第84話 *6* 10月2日水曜日、放課後

 宝杖ほうじょう学院の授業は水曜日だけ五時限授業で終わる。情報を整理しながらの優雅な午後のティータイムを過ごしても、最終下校時刻の十八時までは二時間以上あった。

「――結局、手掛かりらしい情報もないもんね」

 これまであまり見て来なかった武道館の中を歩きながら、こうが言う。

 お茶をしながら情報を洗い出してみたものの、規則性を見いだせたわけでもなく、情報に乏しかった。宝杖学院の施設に詳しい蒼衣あおいの判断で、今はとにかく探していない場所を見て回るしかないだろうという結論に至ったわけだ。

「我々の知識と能力では、辿り着けない答えなのかも知れませんね」

 蒼衣と紅の二人では、鉱物や宝石の知識が乏しく、タリスマントーカーとしての能力も探知に特化した遊輝ゆうきと比べれば格段に劣る。経験の差という意味では、浄化を得意とするダイヤモンドのタリスマントーカーたる抜折羅ばさらにも及ばないのだろう。訓練次第ではある程度の探知が可能になるらしいのだが、如何せん、タリスマントーカーになって日の浅い二人には高度な技術だ。

「もしもそうなら、独りで行うことを条件にしなかった理由がよくわかるわ」

 紅は肩を竦める。

 武道館もハズレらしい。芸術棟のさらに東側、駐輪場よりも校舎に近い場所に存在する施設で、男子体育の武道の時間に使用される他は、部活動に使われるくらいしか用途がない。紅がここを訪ねるとすれば、柔道部と地学部を兼部している藍染あいぞめかいに用事があるときくらいで、あまり馴染みのない場所だ。

「七不思議のようにヒントがあれば良かったのですがね」

「確かに。一応、真珠まじゅ青空あおぞら先輩に怪談の類は聞いたんだけど、有力な情報はなかったわ。新聞部の情報網で引っ掛からないなら、かなり厳しいと思う」

 二階の剣道場を見終えて、階下の柔道場に向かう。中等部の生徒たちの姿があり、紅たちを見ては一瞬手を止めて様子を窺っていた。星章蒼衣という人物は、中等部在籍中に数々の伝説を作ったおかげかかなり有名であり、見掛ければ気にもなるのだろう。

「他の魔性石と比べて、温和おとなしい石なのでしょうね」

「そうね。人に干渉しないのかも」

「干渉しない……?」

 紅の台詞を聞いて、蒼衣が何かに気付いたらしい。顎に手を当てて、ふむと唸る。

「何かわかった?」

 蒼衣の前に回って顔を覗き込む。思案しているときの彼の顔は取り分け格好良く映る。

「ひょっとしたら、あまり人の出入りがないから気付かれていないのでは、と思いまして」

 指摘を受けて、紅は思い返す。

「宝物館、第二音楽室、学生西棟の階段に、星影の森、池、校長室……うーん、どうかしら?」

 これまで宝杖学院の守護結界を担っている六つの水晶と話をした場所を挙げ、首を傾げる。どうにもしっくりこないため、紅は続ける。

「それに人の出入りが少ないとなると、利用頻度が極端に低い施設ってことでしょ? この中で一番使われていない施設は宝物館だと思うんだけど、そこより利用されていない場所なんて学院内にあるの?」

 宝物館は入学後のオリエンテーリングにて必ず一度は訪れる。生徒には開放された施設だが、予約が必要なこともあって、利用頻度は低いだろう。実際に〝氷雪の精霊〟を探すために訪れたときも、他の利用者はいなかったくらいだ。

 蒼衣は苦笑する。

「私の言い方が悪かったようですね」

「どういうこと?」

「利用頻度で考えてはいけません。人がいるか、いないか、なのです。紅の考えに則ると、校長室の噂が立つのが不自然になります。一般生徒が出入りするような場所ではないのですから。ちなみに宝物館は昼間は警備員がいるので、無人ではありませんよ」

「なるほど……一理あるわね」

 武道館の外に出た。十月とはいえ、陽射しにはまだまだ夏の名残がある。風が涼しくなったと感じて、ゆっくりと歩み寄る秋の訪れに気付かされた。

「普段は人がいない施設、及び教室に絞ると、かなり限定できるはずですが……思い付かないものですね」

「滅多に使わないわけだから当然じゃない? 気長に捜している余裕はあまりないけど、焦ってもしょうがないわ。非効率だけど、今はチェックしていない施設を見て回りましょ」

「そうですね……。次は弓道場に――」

 台詞の途中で、蒼衣は紅を下がらせた。何かに警戒しての行動。

 紅が蒼衣の背後から覗くと、身体が反射的に強張こわばる。そこには大柄な少年――黒曜こくよう将人まさとの姿があった。咄嗟とっさに蒼衣のベストを握る。

 将人の黒曜石のように真っ黒な瞳が蒼衣を捉えた。

「久し振りだな、蒼衣にい。二人揃って、学内デートか?」

「そちらは校内見学――というわけではなさそうですね」

 蒼衣の視線が将人の手元に移動する。紅の視界にも将人の手から伸びる振り子が入っていた。

 ――ダウジング?

