35.森の遺跡

 鬱蒼うっそうとした森の奥、体にまとわりつく緑に辟易へきえきしながら、レティシアとクレアの二人はのろのろと進んでいた。木は背が非常に高いものから低いものまで様々な種類が生えていて、空は葉に隠され全く見えない。

 纏わりついてくるのは植物だけではなかった。耳の奥がぞわぞわとするような不快な音を立てながら、そこら中に虫が飛び交っている。虫が嫌がる匂いを出すという薬草を一応持ってきたのだが、効いているのかいないのか、いまいちよく分からない。

(あの虫除けの魔道具、買っておけばよかったかな)

 近づいてきた小さな羽虫を払いのけながら、レティシアはため息をついた。馴染みの魔道具店の店主に勧められたもので、わざわざ外に出て実演までしてくれたので、かなりの効果があることも分かっていた。問題は、金貨数十枚という値段だ。

 やっぱり無理、とぷるぷる首を振る。危険な虫がたくさんいるところに行くとかならともかく、この森の虫は害が少なく、精々噛まれて少しかゆくなるぐらいだ。快適さのために、一か月分の稼ぎをつぎ込むわけにもいかない。

「レティ、ちょっと待って」

 後ろからの声に振り返ると、クレアが手を後頭部に回して何やらごそごそとやっていた。どうやら、髪が木の枝か何かに引っかかったようだ。彼女の自慢の金髪は、今日は珍しく綺麗に纏められている。

「私がやるよ……わっ」

 踏み出そうとした一歩が木の根に引っかかり、レティシアは足をもつれさせながらふらふらと数歩進んだ。友人に抱き着く寸前で、危うく踏みとどまる。

 クレアは少し目を見開き、次いで眉を寄せながら言った。

「こんなに面倒な場所とは、思いませんでした。これなら、ダンジョンの方が、よかったかもしれませんね」

「……そだね」

 レティシアが体勢を立て直した頃には、クレアの作業はもう終わってしまっていた。二人は顔を見合わせ、ため息をつく。

 今日の目的は、森の奥にあるという遺跡の探索だ。知り合いがたまたま見つけたもので、まだちゃんとした調査は入っていないらしい。それは、財宝が誰にも持っていかれていないという事でもあるし、そもそもそんなものが存在するのかどうか全く分からないという事でもある。

「まあ、危険はそんなに無さそうだし」

 歩き出しながら、レティシアは言った。ダンジョンのように、厄介やっかいトラップにびくびくする必要もない。野生の獣にはもちろん注意しなければならないが、魔物ほど積極的に襲ってくるわけではない。

 そしてこの森には、魔物は存在しない、はずだ。今まで人々に知られている範囲では。

「リッドさんが見た人影というのが、気になりますけれど」

 人差し指を口元にやりながら、クレアが不安げに言う。リッドというのは、遺跡の情報をくれた人物の名前だ。彼は最初遺跡を見て回るつもりだったのだが、怪しい人影を見かけて逃げ帰ってきたらしい。

 怯えたように語るリッドの顔が脳裏に浮かぶ。ちなみに彼は、子供が泣き出しそうな強面こわもての割に臆病で、そのギャップを他の冒険者たちからいじられていた。

「消えるように、居なくなってしまったんですよね」

「うん」

 クレアの言葉に頷く。彼が言うには、最初木の向こう側にちらりと人影を見たのだが、近づいてみるとどこにも姿が見えなかったらしい。

「でも、見間違いかもって言ってたし」

「それは、そうですけれど……ほら、魔物かもしれないでしょう?」

「うーん」

 レティシアは首を捻った。人型の魔物として有名なのは、既に駆逐されたはずの『魔族』と呼ばれる種族だ。だがそれ以外にも少数ながら存在するし、実際二人もダンジョンで出会ったことがある。

「魔道具で姿を消したのかもしれないんじゃない?」

「その場合、何故隠れたのかが、不思議ですね。身を隠す必要のあるような犯罪者なら、それはそれで危険ですし」

「うーん、そっか」

 草を掻き分けながら、レティシアは唸った。いずれにせよ、注意はしておいた方がよさそうだ。

 さらに少し進むと、明らかに人の手が入った石造りの何かが、草に埋もれ、地面に折り重なるように散らばっていた。ばらばらに割れていて何が何だか分からないが、元は相当大きな物だったようだ。

