29.回避戦略

 神妙な表情で、リックはベッドの上に座った。壁に背を預けて、左右に目を向ける。近くに危ないものは何もない。今この瞬間、突然意識を失ったとしても、怪我することは無いだろう。

「ほんとにやるのー?」

 目の前をひらひらと飛ぶティエルが、不安げに眉を寄せた。彼女の本体である魔剣は、部屋の反対側の床に置かれている。

「どんな効果か、一回ぐらい体験しておいた方がいいでしょ? ここなら危なくないって」

 ほら、と身振りで自分の周りを示す。ティエルはまだ迷っているようだ。

 ついさっき、彼女が最近覚えた感覚を乱す魔法を、自分にかけてくれと頼んだのだ。明日からの仕事は危険度の高いダンジョン探索なので、魔法を使ってもらうことになる可能性が高い。その前に、正確な効果を知っておきたかった。

「うーん、わかったー」

 ティエルは渋々そう答えた。知り合いに攻撃系の魔法をかけるのは嫌だろうなあとリックも思う。非常に疲れるらしいから、それもあるだろう。

 あぐらをかいた膝の上に、ティエルがちょこんと腰をかける。人間の魔術師のように呪文を詠唱することは無いが、こちらをじっと見つめて、集中しているようだ。リックは少し緊張してきた。

「えいっ!」

 思い切り伸ばされた手が、リックに向けられる。その瞬間、頭を鈍器で殴られたような強い衝撃が襲った。視界が激しく揺れる。手足の感覚もおかしくなって、自分が立っているのか座っているのかもよく分からない。

 ふわりと浮かび上がったティエルが、リックの顔をじっと見る。疲れているのか、その声には元気が無い。彼女のまぶたは半分閉じられ、眠そうにしていた。

「だいじょうぶ?」

 彼女の声も、酷く歪んで聞こえてくる。渋い中年男性のような低い声になっていて、姿とのギャップは笑ってしまうほどだった。が、今はそれどころではない。

「な、なんとか」

 吐き気が込み上げてきて、リックはベッドに横になった。慣れてきたら少し歩いてみようかなどと思っていたのだが、とても無理そうだ。

 魔物にも同程度の効果があるのかは分からないが、少なくとも人間相手なら十分すぎるだろう。こんな状態でまともに戦えるとは思えない。

「わかったー……」

 消え入りそうな声で言った直後、ティエルの姿が突然見えなくなった。前と同じく、眠ってしまったのだろう。やはり連発はできないようだ。

「……う」

 わりと真面目に吐きそうになってきた。しまった、こういう準備もしておくんだった、と今更思いつく。

(二日酔いを酷くしたみたいな感じだな、これ……)

 口元を手で押さえて、吐き気を堪える。虚ろな瞳を窓の外に向ける。暗くなり始めた空に、月がちょうど真正面に見えていた。が、今は綺麗だと思う余裕もない。

 と、その時、誰かが部屋の扉をノックした。うっ、とリックは口元を歪める。こんなタイミングの悪い時に来なくてもいいのに。

「おーい、寝てるのか?」

 声の主は、明日一緒に仕事をするヴィクターだった。何か相談があるのかもしれないが、出ていくわけにもいかない。今の自分の状態を説明できないだろう。せめて明りを消しておけばよかった。

(……というか、魔法を試すならもっと前にやっておけばよかったよね)

 なんて、今思ってもどうしようもない。リックは寝たふりを決め込んだ。

「どうしたの?」

 部屋の外から、別の声が聞こえてきた。ヴィクターと同じく、明日の仕事仲間のユンだ。

「リックが呼んでも出てこないんだよ。明りがついてるし、まだ起きてると思ったんだけど」

「そうなんだ?」

 ぱたぱたという軽い足音が遠ざかっていく。聞くだけ聞いて、ユンは去って行ったようだ。

 はあ、というため息が聞こえてくる。やがて諦めたようで、ヴィクターの気配も離れて行った。

 ほっと息を吐いたリックに、また吐き気が襲ってくる。唇を噛んで耐える。

(この魔法は、いつ切れるんだろう……)