 将人は黒い石でできたペンジュラムを手に、何かを捜していたように見える。そんなものを持って校内見学をする人間はおよそいるまい。

「隠す必要もなさそうだな」

 ふっと小さく笑って、将人は睨んだ。

「単刀直入に訊く。〝氷雪の精霊〟はどこだ?」

 ――将人も捜している?

 紅は〝氷雪の精霊〟の名を聞いてピクリと反応してしまったが、蒼衣は落ち着いた様子で返した。

「何のことでしょうか。もし、知っていても、貴様にだけは教えませんが」

 底冷えのする恐ろしい声は威嚇のためだろう。蒼衣は素早く左手を構えた。彼の薬指に埋まるサファイアの魔性石〝紺青こんじょうの王〟が発動する。空気が一瞬でピリピリとした緊張感で満たされた。

 それを見て、将人はニヤリと笑む。

「へえ……補助型のタリスマントーカーが、浄化型の俺とやり合おうってか?」

 くるりとペンジュラムを回して手のひらに収めたかと思うと、その中から黒光りする一本の槍が現れた。

「まぁ、おれの場合、浄化能力よりも近接戦闘の方が得意なんだけどなっ!!」

 言い放って、将人は地面を蹴った。槍を構える姿は様になっている。

 近付いてくる将人に、蒼衣は紅をさらに下がらせた。

「紺青の王よ、我に力をっ!」

 力強い声に応じて、青白い光が走る。〝紺青の王〟が持つ力を鎮める能力《鎮静の光》だ。

 将人は槍を振るい、形状を楯に変えて突進する。

「悪いな。対策済みだ」

 楯から槍に再び変化させると、さっと横にいだ。将人の腕の長さと槍の組み合わせは射程を効果的に延ばす。

 蒼衣は避けきれないと悟ったらしく、紅を護るように抱き締め、それでも傷が最小限になるよう横に転がった。

「兄様っ!?」

「ちっ、浅いな」

 紅はすぐに上体を起こすと、蒼衣を抱き起こす。

 彼の半袖のワイシャツに鮮血が滲んでいた。肩口を切られているようだ。蒼衣の顔に苦痛の色が広がる。

「将人、どうしてこんなことをっ!?」

 二、三歩ほど離れた場所から見下ろしてくる将人を睨む。彼は冷たい笑みを浮かべた。

目障めざわりなんだよ。生まれたときから全てを持っている蒼衣にいが。財産もあるし、勉学面でも優秀。人望や地位や名誉なんかもちゃっかり持ってやがる。その上、好きな女をはべらせているときた。こんな不公平が許されるなんて納得できるかよ」

 不満げに吐き捨てて、将人はゆっくりと近付く。

「来るなっ!!」

 怪我でうめいていた蒼衣が、傷を負っていない右手で紅をかばう。

 そんな蒼衣を将人は容赦なく蹴り飛ばした。助け起こそうとする紅の前にしゃがみ、邪魔をする。

「紅、おれの女になれよ」

 蒼衣を一瞥いちべつし、紅に視線を戻すと顎を取る。

「そしたら、蒼衣にいには手を出さないでいてやるからさ」

 身体は恐怖におののいて震えてしまっている。だけど、心は折れていなかった。

「ふざけないで」

 告げながら、心の中でフレイムブラッドに命じる。《浄化の炎》で威嚇いかくせよと。

「あたしはあなたのものにはならないわ」

 気力で将人の手を払うと、追い討ちのように紅蓮ぐれんの炎が舞った。魔性石の力をはらうフレイムブラッドの能力《浄化の炎》だ。火力が弱いのは、呪文を省略した影響に違いない。

 紅の不意打ちにはさすがに驚いたらしい。将人は素早く後方に飛び退いて避難した。

「そんなに蒼衣にいが大事か?」

「あなたのやり方が嫌なのよ」

「ふぅん……」

 つまらなそうに呟いて槍を消すと、黒い石のペンジュラムをポケットの中に押し込んだ。

「紅、一つ有益なことを教えてやる。――あんたは蒼衣にいとは結婚できない。つっても、相手はおれでもないんだがな。ただ、あんたが一番望まない相手だってことはわかる。頭の片隅に入れておけ」