「ここが、遺跡?」

「そうみたいですね。これは、屋根の破片でしょうか」

 しゃがみこんで石を見ていたクレアが首を傾げた。レティシアも、膝に手を突いて覗き込む。確かに、言われてみれば屋根に見える、かもしれない。

「あ、あれって、柱?」

 レティシアが指さした先には、瓦礫の隙間から見える円柱状の石があった。これもばらばらになっていたので判然としないが、屋根があるなら柱もあるのだろう。

「少し、見て回りましょう」

「うん」

 二人は頷きあって、辺りの探索を始めた。

 ぱっと見は草と木しか無いようだったのだが、実はそこここに瓦礫が落ちていることが、すぐに分かった。木々の間を縫うようにして、地面に広がっている。そして瓦礫を突き抜けるように、草が生えていた。

 瓦礫はある程度固まって落ちていて、その塊が広範囲に渡って点在していた。瓦礫をどけて調べてみると、家具や食器の残骸のようなものも見つかった。恐らく塊の一つ一つが、元は家だったのだろう。

「昔は町があったのかな」

 しばらく調べたあとで、レティシアは呟くように言った。ここから価値のあるものを見つけ出すにしても、瓦礫を全部どけて全て調べるのは到底無理だろう。当たりを付けて探す必要がある。

 クレアの意見も聞こうと思って目を向けてみると、彼女は口元に手をやり、難しい顔をしている。

「町にしては、変なところが多いですね」

 ぼそりと言うクレアに、レティシアはきょとんとした顔で尋ねた。

「変なところって?」

「まず、町を作るには、木が多すぎます」

 それを聞いて、改めて辺りを見る。確かに、木はそこらじゅうに生えていて、避けて家を建てるのは結構難しそうだ。

「森が後からできたとか?」

「森って、そんなに簡単に、できます?」

「うーん……クレアが分からないなら、分からないよ」

 ちょっと考えてみたが、見当もつかない。レティシアは早々に諦めた。

「木を囲むように造ったのかも」

「その可能性は、ありますね。建てるのが、面倒そうですけれど……。あとは、どの家も綺麗に壊れているのが、少し変でしょう?」

「どういうこと?」

「柱ぐらい、そのまま残っていても良さそうなのに」

 クレアが、背後を手で示した。地面はどこも瓦礫だらけのはずだが、視界に入るのは草木ばかりだ。どの瓦礫も、草の高さを下回るほど崩れている。

 レティシアはしばらくじっとその景色を見たあと、クレアの方に視線を戻した。

「つまり……どういうこと?」

「そこまでは、まだ分かりません。レティも、考えてください」

「うーん」

 首を捻りながら、とりあえず歩き出す。クレアの方は、立ち止まって考え事をしているようだった。

 町ではないのだとしたら、一体なんだというのだろう。瓦礫捨て場、なんて考えが浮かんだが、わざわざこんな森の奥まで捨てに来る理由もない。

 先に進むため、生い茂る草を掻き分ける。と、その先に不意に現れたものを見て、レティシアは短く声を上げた。

「あっ」

 地面に横たわっているのは、鹿の死体だ。まるで巨大な鈍器で殴られたかのように、体が潰れて内臓が飛び出ている。身をかがめて触れてみると、まだ暖かい。恐らく死んだばかりだ。

 レティシアは慌てて体を起こし、周囲を見回した。鹿が他の生き物に殺されたのなら、そいつはまだ近くにいるはずだ。そして、死体が放置されている時はまず魔物を疑わなければならない。獣や人なら、食料として持っていく可能性が高いからだ。

