第67話 *6* 9月29日日曜日、午後
羽田空港へは十八時前に着いた。急いで降りる
「距離からすると、まだ出発ロビーにいると思う。すぐに追い掛けるから、先に行って」
「わかったわ」
紅はスカートを
――お願い、フレイムブラッド。彼のところに導いて!
日曜日の夕方という時間帯だからか、フロアには思っていたほど人の姿はない。だが、抜折羅の姿を見つけることはできなかった。
出発ロビーの辺りにいる人たちの顔を確認しながら、紅は懸命に探し回る。
――間に合わなかったの?
荷物検査を終えてしまっている場合、追い掛けるのは困難だろう。航空券を買ってでも中に入ってみるべきかとさえ考える。
――
アメリカに旅立った
――ここじゃないのかな?
国際線の出発ロビーであるならこの周辺であるのだが、なにぶん広い場所だ。死角となるところもあるわけで、見落としているのかも知れない。
紅は早足でロビーを進む。一人一人の顔を確認して、あの人は違う、この人は違うとやっているうちに、前方不注意で旅行客の荷物に
「すみません。蹴ってしまって……」
「――紅?」
「……抜折羅!?」
「そんな姿でよく来られたものだな。さながら、結婚式会場から逃げてきた花嫁みたいだ」
差し出された右手。紅は彼の手を取り立ち上がる。
「似たようなものよ」
婚約発表を兼ねた誕生日パーティーだ。そう遠い話ではない。
「ドラマの撮影かと思ったぞ。急に騒がしくなった上、ドレス姿の少女が走っていたから」
抜折羅と向き合った紅は、指摘されてようやく気付いた。辺りの視線が集まっている。必死だった所為で、周囲の注目などに気が回らなかったのだ。
恥ずかしさが今頃やってきて、紅は顔に熱が上ってくるのを感じ取る。
「宝石みたいに綺麗だったから、俺の気のせいだと思った」
「……え?」
「フレイムブラッドの気配がするのは、妄想だろうって――だけど、お前は本当にいた」
見上げて瞳に映す抜折羅の顔には微笑みが浮かぶ。
「どうしてここに来た?」
「見送りに来たのよ。黙って帰国するなんて酷いわ」
「今までそうしてきたんだ。呪いに巻き込まないために、仕事で生まれた絆は断つことにしている」
「あたしには関係ない。そんなふうに気を遣われても、あたしは嬉しくないっ!」
「紅はホープの恐ろしさを知らないから、気安く言えるんだ。俺はこれ以上、大切な人を傷つけたくない」
はっきりとそう告げた抜折羅は、紅から視線を外す。
「抜折羅……それって、あたしのことを大切だと思ってくれているってこと……?」
「言わせるな。お前を失いたくない」
彼の作った
「あたしは……あたしは抜折羅のこと、大切な人だと思っているよ?」
紅は震える抜折羅の拳を両手で包んだ。優しく、そっと。
「紅、俺はお前の気持ちに応えられない」
「あたしの目を見て言って」
「だから、俺は紅の気持ちに応えられな――!?」
抜折羅の目と合ったはずだ。だのに、紅の瞳は像を正しく結ばない。
泣くとは思っていなかったのだろう。紅自身も泣くとは思っていなかった。
涙が
「離れたくないよ、抜折羅。こんなふうにお別れするには、あたしたち一緒にいすぎたんだわ」
「お前はこんな俺でも傍にいていいと言うんだな。始めは拒否してきたくせに」
「しょうがないでしょ? あなたを好きになるのに充分な時間があったんだから」
「もう泣くな」
「泣かせたのはあなたよ」
「確かにそうだな」
言って、抜折羅は紅の腰に手を回して抱き締めた。
「――離れたら俺は紅を護ることができない。それは残念に思う」
「……うん」
「いつか呪いが解けたら、お前と会いたい。それまでは出会う前の他人同士――それだと不満か?」
彼なりに考えた答えなのだろう。抜折羅の優しさが、気遣う想いが伝わってくる。
「ううん、充分だよ。あたし、待ってる」
「長くは待たせない。そのときまで紅の気持ちが変わっていなかったら、俺は必ず紅の想いに応えよう」
「うん。ありがとう」
紅を解放すると、抜折羅は頭を撫でた。
「そろそろ行かないと。しばしの別れになることを祈るよ」
いつまでもめそめそしているわけにはいかない。紅は
「あたしも祈るわ。行ってらっしゃい、抜折羅」
見送りは笑顔で。せっかく施してもらったメイクは崩れているだろう。様にはならないが、こういう場面はみっともなくても笑顔でありたい。
「行ってくるよ、紅」
機内に持ち込む荷物を掴むと、抜折羅は歩き出す。その頼もしい背を紅は黙って見送った。
見えなくなったところで、紅は御手洗いの脇からの視線を
「――白浪先輩は抜折羅と話さなくて良かったんですか?」
視線を寄越していた全体的に白い少年――遊輝はやんわりと微笑んだ。
「僕の仕事は君をここに連れてくるまででおしまいだよ」
「ずいぶんと親切なんですね。スティールハートで人払いもしていたでしょう?」
途中から視線が気にならなくなったのは、何も自分たちの世界に入ってしまったからではない。遊輝が裏で手を回していたのだ。
紅の指摘に、遊輝は小さく肩を
「恩を売っておこうっていう下心だよ。僕を信用しないほうが、君たちのためじゃないかい?」
「ならば、そういうことにしておくわ」
「懸命な判断だね」
言って、遊輝は背を預けていた壁から離した。
「戻ろうか、紅ちゃん。閣下がお怒りでしょ?」
「白浪先輩まで一緒だったって知ったら、もっと怒るかも」
「そこは黙っていてほしいけどな」
紅はふっと笑う。遊輝も笑った。
――大丈夫。あたしは抜折羅を待つよ。気が変わる前に、戻って来てね。
もう一度だけ、抜折羅が消えていった方向を見ると紅は一歩を踏み出した。
(最終章 秘めたる炎で心燃やして 完)
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