 まだまだ効果が弱まってくるような様子もない。実はティエルって、かなり優秀な魔術師なんだろうか。そんなことを考えながら、リックは枕に顔を埋めた。


 次の日の早朝、リックたちは集まって宿を出た。宿があるのは辺境の農村だが、外には冒険者の姿が多く見られた。有名なダンジョンが近くにあるためだ。

「ふあ……」

 欠伸をしたのは、リックの肩に乗っているティエルだ。普段ならまだ寝ている時間だ。昨日はあのまま本格的に寝てしまい、いつもよりかなり早く目が覚めたらしい。

 ティエル魔法大丈夫かな、などと考えていると、ヴィクターが遠慮がちに話しかけてきた。

「悪いな、無理に仕事付き合ってもらって」

「いや、気にしなくていいよ。僕もべつに忙しいってわけじゃないし」

 今日のダンジョン探索は、ヴィクターから直接誘われた。お財布事情が厳しいリックは、収入が不安定なこの仕事を受けようかどうか最初迷っていたのだった。

(まあいい仕事も無かったし)

 すかすかになっていたギルドの依頼掲示板を思い出す。たまたま少なかったのか、それともエルシェードの町の冒険者が増えでもしたんだろうか。

「そういえば、昨日は何の用だったの?」

「もう解決したからいい……って、起きてたのか?」

「あ、いや、半分寝てたんだけど、誰か来たような気がして」

 あはは、とごまかす様に笑う。しまった、寝たふりをしていたのを忘れていた。

「うわ、看板まで立ってる」

 タイミングよく、ユンが声を上げる。村の奥の方に、矢印と剣のマークが書かかれた看板が立っていた。その先は、森に入る道につながっている。ダンジョンはこっち、という意味だろう。

「ダンジョンのおかげで儲かってるらしいですよ」

「冒険者用の雑貨屋まであったよな」

「すごい高かったよね、あれ……」

 リックは、満面の笑顔で商品を勧めてくる雑貨屋の店主の顔を思い出した。並べられていた商品は、どれもエルシェードの数割増しの値段だった。忘れ物でもしてきた冒険者向けなのかもしれないが、あれで商売が成り立っているんだろうか。

「あの石おいしそうだったー」

 ティエルが残念そうに言う。雑貨屋に置いてあった魔石のことだ。これから行くダンジョン内で取れる物らしく、これだけは辛うじて適正価格で売っていた。とは言ってもかなり高品質な物で、リックが気軽に買えるような値段ではない。

(もし手に入ったら、ティエルにあげたいけど……)

 恐らく無理だろう。あの魔石はとある魔物から採れるものなのだが、今回そいつとは戦わずに済ます予定だった。

 森の道を進むと、すぐに石造りのダンジョンが見えてきた。入り口付近で、別の冒険者パーティが何か相談している。彼らに軽く挨拶して、建物の中に入る。

 何も光源が無いように見えるダンジョン内は、何故か明るい。天井は高く、人が数人並んで歩ける直線状の通路が続く。少し先で、右に曲がっていた。

「曲がり角には気を付けてくださいよ」

「おう」

 先頭を歩くヴィクターは、なるべく左側の壁に近づいて角の先を覗き込んだ。目を見開いて、道の先を指さす。

「早速いたぞ。まだ遠い」

「む、こっちに来られると通れなくなりますよ。さっさと行きましょう」

「だな」

 彼は早足で先に進む。リックも角を曲がると、ヴィクターの言っていた何かが目に入る。

 まっすぐ伸びた道のずっと先に、鉄か何かの金属でできた、巨大なゴーレムが居た。胸には雑貨屋で見た魔石らしきものがはまっている。

(絶対戦いたくないなあ、あれ……)

 彫像のように動かないゴーレムを見ながら、リックはヴィクターの後に続いた。あの魔物は、普段はゆっくりとダンジョン内を巡回しているだけだ。だがある範囲内に別の生物が入ってきたとたん攻撃してきて、延々と追いかけてくる。

 こいつへの最も有効な対処法は『近づかない』だ。生半可な腕では太刀打ちできないし、倒しても得るものは少ない。遠くの冒険者を積極的に追っては来ないので、戦闘を避けるのは比較的楽だ。角を曲がった先で急に出くわしたりしなければ。

 左に延びている横道の手前で、ヴィクターは立ち止まる。先ほどと同じように、なるべく距離を取るようにしながら、横道の先を覗き込んだ。

「あ、近づいて来そうだよ」

 リックが正面に見えているゴーレムを指さした。ゆっくりと足を上げて、冒険者たちの方に一歩踏み出そうとしている。

「こっちにも居るぞ。今度は結構近い」

「えー?」

 ユンもヴィクターに追いつき、左側を覗いていた。ティムが早口で告げる。

「次の角も見てみましょう。そこもダメだったら一度入り口に戻ります!」

「了解!」

 少し先にある別の横道へ、ヴィクターは向かう。その先を確認すると、他のメンバーに手招きして横道に入って行った。

 リックは彼を追いかけながら、ひらひらと飛ぶティエルにちらりと目をやった。不安そうな顔をしているものの、何か危険を感知している様子は無い。

(うーん、反応してないのかな)

