3 和らぐ

「何で宇田川先生にあんなこと言ったの? わざと挑発するようなこと」


 囲炉裏を囲んでの夕食中、十岐に聞いてみた。

 次々と食べ物を頬張りながら、妖怪たちは珍しくも静かに聞き耳を立てている。茶々を入れたりしたら、また私が貝になるとでも思っているのかもしれない。


 メニューは、栗ご飯に牛肉のしぐれ煮、焼きナス、焼きしいたけ、春菊のおひたし、戻り鰹のたたき、里芋の煮っころがし、生麩の入ったお吸い物と、秋の味覚満載。食べ物の味を感じることは、生きている心地を実感することなのだと、改めて身に沁みた。

 今日はどれも大人の舌好みの料理で、日本酒でも欲しいくらいだけど……

 それはやっぱり自粛する。


「わしは、本当のことしか口にしておらん」

「いや、それはそうなんだけど、あんな言い方しなくても……」


 十岐が、まっすぐに私を見た。


「お前こそ、なぜ嘘をついた。これから被害を免れるとでも思ったのかい」

「……まあ」

「無理だな、お前は憎まれておる。あれは性質たちが悪いぞ。半端に逃げたりかわしたりし続ければ、どんどん負の感情を増幅させる。そうなる前に、正面切った方がいいのさ。これで、傷害沙汰まで行くことはないだろう」

「傷っ……そんな! 学校の先生が、そんな訳……そ、それに、何で私が!?」


 傷つけたくなるほどのひどいことを、私がやったのだろうか。

 記憶を辿ってみても、覚えがない。


「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」

「はああ!?」


 思いっきり顔を歪めた私を、全く意に介さないように十岐は続ける。


「お前の担任が本当に憎んでいるのは、東京という場所だ。若い頃に夢を持って上京し、ボロボロになった。プライドの高さから、失敗した経験をなかったことにしているが、東京という言葉に恨みや妬みの感情がわくんだろうよ。だから、東京から来たお前が憎い。簡単に言えば、そういうことだ」

「ああ、何だ、そういうことか。そういえば、初日から何か妙な感じだった……って、そんなことで!? じゃあ、私はとばっちり――」

「そういうことだな。珍しいことじゃないが、お前にはいい経験だ。人という生き物がどんなものか、良いも悪いもちゃんと肌で感じな」


 肌で感じる、って言ったって……


「……これから、どうしたらいいの」

「様々な人と関わり合い、考え、感じる。これからお前がすることはこれだ。お前が今までずっと避けてきたもの、決定的に足りないものだよ。これは、あまねとして生きるにはどうしても必要なのさ。向き合うんだね。担任にも、子どもたちにも。自分にも」


 面倒な。そう、思った。

 そんなことより、私には他に考えることがある。

 もっと、私の中を占めているもの。


「あのさ」


 聞いていいものか迷い、意を決めた。


「おばば、あまねが長生きする秘密を……長に言わせた……よね。…………何で?」


 あの日から刺さったままの、小さな棘。ずっと抜けずに、チクチクしていた。

 どうして、あまね本人である十岐が言わなかったのか。事前に十岐から聞いていれば少しでも覚悟が持てたのにと、思わずにはいられなかった。

 長からあの言葉を聞くことによって、私は里にいられなくなってしまったのだから。


「ああ、嫌な役をさせてしまったな。だが、長も分かっておる。必要なことだった」


 十岐は、私を見つめた。


「お前があの事実を受け入れられんことは、分かっておった。無理もあるまい、二十五年も何も知らずに生きてきたんだからな。いきなり人の命で数百年を生きながらえる身だと言われれば、己を呪いたくもなろう。居たたまれなくもなろう。だから、お前は里から逃げ出した。もしも、わしがそれを言っておれば、どうなった? 里から逃げ出したように、この家からも逃げたくなったに違いない。この家に居場所がないと感じたに違いない。だが、そうなったらどこへ行くというんだい。お前には、行く当てなどない」


 大きな音をさせて、呑み込んだ唾が喉を落ちていった。


 本当だ。もしも十岐の口から聞いていれば、私は、この家にいられなかった。聞かされた話だけではなく、十岐も、十岐のいるこの家も、全てを拒絶していただろう。

 たとえ十岐が、私が頼れる、ただひとりの人だったとしても。


 そして、家を出てもどこへも行けず、小さくなったこんな体で、ひとりではどうしようもなくて彷徨い歩いて、途方に暮れて……

 そうなったら、私は一体、どうなってしまっていた――――


 考えるのも、怖かった。


「わしの口からは言わないこと、それは、わしが用意したお前の逃げ道だ。逃げ道は、それ自体が悪いものなんじゃない。前を向くために、時には必要なこともある。それに、里の女の命が実際にあまねに注がれているのかどうか、本当のところは分かっていないんだよ。解明された訳ではないからな。無理に受け止めなくていいさ」

「…………うん」


 たとえ気休めでも、ありがたかった。


 今日も夢を見た。

 母の夢。母に手が届かない夢。

 そしてまた、飛び起きた。

 だけど、夢の中でついさっき見た母の顔を思い出すと、今までより、ほんの少しだけ和らいでいたような気がした。

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