 そう告げる彼の瞳には憐れみの色が広がっていた。

「――ここはあんたを口説き落とすのに失敗した手前、一度退いてやるよ。せいぜい仮初めの時間を婚約者ごっこでもして楽しむことだな」

 将人は何かを飲み込んだような顔を一瞬見せると、きびすを返して立ち去った。

「――蒼衣兄様っ!!」

 紅は将人の姿が見えなくなるなり、蒼衣に駆け寄った。肩を押さえる右手が赤く濡れている。出血が酷い。

「紅、貴女に怪我は?」

「あたしなら大丈夫。兄様、そんなことより、早く止血をしないと。蹴られた怪我の治療も」

 ハンカチを取り出し、傷口よりも心臓に近い位置をきつく縛る。しかしそれだけでは流れる血を止めることができそうにない。

 紅は焦る。

「まずいわね……助けを呼びましょう」

 ポケットからスマートフォンを取り出す。

「ですが――」

 蒼衣の顔が青ざめてきている。将人は浅いと言っていたが、とんでもない怪我だ。

「怪我の理由なんていくらでも捏造ねつぞうできるわ。命に関わるかもしれないのに――待って」

 誰に連絡するのが適当なのか迷ってアドレス帳を見ていた紅は、抜折羅ばさらの名前を見つけてあることを思い出した。すぐに画面を切り替えてメールを探す。

「……何か妙案でも?」

「ルビーの効能にあるの、こういうときに使えそうなやつが」

 抜折羅から貰っていた目的のメールを表示する。ルビーについてまとめたレポートだ。

 紅が指先でスクロールすれば、期待した文言にたどり着いた。

「フレイムブラッド、あたしに力を貸して」

 右肩に埋まるスタールビーの魔性石〝フレイムブラッド〟に声を掛けると、身体中にその力を感じ取る。

『――ワタシの力を求めますか?』

 亡くなった祖母に似た声が耳元でした。フレイムブラッドの声だ。

「えぇ、お願い。蒼衣兄様の傷を癒やしたいの。協力して」

『承知いたしました。《治癒の炎》の力を貸し出しましょう』

 身体中に漲っていた力が右手に収束し、柔らかな炎を生む。

『その炎を傷口に流し込んでください』

「了解」

 蒼衣の左腕を取ると、十数センチにわたるだろう裂傷れっしょうに炎を当てる。触れた箇所から炎が体内に流れていく様が幻想的で、思わず見入ってしまう。

 ――これが《治癒の炎》か……。

 意識がぼんやりとして、身体が前に傾く。それを蒼衣は受け止めてくれた。

「もう大丈夫です。紅、力の使いすぎは身体にさわります。やめて下さい」

 言われて、はっとした。この力は紅の体力を消耗して、相手を回復させるものなのだ。

「あぁ、うん」

 紅は右手を傷から離す。まもなく炎は消え去った。

「血は止まったみたいね」

 確認のために血をそっと拭うと、赤い線となって腫れているくらいでほとんど治っていた。

「血色も良くなったみたいだし、これで安心ね。――蒼衣兄様、あたしを護ってくれてありがとう。でも、無茶はしないで。あたしはあなたが傷付く姿は見たくないよ」

 蒼衣の瞳を真っ直ぐ見つめて告げる。

 自分のために頑張ってくれるのは嬉しいが、約束してもらわないと心配だ。蒼衣が紅を護るために幽閉することを考えてしまう程度には、彼を護るために遠ざけることをつい考えてしまう。でも、それは互いの願うところではないだろう。

 紅の視線から蒼衣は逃れるように顔を背けた。

「お気持ちは嬉しいのですが……。私は貴女さえ護れるのであれば、命も惜しくはありませんよ。貴女を手に入れられないなら、私自身など要らないと願ってしまった以上に強く思っているのです」

「蒼衣兄様」

 名を呼んで、彼の右手を取り両手で包む。彼の手のひらは血で濡れていたが、そんなことは構わなかった。

 蒼衣は顔を背けたままだったが、すっと視線を包まれた手に向け、紅の顔に戻した。それを見て、紅は続ける。

「蒼衣兄様はもっと自分を大切にして。あたしはあなたに犠牲をいることは望んでない。あなたならできると信じて期待しているあたしの気持ちを裏切って欲しくないの。わかってくれないかしら」

「紅……」

 彼の瞳が揺れる。悩むような間を挟んで、蒼衣は向き直り微笑んだ。

「……わかりました。努力しましょう」

 左手を添えられて、彼の右手を解放すると、ぎゅっと抱き締められる。

 心地よい腕の中にいると、このままの関係を続けていけそうな幻想を抱く。しかし、蒼衣はこの兄妹のような、温かだが煮え切らない関係は望まないのだろう。もっと深く繋がりたいと願っているのだろう。

 ――胸が苦しいよ……。

 蒼衣は紅を離すと立ち上がり、手を差し出した。

「なんとしても、黒曜より先に〝氷雪の精霊〟を見つけましょう。彼の好き勝手にはさせません」

 差し出された右手を紅は取り、ゆっくりと立ち上がる。

「そうね。目的が何なのかはわからないけど、先に手に入れた方が良さそうね。――大怪我を負わせておきながら申し訳ないんだけど、協力をお願いできるかしら?」

「えぇ、喜んで」

 ――今は蒼衣の好意に甘えておこう。

 自分はずるいと思いながら、紅は蒼衣に微笑んだのだった。



 その後も幾つかの施設を回ったが、進展はなかった。指定の期日もどんどん迫る。

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