5 演技と本気 -副産物

 突然、十兵衛ちゃんが起き上がった。


「なっ……! お前、何で……狸寝入りだったのか!」

「バカだね、あたいは猫だよ」

「そういう意味じゃ――」

「粋ですねぇ! 寧さんの喜びようったら……あたし、泣けてきましたよ」


 はらだしも起き上がる。


「お前までっ!」

「オレは、気に食わないけどな。オレの方が、もっとすごいことができるんだからな。でも、まあ、寧が喜んでるなら、それでいいけどよ」


 サトリもムックリと体を起こし、赤鬼は頭だけ上げた。


「寧、よかったな」

「みんな、起きてたの?」


 私は目を丸くした。


「当たり前だろ? あれくらいで酔い潰れるかよ」

「人間と一緒にされちゃあ、困るね。こちとら、飲んでる年季が違うのさ」

銀治ぎんじさんが、帰ろうとなさるもんですからねぇ。お引止めしないと、感動の場面に主役がいないなんて、もったいないじゃないですか」

「そうさ、そこんとこ野暮だよねえ。あたい達がいなけりゃ台無しだったよ。でも、肝心なときにゃあ、あたい達は舞台からけてた方がいいだろ? この加減が難しかったね。まあ、寧ちゃんのあの笑顔で苦労も吹き飛んだけどさ」

「銀治のためじゃないぞ、寧のためだぞ。そこんとこ分かっとけよ」

「寧、よかったな」


 一杯食わされた銀ちゃんは、開いた口が塞がらなかった。

 私はもう、苦笑いするしかない。


「終わったんだな。ならば飲み直しだ」


 そこで、青行燈が居間に入ってきた。


「あれ? どこ行ってたの?」

「我は寝たふりなどと、うつけなことはせぬ。客間で本当に寝ておったわ」

「あ……そう……。だよね……」


 その割には絶妙のタイミングだね、などとは言わない方がいいだろう。


「でもさ、十兵衛ちゃん。銀ちゃんを脱がす必要は……なかったよね」


 これだけは、意味が分からなかった。


「ああ、それはホントに、あたいの目の保養のためさ。近頃の男どもは、ろくなのがいやしないからね。銀治は美味しそうだろう?」

「あ、はは。そう…………」


 忘れよう。

 ただ、十兵衛ちゃんのその行動のお陰で、見えてしまったものがある。それは、忘れられなかったみたいだ。落ち着いてくると、脳裏に浮かぶ。


「銀ちゃん、胸の傷……痕……残っちゃったんだね」

「あ……ああ、まあ、ちょっとだけな。気にするな。今さら傷のひとつや二つ増えたところで、大して変わらん」


 やっと我に返った銀ちゃんが言った。


「それ、ちょっとじゃない。ひどいよ……」


 背中にあんな傷があるのに、胸にまで大きな傷を残してしまった。

 見てしまうと……ショックだった。


 それに、あとになって悔やんだことがある。

 十岐はビーを助けたときに、大地の力を「誰かに分け与えられる」と言っていた。誰か、つまり……相手が人でも。

 もしあのとき、私が冷静になって大地の力を思い出していたら、銀ちゃんはあんなに苦しそうに運転することも、ひょっとしたら傷痕だって、こんなにひどくは残らなかったのかもしれない。

 上手くコントロールする自信はないし、私自身がひどい状態になるリスクの方が大きかったかもしれない。やろうとしても、できなかったかもしれない。あのときは、まだ銀ちゃんが里の人間だと知らなかったし、そんな異常なことは、やってはいけなかったのかもしれない。

 それでも、悔やんだ。今となっては、何もかも、もう遅いけれど。


「いや、寧のせいじゃない。俺が――」

「そうだ、寧のせいじゃないぞ! 銀治、お前今、化膿しなかったらもっときれいなはずだったって思っただろう! 何てやつだ、お前のせいじゃないか! それにお前、寧が知ったら悲しむと分かってたな! 見られなければ問題ないって、高をくくってたんだな! それを見られやがって! どうすんだよ? 寧に何してやるんだ? こうなったら、ピアノだけじゃ足りないぞ」


 割って入ったサトリが、どうだ言ってやったぞ、とばかりにふんぞり返った。


「何で、お前が出てくるんだ。ったく……分かったよ。今度、オーケストラでも聴きに連れてく。俺が横で寝てても、文句がないならな。それから、傷痕は、もっと時間がたてばもう少しマシにはなる。だから、そんなに気にするな、頼むから」


 銀ちゃんが困っていた。


「ん…………分かった」


 私は、少し笑った。

 決して、オーケストラに釣られた訳ではない。いや、決して。

 なぜなら、オーケストラには基本的にピアノは入っていないから。

 まあ……できたらその……ピアノ協奏曲を、お願いしようかな……と。


 その日、アルコールが抜けるまで車に乗れない銀ちゃんは一日中、家にいた。

 一緒にご飯(和食)を食べて、新しく覚えた曲を聴いてもらって、またいっぱい話もして、私にはそれがいいクリスマスプレゼントになった。家にはツリーもないし、クリスマスの「ク」の字もないけれど。

 とりあえず、今日は、妖怪たちに感謝。

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