 これだけ魔物が居るのに不思議だ。彼女の能力は、働くときと働かない時の差が激しいようだ。何か基準があるのかもしれないが、よく分からない。

 少し進んだところで、一行は立ち止まった。今いる道は、奥の方で突きあたって左右に分かれている。

「後ろも気にしておきましょう。さっきのやつがこっちに来るかもしれません」

「そうだね」

 リックは後ろを振り返った。なかなか神経が削られるダンジョンだ。追い詰められないように、逃げ道のことは常に考えておかなければならない。

 このダンジョンが、特に駆け出しに近い冒険者に人気なのは、実力がさほど影響しないからだ。トラップも無く、敵からは逃げるしかない。あのゴーレムを倒せるほどのパーティなら話は別だが、それならそれでもっと儲けのいい仕事があるだろう。

 人気とは言っても、危険度は決して低くない。ゴーレムに狙われてしまったときにどうやって逃げるかが問題だ。ティエルの魔法があれば、一度は対処できると考えているが……。

(あんまり頼りすぎても駄目だよね)

 全ての魔物に必ず効果があるとは限らない。あらかじめ試しておくというのもなかなか難しい。

「両方居ないぞ。どっちに行く?」

「それなら右へ」

 ヴィクターは偵察を終えたようだった。ティムの指示で、先へ進む。

 一行は、ゴーレムを上手く避けつつ順調に奥へと進んでいった。昼の休憩を挟んで、ようやく未探索の地域へと足を踏み入れる。

 このダンジョンはやたらと広く、多くの冒険者が探索しているのにも関わらず地図が埋まっていない場所がたくさんあった。今までの成果から考えると、まだまだ魔道具が眠っているはずだ。

「ここからが本番ですか」

 ティムがため息をつく。この先は自分たちで地図を書いていくことになる。このパーティではティムの仕事だ。

「間違えないように頼むぞ」

「分かってますよ」

 見える範囲で道を書き足して、先に進む。ここからは、ゴーレムを確認する時間に加えて、図を書く時間もかけなければならない。探索のスピードは急激に落ちた。

「お」

「また居ましたか?」

 曲がり角を覗いていたヴィクターが声を上げる。ティムは眉を寄せて、自分が書いた地図を見返した。前に分かれ道に出会ってからかなり時間が経っている。この先が通れないなら、かなり戻らなければならない。

「居るといえば居るが、もう死んでるっぽいな」

 角の先には、手足が千切れたゴーレムの残骸があった。ヴィクターたちは慎重に近づいたが、全く動く気配はない。

「魔石が残ってますね。割れてますが……」

「冒険者が倒したんじゃないのかな?」

 魔物の胴体は、何かに殴られたかのように大きくへこんでいた。胸元についている魔石は砕け、地面に散らばっている。価値はかなり下がっているだろうが、売れなくはない。冒険者なら回収していきそうなものだ。

「ゴーレム同士で殴り合ったんじゃないか」

「同士撃ちはしないと資料に書いてましたよ」

「魔法を使って誘導したとか?」

「それはあるかもしれませんね」

「分けやすくていいね」

 ユンが魔石を拾い集めて、全員に配っていた。ティエルはきらきらした目でそれを見ている。

(いいお土産にはなるかな)

 リックは心の中でつぶやく。

 さらに進むと、一定間隔で右への分かれ道が続いている地帯に出た。確認しながらゆっくりと進んでいったが、面倒なことこの上ない。

 どうやら、格子状に道が広がっているようだ。巨大な広間に太い柱が大量に立っていると言った方がいいかもしれない。

「なあ、別の道を行かないか? やってられないぞ、これ」

 五本目の分かれ道を過ぎたところで、ヴィクターが提案した。ティムが苦い表情で答える。

「いいですけど、相当戻ることになりますよ」

「もう走って奥まで行っちゃわない? 飽きちゃった」

 ユンはそう言うと、欠伸を漏らした。

「そうだな……全員で左側の壁際を歩けば、確認してもしなくても大して変わらないんじゃないか?」

「うーん、言われてみれば。そうしてみますか」

 ティムも彼らの意見に同調する。リックは若干不安だったが、反論はしなかった。

(大丈夫かなあ)

