13 明かされる -背中と胸

 急に肩透かしを食らって、ポカンとする。

 渡されたのは、薄いフィルムか紙のようなものだった。


「……何これ」

「わしが作った保護膜だ。治りが早まる」

「そうなんだ……あ」


 言いながら、視線を転じて驚く。

 傷の状態が、明らかに良くなっていた。

 校長は、手を差し出す。


「貸してくれ。自分でやる」

「そうだな、前は自分でもやりやすいだろう。寧、後ろへ回りな」

「なっ! ばあ様、あんた……!」

「責任を感じている人間に手伝わせもしないなんて、殺生なことを言うつもりじゃないだろうね。それに、忘れたのかい? 寧はあまねの子だ。何があったか、いずれ自分で『見える』ようになる。あとからもう一度蒸し返すより、今の方がいいのさ。寧のためだ」


 私のためというその言葉が効いたのか、校長はもう何も言わなかった。


 何だ? 何があると言うの?

 十岐が目で促すのに従い、緊張しながら校長の背後へと回る。そして処置をするため、肩に羽織っていたジャケットを取った。


「あっ」


 その背中には、右肩から左の脇腹まで、袈裟懸けに大きな傷痕があった。

 それこそ命に関わるような、ひどい傷痕が。


「何してるんだい。そのままだと銀治が服を着れないよ。寒いだろう」

「あ……う、ん」


 傷は、それだけではなかった。胸やお腹と同じように、背中にも腕にも、小さなものを合わせれば無数にある。

 包帯を巻くのを手伝いながら、筋肉に合わせて動くそれらから、私の目が離れることはなかった。


「手間をかけたな」


 包帯を巻き終わると、校長はシャツを羽織りながら言った。

 やっぱり、私を見ないままだった。


「ううん……」


 これは、一体……?

 計りかねて十岐を見る。

 座れと、その目が言っていた。


「続きを話そう。銀治がわざと逃がしたとは、そのときは誰も分からなかったが、組織の中では大きなしくじりだったのさ。それは、櫂の怒りを買った。そのすぐあとだ。追い詰められていたお前の父が、衝動的にこの地を出たのは。丁度、大きな失敗のあとで、だんの動きは止まっておった。げきは弾の動き次第で守り方を変えておったし、撃にも関わりたくないというお前たちの気持ちを優先して、離れて見守ることにしたのさ。父は、ある程度自由に動けるときだったんだよ。関東から出てはならないことに十分、理解を得られていると思っていた撃は、そうなったときの手立てを用意しておかなかった。連れ戻すため、銀治は櫂に無断で丸三日、消息を絶つことになってしまったんだ。このことを知っていたのは、撃側と銀治だけだった。こやつは、どうもそういうところで上手く立ち回れない性格らしいね。帰ったあと、事態を知らず怒り狂う櫂に、自分から話したのさ。その前にわざと逃がしたことも、全て。自分は裏切った、とな」


 怒り。裏切り。背中の、傷。

 まさか……


「争いを止めたかったんだよ。傷つけ合うことも、お前を父から奪うことも、何ひとつお前のためにはならない。間違っていたと、そう訴えたのさ。だが、櫂の怒りは頂点に達しており、弾の者すべてが銀治を許しはしなかった。制裁という名の、袋叩きに遭ったんだ」


 ドクン、ドクン。

 自分の心臓の音が、鼓膜に響く。


「銀治は抵抗をしなかった。やがて動かなくなると、みなは手を止めた。意識を失っていると、誰もが思ったろうよ。だが、そんな状態でも銀治は、うわごとのように櫂に訴えたんだ。それが櫂の怒りに、さらに大きな火をつけることとなった。銀治の背中の傷は、櫂が刀で斬りつけたものだ」

「うそ……」


 声が出た。

 嘘ではないと、分かっていた。

 分かっていても、体が、心が、拒む。


「弾の者たちは動けずにいた。斬った櫂自身も放心状態だったよ。誰も、殺すつもりなどなかったんだ。だから、このことがきっかけで争いは終わったのさ。虫の息だった銀治は、わしがこの家に引き取って治療した。しばらくここに住んでおったよ。見てみろ、生きて確かにそこにおるだろう? そこから、お前が凪子の言葉を思い出すまで、わしらはずっと待っておった。まあ、そういうことだ」


 そう、十岐は締めくくった。


 動けなかった。

 自分が息をしているのかどうかさえ、分からなかった。

 私のせいで、人が死にかけた。

 みんなが傷ついた。

 父はきっと、一生を台無しにした。

 私がいたばかりに。私が、あまねの子だったばかりに――――


「寧……。寧……」


 沈黙を破る微かな声がして、私の顔はその方向に動いていく。


「寧……」


 校長が、私の名前を呼んでいる。

 歪めた顔が、泣きそうに見えた。


「誰も、悪い訳じゃない。誰も……櫂さんだって、一生懸命だっただけだ。それだけだ。誰のせいでもない。お前は、誰も不幸になんてしていない。俺は……お前がこうして目の前で、元気な姿でいてくれるだけで……幸せだ。だから…………そんな風に泣かないでくれ…………」


 自分が涙を流していることに、気づかなかった。

 校長は側に来て、私を抱きしめた。

 私はその胸で、声を上げて泣いた。

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