魔王・イン・ザ・コンテスト前編

 例えばの話。


 その日が彼らにとって、何か特別な日であったというわけでもはない。


 いつも通りに店には客がおらず、いつも通り店長には牙と角が生えており、いつもの通りアルバイト店員はサードアイを隠すためにバンダナを巻いていた。最近では、バンダナがまぶたにひっかかって痒くなるため、サードアイ専用の眼帯とか売ってないかなぁ、と探している。


 そんないつもと変わらぬ魔王カフェで、唯一いつもと違う点があったとすれば、元一国の王であり、現在は都内某所にて、癒し系のんびり隠れ家風カフェを経営する魔王陛下の手元に握られた、一枚のチラシだ。A4判のカラー刷。しかし、書かれた内容がよほど魔王(元)の琴線に触れたのか、彼は気の弱い人間ならその眼差しだけで二、三人抹殺できそうな鋭い視線で、じっと手元のチラシを見つめていた。一心不乱に。よそ見もせずに。ともすればジャックナイフの如き鋭い瞳から、うっかり邪眼ビームを放ちかねないほどの、それはそれは情熱に満ち満ちた熱い視線だった。


「あれ? 店長どうしたんすか? そんな熱心にチラシなんか見て。なんかお買い得品でもありました?」


「戯けが。これはそう言ったものではない。だいたい余は広告の類に関しては、紙よりもむしろネットチラシを愛用しておる」


「ああ、あれだと古紙回収の手間が省けますからね」


「二一世紀になって、限りあるといわれるこの資源を大切にできぬようでは、これからの時代、人類は立ち行かぬ。現在、人類は確かにこの惑星における生態系の頂点に立っているやもしれぬが、その歴史と栄光を千代八千代に継続させたいと思うのならば、一人一人が環境と未来について、今少しばかり真剣に考慮せねばならない時代に差し掛かっていると余は思う」


「なんでたかがチラシ一枚でそんな壮大な話になる……」


 ちょっと気になっただけだったのに、思ったより重い話へと発展してしまった。


 この場に唯一の人類代表(ああ、人類である。誰がなんと言おうと!)として、なにやら申し訳ない気持ちになってしまった。


 魔王の言葉はいつも正しい。正しいが、それが正論であるがゆえに、あと時と場所と自分の種族と立場をあまり考えないがゆえに、言われる側としては非常にもにょった気持ちになる。


「つーか、広告じゃなければなんなんすかそのチラシ。チラシっていうかパンフ?」


 いつにない魔王の態度に好奇心をそそられたのか、友也がカップを磨いていた手を止めて覗き込む。人生初の退職以来、延々とハロワ通いに明け暮れるという、選ばれし選び抜かれたニートライフを送っていた彼だが、最近ではようやく労働の楽しさに目覚めたのか、日々カフェ店員として(あるいは魔王の下僕として)、せっせと勤勉に働いている。その甲斐あってか、最近では皿を二枚まとめて片手で拭けるようになってきた。いつか十枚の大台にたどり着くまで頑張って精進したい。


 背後からひょいと覗き込んでくる友也の視線を遮るように、魔王はくるっと向きを変えた。のみならず、互いの身長差を利用して、わざわざ手を高々と掲げている。さらには念入りに背伸びまでしている。そうすると、日本人離れした(あるいは人間離れした)魔王の、意外と逞しい背中が壁になって、友也の位置からは、どう足掻いてもパンフレットの内容が見えなくなってしまった。


「あ、ずりー。なんで隠すんスか大人気ない」


「ふん、なにを申すか。おぬしこそ、人様の眺めているものを横から覗き見しようなどとは厚かましい。この店の店員とは思えぬ礼のなさよ」


「いや、そんなに見られるのが嫌ならそもそも、わざわざ店の中でこれ見よがしに広げたりしなきゃいいじゃないっすか。人間ってのは好奇心の塊なんで、そうやって隠されるとかえって気になっちゃうもんなんすよ。ま、いいっすよ。そっちがその気なら俺だって、必殺千里眼の術を――」


「だが甘い」


「な、なんだと!?」


 今まさに。


 魔王の邪悪で逞しい背中越しにチラシを透視しようとした友也が、愕然とした声を上げる。本来ならば、見えざるものを捉え、形なきものを視るはずの彼の瞳はしかし、魔王の背中を透視することが出来なかった。


 驚愕に三つの目を見張る下僕(店員)に対し、勝ち誇るように魔王がふっと邪悪な笑みを浮かべる。


「愚か者めが。この店は、いわば余の城。己が居城において透視などという下衆な行いを許すほど、当店のコンプライアンス及びセキュリティは低くはない。訪れる客人が不快な思いをなさらぬよう、ちゃんと透視邪視呪術呪いその他もろもろに対する対策は講じておる」


「マジで!? 知らなかった!!」


 考えてみればしかし、店内で透視術を使おうとしたことは、これまでに一度もなかったかもしれない。考えたことがなかったというより、単純に必要性がなかっただけだが。己の透視術にはそこそこの自信を持っていた友也ではあるが、さすがに元人間。魔術呪術に関しては、魔の王に敵うべくもない。


「ちなみにその対策とやらは一体何を?」


「企業秘密だ……と言いたいところだが、店員でもあるおぬしが、店の警備状況を知らぬのは、確かに障りがあるな。なに、年初めに詣でた神社にて、清めの塩と厄除けのお札を購入し、鬼門を封じるべく配置しただけのこと」


 誰よりも真っ先にまず魔王陛下ご本人が一番弾かれそうな対策案だった。


「さぁ。そうとなったら、諦めてとっとと作業に戻るがよい。明日のメニューではラビオリを出すゆえ、今から生地を仕込まねばならぬ。おぬしにも手伝って貰うぞ」


「うえぇー。俺、成型自信ないっすよ」


「案ずるな。誰でも最初は素人よ。何事も修練を積まねば上達はせぬし、失敗したらおