第43話 失われた街

 日暗には忘れられない記憶がある。

 白爆投下を目撃したことだ。


 4年前、地上研修に行った当時、日暗は空色職人学校の講師であった。同時に黒い絵の具を隠している黒い部屋の鍵を管理していた。黒色は元来、地上の色だという研究報告に関心を抱き、研修に赴いた。


 日暗の乗った高空機は、地上の門から最下層の地盤を抜け出した。角膜の外の空は鮮やかで、広く、そして美しかった。

「これが本当の空か」

「地上から見上げれば、もっと気持ち良いですよ」

 パイロットの佳也も清々しい様子だった。


「佳也さんはいつからここの操縦士になったんですか?」

「実は今年からです。ああ、高空機は初めてではありませんから、安心してください」

 佳也は霧絵の具の輸送機を飛ばしていたが、最近、地上の門に就いたそうだ。


 地上を見渡すと、大地に描かれた白い円を発見した。

「あれは何なんですか?」

 佳也は急に声を落とした。

「戦争で破壊された地域です。あそこは行ってはいけません」 

「酷いんですか?」

「ええ。忘れられませんよ」

 まるで戦争を経験したかのような言い方だった。


 白い円が見えなくなった後、佳也は何かを発見し、青ざめた。

「戦闘機だ」

 高空機はもと来た方へ急旋回し、スピードを上げて退避した。日暗が背後を確認すると、遥か遠くに機体が飛んでいた。ボディーに赤いバツが3つ描かれている。地上の高空機か?


 戦闘機から何かが落とされた。

 次の瞬間、視界が真っ白に発光した。

 2人の高空機は激しく吹き飛ばされた。佳也は必死で操縦桿を握り、嵐のの中をかいくぐる。あの時、佳也の判断が遅ければ、墜落していたかもしれない。


 ようやく飛行が落ち着いた頃、天高く白い煙が立ち上っていた。佳也と日暗はしばし呆然と見つめていた。煙が散ると、大地には白い円が刻まれていた。

「白爆......」

 つぶやいた佳也の顔は蒼白で、唇は震えていた。

「大丈夫か?」


 佳也は1度口を結び、打ち明けた。

「あの土地はわたしの故郷です」

「故郷? じゃあ、あなたは......」

「わたしは地上の人間です」

「家族は?」

「妹が、あそこにいます」


 佳也は天を仰ぎ、深く息をついた。

「戻りましょう」

 日暗は新たに築かれた円と佳也を見、首を横に振った。

「いや、このまま降りよう」

「だめだ!」

 佳也は怒声を上げた。日暗は黙っていた。


 佳也は冷静になると、頭を下げた。

「すみません。ただ、あなたを巻き込みたくないんです。今降りるのはとても危険です」

「おれは地上を知るために来たんだ。ありのままの地上を見るために。それから、妹さんを捜しに行きます」

「日暗さん......」 


 佳也は地上に降りることは認めたが、爆心地近くに着陸するのは断った。

「白爆の破片に当たると、白い灰になってしまうんです。風に流されてくるものにも注意しなくてはいけません」

「白い灰……?」

「どうかしましたか?」

「いや、何でもない」


 日暗は白爆とよく似た特徴を持つ、白色結晶のことを知っていた。黒い空の修復のために製造、保存されていた。学校でも1つ持っている。

 日暗は自分の運命が大きく変わっていくのを感じていた。


 佳也は地上の門に戻らなくてはならない。本来、緊急時に人を降ろしてはいけない。佳也が帰還しなければ、管理人に悟られてしまう。

「妹をよろしくお願いします。ですが、御身を大切にしてください」


 日暗は1人、地上に降りた。佳也との約束通り3日間待ち、白爆投下地へ向かった。

 地上に降りた3日後、白爆が落とされた佳也の故郷に向かった。道の途中、被害者の治療をする救済所と巡り会った。立ち並ぶ急ごしらえのテントは、治療を待つ人や寝転がる重傷患者でいっぱいだった。異様だったのは、誰もが顔を隠し、下を向いていることだった。白爆に晒された人たちは光を怖れていた。


 テントのひとつひとつを覗き、佳也の妹を捜し回った。丸1日掛かって、ようやく同じ街に住んでいたという一家と出会った。一家は偶然にも遠出していて助かったそうだ。布を被った彼らはささやくように会話した。

「カヅノの娘さんね。あの後、誰も姿を見ていないわ」

「母親を診ていた医者に付いて、戦争で独り身になった老人や子どもの世話をしていたよ」

「家族を亡くなってしまった代わりに、みんなに親切だった」


 山奥の村に出向いていたなら、生きているかもしれないと言う。日暗は礼に水を渡し、その村を目指した。夜、日暗は救済所へ避難する人々の行列とすれ違った。中には足をなくした人や背中全体に火傷を負った子どももいた。痛々しい身体を放っておけず、できる限りテントへ送り届けた。


 手を貸した中に、目的の村の者がいた。その日のことを尋ねると、佳宮は訪れなかったそうだ。しかも、村は灰地になったという。確かめに行くと、山の岩壁も人家も白く削られていた。


