の突き当たりでしたよね?」

「うん。気に入ってくれると良いんだけどな」

「わかりました。行ってきます」

 紅はしぶしぶといった様子で階段を下っていく。

 ――まったく、油断も隙もありゃしないな……。

 二人のやり取りを眺めていた抜折羅はやれやれと思う。そのとき、遊輝の視線が自分に向けられているのに気付いた。

「覗きに行くなら止めないよ?」

「俺は先輩とは違いますっ!」

 本当に油断も隙もありゃしない。ターゲットがいつの間にか自身に定められている。

 想定外の問い掛けに全力で否定すると、遊輝は小さく肩を竦めた。

「年頃の男の子なんだから、そういう衝動は隠さなくて良いのに。僕と君は同性の友達なんだし」

「先輩はいささかオープンすぎやしませんか?」

「だって、隠してもしょうがないことでしょう? 溜め込むと爆発しちゃうし。適度に発散させるのが一番だよ」

「む……」

 遊輝が誰のことを思い浮かべながら言っているのかすぐにわかった。だから、一部だけは許容しても良いような気がする。あの人のような病み方はしたくない。

「で、紅ちゃんとは何か進展はあったのかな?」

 ソファーに腰を下ろした抜折羅に背を向けて、トントンとリズミカルな包丁の音を響かせながら遊輝が問い掛けてくる。

「進展って……」

 抜折羅は自然と口ごもる。

 十日の夜にアメリカから日本に戻ってきて二週間が経った。ともに過ごした時間は、この前に日本に滞在していた期間と比べれば濃密だと言えるだろう。だが、抜折羅としては何も変わっていないつもりだ。

 そこまで考えて、はたと気付く。

「――そもそも、そんな報告の義務はないと思いますが?」

「えー、つれないなぁ。仲の良い友達なら恋バナくらいするもんでしょ?」

 水を流す音が聞こえる。会話をしながら調理を進めているのだが、彼の後ろ姿を見ていると手慣れているのがよくわかる。無駄がない。

「俺、先輩とそこまで仲が良いとも思ってないんですけど……」

 呆れた気持ちで呟くと、遊輝の手がぴたりと止まって振り向いた。

「ひどいよっ抜折羅くんっ! それって僕の片思いってことっ!? 互いの家を行き来する仲なのに、冷たすぎないっ!?」

「聞いている人がすごく誤解しそうな表現をあえて使うのはやめてくださいませんか?」

 演技じみた反応に、思わず棒読みで問い掛けてしまう。

「せっかく僕の手料理を振る舞ってあげようと思ったのに、あんまりな言い方をするからだよー。君のところじゃ、まともな手料理を食べられないだろうからって、頑張って用意してるのに」

 涙ぐまれてしまった。彼はころころと頻繁に表情が変わる。それを見てしまうとつい引き込まれてしまうのだろう。すっかり遊輝のペースだ。

「自分の誕生日なんだから、他人のことなんか気にしなくてもいいじゃないですか」

「どうせなら、喜んでもらいたいでしょ? 君たちの笑顔を見られることが、僕は何よりも嬉しいんだけどな」

 告げて遊輝はにっこりと微笑んだ。

 彼のそういうエンターテイナーな部分を、抜折羅はあまり理解できない。人を喜ばそうという意識が薄いせいだろうか。

「そんなことはさておき」

 遊輝の口元がニヤリと笑む。何かを企んでいるような表情に一瞬で変わった。

「この前の月曜日に紅ちゃんを見掛けたとき、首にキスマークをつけていたから、てっきり抜折羅くんの仕業だろうって思っていたんだけど、あれは別の人がしたのかな?」

 心臓が跳ねた。身に覚えがあったからだ。

 確かにその前の金曜日に熱で倒れ、様子を見にきてくれた彼女にそんなことをしたような気がする。

 ――ってか、したんだが。

 そこで、一つの矛盾点に気が付いた。

「待て、先輩。それは妙だ。紅の体質的に、そういう痕は残らないだろ?」

 紅はルビーの効能を受ける石憑きだ。ルビーには治癒の力があるために彼女は治りが早く、傷や痣が残りにくい。だとすれば、抜折羅がそのときにつけたキスマークが残っているのは不自然だ。

 動揺が口調に表れているが構っている余裕はない。抜折羅の問いに、遊輝は目を輝かせた。

「つけてすぐは残るけど、多分一、二時間もすれば消えるんじゃないかな? 試したことないけど」

「じゃあ――」

「狼狽えたってことは、抜折羅くんは彼女にそういうことをしたんだね」

 別の誰かの仕業なのかと勘ぐる抜折羅に、遊輝はにこやかに問うてきた。

「……はい?」

 状況が飲み込めない。

「キスマークの話は嘘だよ。君を試したんだ」

「なっ!?」

 はめられたと焦っていると、遊輝は続ける。

「首を攻められると、すっごく感じちゃうみたいだよね。可愛い声で鳴いてくれるでしょ? ルビーには性的興奮を高める効果なんてのがあるそうだけど、影響あるのかな?」

 紅には黙っている効能の一つだが、遊輝が言うようにルビーにはそんな効果があるそうだ。かつては粉にして媚薬として使われたこともあるらしい。

「昔のオンナを語るみたいな口振りで言わないでください」

「抜折羅くん、顔が赤いよ? 思い出しちゃった?」

「…………」

 余計なことを言うと墓穴を掘りそうだ。誤解されようと、曲解されようと、ここは黙っていることを選択する。

「ふふっ。しばらくはそうやって仲良くじゃれていると良いと思うよ。慌ててことを進めるようなことでもないし。きっと彼女はそういう関係を望んでる」

「……だから、なんであんたは紅のことならお見通しみたいな言い方をする?」

「別に、見通せているわけじゃないんだけどな。そう聞こえているなら、光栄かも」

 抜折羅の問いに答えて、遊輝は小さく肩を竦める。

「そろそろ紅ちゃんが着替え終わって戻ってくるだろうし、作業を進めるよ」

 話を一方的に切り上げると、彼はシンクに向き直ってしまった。手慣れた包丁の音がリビングまで響く。


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