「気をつけて、近くに何かいる!」

 見える範囲に誰もいないのを確認したあと、クレアの方を向いて警告した。彼女は一瞬、周りに目を向けようとしたが、驚愕の表情を浮かべてレティシアの方に視線を戻す。

「レティ、後ろ!」

 クレアが叫ぶ。だがレティシアが振り返る前に、乱暴に腕を掴まれ、倒れそうなほど強く引っ張られた。

「動くな!」

 背後から、鋭い声が浴びせられる。背中に何か硬い尖ったものを押し当てられているのを感じて、レティシアは硬直した。

 息の詰まるような一瞬が過ぎる。次にどう行動すべきかをレティシアがようやく考え始めた頃、

「わっ」

 すぐ目の前を、大きな塊が高速で落下していった。どんっ、という大きな音を立てて、地面に激突する。

 よく見るとそれは、先ほどのやつと同じような外見をした鹿だった。よっぽど高いところから落ちてきたようで、既に落下の衝撃で息絶えていた。

「はあ、よかった」

 背後の男が、ため息とともに手を放した。腕を解放されたレティシアは、素早く体を離して振り返る。

 そこにいたのは、線の細い、頼り無さげな顔をした青年だった。分厚い本を、胸に抱えるようにして持っている。さっき背中に押し付けられたのは、多分あの本の角だろう。

 彼は、地面に落ちた鹿の死体を指さすと、申し訳なさそうに言った。

「すみません、急に腕を掴んだりして……でもこの辺り、よく物が落ちてくるので気をつけた方がいいですよ」

「……あ」

 ようやく助けられたことに気づいて、レティシアは間の抜けた声をあげた。改めて、死体に目をやる。もしあれに当たっていたらどうなっていかたと思うと、ぞっとした。

「落ちてくるというのは、どこからでしょう? 木の上に、何かあるのですか?」

 固まってしまったレティシアに代わって、クレアが尋ねる。青年はしばらく言葉を探して唸っていたが、やがてにっこりと笑って言った。

「そうですね、実際に見ていただいた方が早いと思うので、僕についてきてください。上の方が安全ですしね」

「はい、分かりました」

 歩き出す青年に、クレアは素直についていく。友人に服を引っ張られて、レティシアも後に続いた。

 青年は慣れた足取りで、森を進んでいった。重そうな本を小脇に抱え、まるで整備された街の通りを歩いているかのようだ。

(上って、なんだろ)

 レティシアは、頭上に広がる緑の天幕に目をやる。枝の上にも、動物が暮らしているんだろうか。まさか木登りさせられるんじゃ、と不安になってきたところで、青年が足を止めた。

「いいですか、僕と正確に同じ事をしてください。正確に、ですよ」

 二人の方に向き、念を押すように言った。彼は上を見たり下を見たりしながら、自分の立ち位置を調整しているようだった。

(魔道具……かな)

 レティシアは、青年の足元に目をやった。転移の魔道具だと、根拠なく確信する。

 こういうことが何故か分かるようになったのは、少し前からのことだ。魔力探知の魔法とも少し違う。場合によっては、魔道具の使い方まで『分かる』。単なる勘かと思ってまだ誰にも言っていないのだが、どうもそれだけではないような気がする。

「いいですか、いきますよ」

 青年の声が、思考を遮った。彼はじっと地面を見ながら、小さく跳び上がる。

 次の瞬間には、彼の姿は忽然と消え失せていた。レティシアは目を丸くしながらも、男のいた場所に向かう。

「ここでジャンプすればいいのかな」

「そうみたいですね」

 男の足型に自分の足を合わせると、彼の真似をして小さく跳んだ。

 何度か経験のある、世界が一瞬にして切り替わる奇妙な感覚。直後、レティシアの視界に入ったのは、一面に広がる緑色と、雲一つない青空とのコントラストだった。少しバランスを崩しながらも、その場に着地する。

「わ……」

 雄大な風景に、レティシアは感嘆の声を上げた。最初草原に立っているのかと思ったがそうではなく、足元に広がるのは枝と葉っぱのようだった。所々に木の幹が突き出したその平面が、霞むほどの遠くまで続いている。家のようなものも、近くに、遠くに、いくつか建っていた。

 恐らくここは『木の上』なのだろうが、こんな綺麗な平面が、自然に作られるとは考えられない。とんでもなく規模の大きい魔法か、魔道具の力によって維持されているのだろう。

「こういう登れる場所がいくつかあるんですよ。あ、無暗に歩き回らないでくださいね。『地面』が無い場所が多いんですよ」

 青年はレティシアの足元を指さした。言われて初めて、足元に目をやる。

(……地面?)

