第28話 灰を掴む

「木先生」

 山吹は白い部屋で黙々と筆を仕上げる講師に尋ねた。梨木は手を動かしたまま、ん? と顔を向けた。

「白色結晶がここにあることは秘密なんですか?」

「そうなんだが、おれはもうどうでも良い気がしてきた」

「どうでも良いと言うと?」

「秘密なんていらないってこった」

 梨木は筆先になる毛を束ねながら、続きを話した。


「この学校には秘密が多すぎる。隠さなければならないほど後ろめたいものを抱えることはない。そんなだから、いらぬ闇を引き寄せるんだ」

 山吹には何のことやら、さっぱりだった。講師は構わず、そう思わないか? と尋ねた。

「人はもっと信用できる。信用してやれば、信用で返される」

 信用か。山吹はふと、灰谷のことを思い出した。


 山吹にとって、灰谷は敵わない人だった。それは長く付き合う青人と紅が信頼を寄せる職人だから。その技術も、人柄も。山吹は純粋に灰谷を慕うことはできない。2人と違ってこの人みたいになりたい、と思えない。

 この人みたいになれない、と思うのだ。

 そんな時、データ描写を知った。暗号のようなコードを打込んで描いた空は、予想以上に出来が良かった。見つけた。灰谷と別な道を見つけた。

 おれってひねくれてるのかな? 山吹は自分自身に苦笑した。

 礼儀として、霧絵の具の使い方を教わった灰谷に、データ描写へ転向することを告げた。灰谷は良いんじゃないか、とあっさり認めた。

「山吹は先にビジョンがあるから、向いているよ」

 その一言にずいぶんと勇気づけられた。こういうところが敵わない。

 おれは紅に信用されているか?


 ぼんやりと物思いにふけるのはここまでだった。

 轟音と震動が襲ったのだ。山吹と梨木は白い部屋を走り出た。ガラスの外、空には白い煙が上がっていた。

「木先生、あれはもしかして......」

「白色結晶が爆発したようだな」

 とんでもないことだ。その後、時間を置いて2度の爆発が起こった。2人の目の前には3本の白い煙が上がっている。3カ所の煙はその上空を白く滲ませているが、空全体を白く染め上げるまでに至らない。山吹は梨木の険しい横顔を見、緊張した。


「ここも危険でしょうか?」

 梨木は驚いたように振り向くと、屈託なく笑った。

「最初っから分かってることだろ」

 山吹は拍子抜けした。

「どうしてそんなに余裕でいられるんですか?」

「白先生が怪しいと思っている人は、あの人の相方だ」

 白先生の相方って、誰のことだ? 木先生じゃないのか?


「実はおれも会ったことはない。職人学校の頃からここの講師まで一緒だったそうだ。白さんからすれば、おれみたいなやつらしい」

 木先生みたいな人が黒い空の犯人? 山吹にはピンと来なかった。梨木はにやりと笑った。

「こんなに人の良い性格だったら、おまえに身の危険はないだろう?」

 自分で言いますか。根拠はないけど、山吹は少し心が和らいだ。


 その時、目の前が真っ暗になった。実習棟全体の灯りが落ちた。

「ブレーカーが落ちたか」

「爆発の影響でしょうか?」

 2人はそれぞれ持っていた懐中電灯を点けた。

「おれはブレーカーを見てくる。山吹は部屋で待っていてくれ」

 梨木は暗い廊下を歩いていき、山吹は白い部屋に戻った。わずかな灯りで白い壁や床は反射し、怪しく光る。


 山吹の背後で扉が静かに開いた。木先生が戻って来たにしては早い。灯りも復帰していない。

 体を冷たい血が走る。

 一瞬のうちに相手は部屋の中に侵入した。山吹は振り向き様に足を払われた。懐中電灯が回転しながら落ちた。受け身をとる暇もなく、床の上に倒れる。その隙に侵入者は走り出した。

「待て!」

 山吹は立ち上がろうとしたが、したたかに打ち付けた半身が痛む。侵入者は迷うことなく、真っ直ぐ部屋の奥目がけて走っていく。

 まるで白色結晶の在り処を知っているかのようだ。


 山吹は懐中電灯に手を伸ばし、拾い上げる。なんとか片膝をつき、相手に投げつける。ライトは背中に命中した。相手は不意打ちを受け、振り返った。顔は布で覆い隠されていた。

「山吹!」

 廊下から梨木の叫び声が聞こえた。異変に気付いたのか、こちらに駆けてくる足音が響く。侵入者は再び奥へと走る。梨木が到着し、侵入者を追いかけた。円卓の側の木材を掴み、足下へ投げる。そのいくつかに足を取られ、相手は床に倒れた。梨木は走り寄ってねじ伏せた。


 侵入者の顔を隠す布を取払うと、梨木は目を見開いた。

「灰谷……」

 灰谷は荒く息をつき、観念したように目を伏せた。山吹は痛む体を引きずり、やっと2人に近付いた。

「灰谷、どうしてここに来た?」

 梨木の言葉にも、灰谷は目をつむったまま応えない。


 外でサイレンが鳴り響き、近付いてきた。複数の足音が廊下にこだました。間もなく、白い部屋に数人の警察が駆け込んできた。

 山吹は灰谷が警官に拘束される姿を直視できなかった。

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