 それから白爆投下地に辿り着くのに3日掛かった。最初は佳也が余程、慎重な性格なのだと思っていたが、それだけ脅威の兵器なのだと今なら分かる。

 街だったはずの土地は、見渡す限り白い灰と化していた。先に訪ねた村と違って、形があるものはほとんどない。鳥の声も、木の葉が擦れる音もない。最後には塵が落ちる微かな音さえなくなった。


 行く先に全身真っ白な人物が立っていた。近付いて肩に手をかけると、目の前でばらばらと崩れ落ちた。一瞬の出来事だった。

「何するのよ!」

 背中を泣き叫ぶ女の声が突き刺した。日暗が触れたのは、彼女の大切な人の亡骸だったのだ。


 その後、日暗は周辺の地をさまよった。白爆の被害者は夜に活動すると分かり、昼と夜と同じ土地に足を運ぶことにした。闇夜に出会う生存者の目には、生気がない。これが地上の現実だ。

 見上げた空はこの静かな地に関係なく、移り変わっていく。自分がいたはずの天上の存在が遠い。

 白爆を知らずに生きていたことを、何より恐ろしく感じた。


 日暗は川の音、風で揺れる葉の音が聞こえると、自然、そちらに足を向けた。日常耳にする音にどれだけ安心することか。その夜は初めて耳にした、ざざあという雨のような音に引き寄せられて歩いた。目の前に月を映した水面が広がっていた。

 最後の記憶は近くの洞窟へ入ったことだった。


 日暗が目を覚ますと、ぽつぽつと水の滴り落ちる音が響いていた。薄暗さに目が慣れてくると、そこは洞窟だった。記憶を辿れば、確かに水辺の穴の中へ入った。布を掛けられ、枯れ草の上に寝かされていた。

「大丈夫ですか?」

 目の前に黒装束の女性がいた。白爆の被害者だろう。顔の左半分に火傷を負っていた。


 倒れたところを助けてくれたのだろうか? 上体を起こすと、歩き回ってきた疲労は不思議と消えていた。

「あなたは黒い霧に当てられたのです」

「黒い霧?」

「この洞窟の奥にある、黒い石から発生する霧です。慣れていない人は眠ってしまいます。少量は疲労回復になりますが、いきなり多量に吸い込むと、返ってだるくなります」

 黒い石、もしかすると、地上だけに存在するという黒色の霧絵の具、それも、黒色結晶のことではないか。白色結晶は人工的に造られるそうだが、黒色結晶は自然の中で形成されるのか?


 彼女は液体の入った器を差し出した。受け取って飲むと、日暗は顔を歪めた。

「塩辛いでしょうが、我慢してください。黒い霧には海水が1番効きます」

「カイスイ?」

「海の水です。もしかして、海を知らないのですか?」

 海。高空機から見た地上を包む巨大な水地のことだ。日暗が雨音と勘違いしたのは、波音だった。


 日暗は地上に来て、もう何十回目となる質問をした。

「あなたは加角佳宮という方を知りませんか?」

「それはわたしです。なぜわたしを捜していたのですか?」

 1ヶ月の時を経て、佳也の妹をやっと捜し出した。

「佳也さんがあなたを捜しています」

「兄が? あなたは天国の使者か何かですか?」

「天国の使者?」

 天上では聞いたことのない言葉だった。


「佳也さんは地上では知られていない、空の街にいます。おれは代わりに、あなたを捜しにきたんです」

 佳宮は口に手を当て、震えていた。

「兄が生きている......」

 目元に溜まった涙は今にも溢れそうだ。日暗は頬の火傷に染みる前に、手を伸ばして拭った。


 佳宮の動向は、救済所で出会った一家の話と一致していた。母を病で、戦乱で佳也と父を失って以来、独りになった。老医師の元で同じ境遇の老人や子どもたちを世話していたという。

 しかし、白爆投下によって、家族同然の彼らをも失った。

「私はあの日、先生と共に爆心地から遠い村へ出向いていました。川の水を汲んでいる途中、白爆を見ました。眩しい光が飛んできて、顔が熱くってたまらなかった。夢中で飛び込んだ川に救われて、また独り生き延びたのです」


 佳宮は暗い洞窟の奥を見つめた。どこかで落ちた水滴が静かに空気を震わせた。

「どうして私だけが助かるのか、いつも考えていました」

 日暗は衝撃を受けた。死ぬことが当たり前で、生きることに理由が必要だというのか。

「せっかく助かった命を、生きている意味を疑うことはない」

 罪のない人が、まして戦乱で傷を負った人が生きることに疑問を持つ必要はない。


 何のために戦争をし、白爆を使うのか。健全な人間をむしばんでいるだけではないか。1ヶ月間歩いてきた地上は、多くのものを失っていた。決して、何かを得たようには見えなかった。


「あなたは独りじゃない。天上に行きましょう」

 日暗は再び流れた佳宮の涙を慌てて拾うことになった。夜が来るのを待ち、2人は日暗が降りた土地へと向かった。


 数日後、見回りにやって来た高空機に日暗は大きく手を振った。機体は時を惜しむようにぐんと高度を下げ、着陸した。透き通った羽が停止したと同時に、ハッチから佳也が飛び出した。木陰に隠れていた佳宮が進み出た。2人は駆け寄り、ひしと抱き合った。

 日暗は、悲惨な運命に巻き込まれた兄妹のために何ができるか、自身に問いかけた。

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