第77話 波音
バクバクする心臓を左手で押さえながら、玄関を飛び出た。 庭にも、通りにも彼女の姿はない。陽はすっかり暮れていた。冬の到来を知らせるような風が、上空でごうごうと渦巻いている。鉢植えのシクラメンが、凍えるように風に惑っていた。
くそっ、どこへ行ったんだ。
門は閉まっていたが、錠は落ちていなかった。まさか、外へ行ったんだろうか。門を押して通りに躍り出た。冷たい風は容赦なく吹き付ける。
海か、
心当たりはそこしかなかった。
祈るように走る。走りながら祈る。もう一度、彼女の姿を見たい。
ぼくは無神論者だが、もしも神がいて、ぼくの祈りを聞き入れてくれるなら、そいつに跪いてもいいと思った。海沿いの景観のために植えられた、巨大なヤシ植物が風に揺られてしなっている。硬い葉が風を受けてバサバサと音を立てた。砂浜に目をやる。人影はない。ぼくは浜沿いをひたすら駆け抜けた。運動不足のせいか、節々はもう悲鳴を上げている。それでも足を止めるわけにはいかなかった。
しばらく行くと波止場が見えた。河口を切り拓いた小規模な埠頭には、幾つかの船舶が停泊している。荒い波が船体を揺らした。
暗闇に目をこらすと、波止場の上に、人影が揺れる。荒い息を必死で整え一直線に走った。
「待て、待って!!!」
叫んだ瞬間、影が振り向いた。長い髪が顔を覆う。
ひゅー、と、細い息が口から漏れた。コンクリの上を、ひた走る。
「行かないで」
そう叫んだ瞬間、人影が海面に消えた。
ドボン、と間抜けな音がする。
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