 壁に体をつけながら、全員で前に進む。ティムは地図を書いてはいなかったが、曲がり角の数だけは数えているようだった。

「…うお」

 先頭を歩くヴィクターが、不意に立ち止まった。右の方を見て目を見開いている。

 リックもその先を覗き込むと、分かれ道の先、かなり近くにゴーレムが立っていた。あともう少しこっちに来たら、感知されてしまうだろう。

 ティムが無言でヴィクターの肩を押す。ゴーレムは音が聞こえないので意味はないのだが、一行は何となく忍び足で先を急いだ。

 ようやく格子状の地帯を抜け、一本道に出る。全員示し合わせたかのように立ち止まって、ため息をついた。

「やっと楽な道になったな」

「でもああいうところの先に財宝が眠ってたりして」

「そういうのは、もっとベテランの冒険者に任せましょう」

 若干気を緩めて、再び歩き出す。分かれ道も曲がり角もなく、黙々と進んでいくことができた。やがて、道の先に大きな扉が見えてくる。

「これは期待できるんじゃないか?」

「私が見ます」

 ティムが軽く調べた後、ゆっくりと扉を開く。全員が先に進むと、そこは大きな広間になっていた。

「壮観だな」

「確かにすごいけど……持って帰れないね」

 広間の壁は、絵と文字で埋め尽くされていた。お話にでもなっているのか、絵と文字は交互に並んでいる。絵は主に、戦いの場面が描かれていた。剣や杖を持った人物や、ドラゴンらしき魔物が配置されている。

「なんて書いてあるんだ?」

「分かりませんね。見たことが無い文字です」

 ヴィクターの質問に、ティムが首を振る。少なくとも、今使われている文字ではないようだ。

 各々が部屋を歩き回って、壁画を眺めていた。リックとユンは、入り口のすぐ脇から見始める。そこがストーリーの最初らしく、鎧を着た青年が剣を掲げている。

「これ、割って持って帰ったら売れないか?」

「割るのも持って帰るのも大変ですよ。ここの情報をギルドに売れば、少しはお金になると思います」

 ヴィクターとティムは、最も大きなドラゴンの絵が描かれた辺りで何やら話していた。一方のユンは、文字の書いてある部分をじっと見ているようだった。

「ユンさん、これ読めるの?」

 リックが尋ねると、ユンが顔を向けてくる。

「ううん?」

 彼女はふるふると首を振って、また同じ場所に視線を戻した。リックもその部分に目をやる。読めなくて面白いのかなあ、と首を捻った。まあ、一種の綺麗な模様に見えなくもない。

 ティエルはさっきから、ふらふらと飛び回っていた。壁画のいろんな部分を見て、首を捻っている。

「今日はここで寝るか。明日他の場所を回ってみよう」

「うん」

「はーい」

 ヴィクターの提案に、リックとユンは賛同する。四人で協力して、夕食の支度を始めた。


 次の日もダンジョン内を探索したが、目ぼしいものは何も見つからなかった。壁画の部屋でもう一泊してから、リックたちは帰ることにした。宿屋でさらに一日泊まって、村を出る馬車に乗った。

 エルシェードの冒険者ギルドに戻ると、四人は早速壁画の部屋の情報を売りにいった。絵の内容や書かれた文字の写しを見せる。

 ギルド職員は、話を聞いて難しい顔をしていた。一度奥に行って、何事か相談してた。しばらく待たされた後、リックたちに笑顔で告げる。

「大変興味深い情報です。金貨二十枚でいかがでしょう」

「えっ、二十枚?」

 リックは思わず声を上げた。ギルド職員が眉を寄せる。

「不満ですか?」

「いや、僕は……妥当だと思うけど。みんなは?」

 仲間たちの方に目をやる。正直言うと、もっと安いと思っていた。

「俺は不満はない」

「私もです」

「任せるー」

 全員の意見が一致したようだ。情報代を分配して、四人は別れた。

 リックは宿の自分の部屋に戻ると、ベッドに腰を下ろす。ほぼ無収入かと思っていたら、案外稼げてしまった。

「結構高く売れたね。ああいうのって価値あるのかな」

 古代文明の研究だか何だか。リックには理解できない世界だ。シニスになら分かるんだろうか。

「あっ!」

 突然、ティエルが何かを思い出したかのように声をあげる。リックは少し驚いて、彼女に目を向けた。

「どうしたの?」

「わたしが置いてたところに、あの文字書いてたよねー?」

「え、ほんと?」

「たぶん」

 魔剣ティエルが置いてあった祭壇のことだろう。何か複雑な模様が刻まれていたような記憶はあったが……。

 追加でギルドに情報提供してもいいかもしれない。ヴィクターたちに今度提供してみよう。

「食事にしようか。あの魔石今日食べるよね」

「わーい!」

 視界に移る少女の姿が、くるくると踊る。リックは口元を緩めて、準備を始めた。

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