12 明かされる -猫

「里には『げき』という長直属の組織があってな。あまねを守るため作られたものだが、表には立たず、ほとんど秘密裏に仕事をこなしておる。凪子が亡くなり、残されたお前たち親子に話をしに行っていたのは、この撃だ」

「組織……って……」

「ああ、どこかにあるような危ない集団ではないぞ。心配するな。能力の高い者が集められているが、暴走することがないように、歴代の長によって統率されているからな。撃はおよそ二年かけて、お前の父に話し合いに応じるよう働きかけておった。お前の父も、少しだけ心を開いてきていたんだよ。ようやく道が開けそうな、その矢先だった」


 膝をつかむ手に、汗がにじんだ。


「お前が普通の子ではないということは、お前の父にも分かってきておった。何をやっても、その能力の高さは抜きん出ていたからね。戸惑いもあったが、父親としては喜びの方がまさっていただろう。だがあるとき、お前はピアノを弾いてしまった。それまでピアノなど触ったこともない五歳の子どもが、いきなりプロのような演奏をしたんだ。人の目があるところだったから、神童と騒がれたのさ。話したこともない近所の人間たち、噂を聞きつけた音楽関係者の勧誘、ネタを求める新聞やテレビ局などのマスコミまで、連日のように家に押しかけた」

「え……ピアノ? ……神童……?」


 全く、記憶になかった。


「覚えていないだろうよ。トラウマとなり、忘れることで自分の心を守ったんだからな。父親は、パニックになった。お前のあまりにかけ離れた能力に慄き、さらに大きく騒がれたことで、それまでひっそりと続けてきた生活が壊れると思ったんだ。住んでいた場所から、夜逃げ同然に引っ越した。そしてお前に、二度とピアノは弾くなと怒鳴ったのさ。ピアノだけじゃない、目立つことは絶対やるな、とな。褒められると思っていたお前は、その尋常じゃない父の様子にショックを受け、以来、別人のように大人しくなってしまった」


 分からない。そう言われても、何も思い出せない。

 私は、怒鳴られたことなんて一度も――


「それはもちろん、ただのきっかけでしかない。七歳までにわしの下に来なかった場合、その先、お前が本来の自分を失っていくことに違いはなかったからね。だが少なくとも、五歳のお前は、もっと生命力に溢れているはずだった。そして、そのことを知ったかいのたがが外れたんだ」


 ガチャンっ。

 コーヒーカップが揺れて、中身がこぼれる。

 片手をついて身を乗り出した校長の顔が、苦しげに歪んでいた。


「櫂さんは――」

「黙ってな。下手な庇い立ては、かえって事を悪くする」


 十岐は、校長を突き放した。


「櫂……櫂伯父さん……? お母さんのお兄さんの」

「そう、あの櫂だよ。当時、櫂は『だん』を仕切っていた。弾は、十二歳から二十五歳までの若者の組織だ。子どものうちから優れた要素を持つ者を集めて鍛え、中でも選ばれた者が弾に入ることを許される。そして弾の者は、ほとんどがその後、げきに属することになるんだよ」


 子どものうちから……?

 そんな話は、私には異様としか思えない。

 閉じられた里の、特殊な組織。

 漠然と感じる、恐怖。


「櫂はずっと、怒りを押し込めておった。病弱な妹を奪われ、いつまでたってもお前は里に戻ってこない。それでも堪えて待った結果、お前は傷ついた。そう思ったんだ。あやつもまだ若く、血気盛んだったからね。そしてそれは、同じように若い弾の者たちの思いでもあった。みな、上の者のやり方を生ぬるく感じておったのさ。櫂の指揮の下、とうとう弾は強硬手段に出たんだ。そこに銀治もいて、まだ十五歳だったが、すでに主力となっておった」


 校長が、そんな組織に……。そう、だったのか、だから…………

 つい数日前の常人離れした様子が、脳裏に蘇る。

 あのときは動転していて分からなかったけれど、人を気絶させるのだって、やろうと思って簡単にできる訳じゃないはずだ。しかも、刃物を持った相手に躊躇なくなど。


だんがお前を奪おうと動けば、げきが親子を隠す。情報戦になった。撃が無理やりにでも止めようとしなかったのは、若くとも弾は実力があったからだ。幼い頃から、あらゆる修練を積んでいる。ぶつかれば、双方に多数の犠牲が出ることは明白だった。それに何より、寧を想うが故のことだと分かっておったからな。何とか説得して収めようとしたのさ。撃がやはり弾より一枚上手だったこともあるが、これは里の問題だ。よって、わしは口を出さなかった。いずれ、火は小さくなるだろうと思っておった」


 ドタンっ。

 そこでまた天井から音がして、緊張していた体がビクっと反応する。


「…………ン、ニャー」


 今度は猫? どうやって入って……


「おやまあ、ご苦労なことだね。ネズミ退治かい。だが……次は叩き出すよ」


 十岐が凄むと、怖い。

 猫にもそれが分かるらしく、天井は凍ったように静かになった。


「やれやれ、続きだ。予想外だったのは、そのうち銀治が撃の動きを読むようになったことだな。少しずつ、先んじるようになったんだ。最初は誰もがただの勘だと思っておったし、寧の周りを固めるのは撃の大勢の猛者たちで、単独で動く銀治にはさすがに破ることはできなかった。だが、櫂が銀治の力を認めて自分の右腕としたときから、弾は化けたのさ。それから、多くの負傷者が出るようになった」


 多くの、負傷者。

 過去にも私のせいで、誰かが傷ついていた。


「そんな日々が続いたあと、あるときから、銀治は疑問を持つようになったんだ。父親にしがみつき、怯えた目でお前が見ているその相手は、父から引き離そうとする自分たちなのだと悟ったときからね。正しいと信じていたことが、本当にそうなのか分からなくなったんだな。そして、初めて弾に決定的な機会が巡ってきたとき、銀治はお前たちを逃がした」


 初めてのチャンス。

 それをのがしたら……わざと逃したら……

 何が、待っている――――


「そろそろいいだろう。寧、これを銀治の傷に当てて、その上から包帯を巻いてやれ」

「え?」

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