 そこに見えるのは、ごく普通の枝葉だ。密度は高いにしても、安心して上に立っていられるような代物ではない。

 一方で、足に伝わる感触は、硬い石造りの地面のものだった。レティシアはそのギャップが少し気持ち悪くなって、顔を上げる。

「ゆっくりこちらへ歩いて来てもらえます? そこに立ってると、次の人が上ってこれないので」

 下はあんまり見ないようにしようと思いながら、男の言葉に従う。すると、さっきまで立っていた場所に、クレアの姿が出現した。彼女は目を見開いて辺りを見回したあと、ほっと息をついた。

「やっと、来れたみたいですね。置いていかれたのかと、思いました」

「すみません、少し待ってから跳ぶように言っておけばよかったですね」

 青年は頭を下げたあと、レティシアにしたのと同じ説明を繰り返す。クレアは納得したように頷いた。

「なるほど。それで、動物が落ちてきたりしたんですね」

「ええ。動物が転移の魔道具を偶然使ってしまうことがたまにあるようで。さっきも上ってきた鹿を下に戻してやろうとしたんですが、上手くいかずに落としてしまったんですよ。降りる方は別にあって、誘導しようとしたんですが」

「下にあった瓦礫も、元はここにあった家が、落ちたんでしょうか」

 クレアぽつりと言うと、男はさも嬉しそうに語り始めた。

「ええ、ええ。僕もそう考えています。確証はないんですけどね。この広大な空間の中で、『地面』が残っている場所は僅かです。ですが、かつては全域が『地面』に覆われていたのだと考えています。魔力の痕跡なんかを見ると……」

 そこまで言ったあと、青年は何かを思い出したように、はっと口を開いた。

「すみません、自己紹介がまだでしたね。僕はコリンという者です。学者をやっていまして、この地方にある遺跡の研究をしているんですよ」

「学者さん、ですか」

 クレアが少し困ったように笑った。冒険者と学者はあまり仲が良くない。冒険者たちが、学術的価値や現場の保存などを考えずに遺跡を荒らしていくからだ。

「クレアといいます。私たちは冒険者です」

「レティシアだ」

 二人が名乗ると、青年はにこにことしながら頷く。どうやら、冒険者に対して悪い感情を持っている様子はないようだ。

「ほう、冒険者の方ですか。この遺跡はどこでお知りに?」

「知り合いの方から、教えていただいたんです。ついこの前に、近くを通った時に見つけたそうです」

「へえ……あ、その人、会ったかもしれませんね」

 青年は、あごに手をやって考え込むようにした。クレアはぽんと手を打つ。

「そうそう、人影を見かけたのに、すぐに消えてしまったとか。あれは、コリンさんが転移の魔道具を使ったんですね」

「あー、多分そうだと思います」

 男が困ったように笑う。クレアは首を捻った。

「気づいていたなら、どうして声をかけなかったんですか?」

「いやー、なんか怖い顔の人だなーと思って。山賊……いや森賊? の方かと」

 その言葉に、レティシアは思わず吹き出した。リッドに聞かせたら、また落ち込みそうだ。

「とにかく、この辺りを探索するつもりなら、安全な道をお教えしますよ。ただ、『地面』がある日突然無くなることもあるので、十分注意していください」

「ありがとうございます」

「ああ、それと、冒険者の方が欲しがるような物はないと思いますよ。価値のあるものは。生活の品ばかりです。僕にとっては、貴重な研究資料ですが」

「荒らしてしまっても、大丈夫ですか?」

「ええ、とにかくたくさんあるんで。べつに構いません。あ、なにか特に珍しいものを見つけたら、教えていただければ買い取りますよ」

「分かりました」

 二人が頷くと、男はその場に座り込んで、手に持った分厚い本を開いた。そのページは、男が書いたらしい、様々な文字と絵でびっしりと埋まっていた。遺跡に関する本か何かかと思っていたら、彼のノートだったようだ。

 レティシアも、『地面』に腰を下ろして彼の説明を聞く。相変わらず、『地面』は平らな石のような感触を伝えてきて、少し気持ち悪い。

(やっぱり町だったのかな)

 レティシアは、延々と広がる緑と、その上の建物にちらりと目をやった。もっとたくさんの建物が並び、大通りを人々が歩く様を想像する。

(なんでこんなところに住んでたんだろう)

 残った建物から想像できる広さを考えると、かなりの数の住人がいたはずだ。個人の酔狂の規模ではない。なにか切実な理由があったのか、それとも酔狂で樹上に都市を作れるほど、魔道具の技術が進んでいた時代があったのだろうか。

「レティ、ちゃんと聞いてます?」

「あ、うん」

 ジト目のクレアに突っ込まれて、レティシアは慌てて男の手元に視線を戻す。

 財宝は無くとも、ここを探検するのはなかなか楽しそうだ。何か一つぐらい、面白いものを見つけて帰ろうと心に決めて、コリンの説明に耳を傾けた。

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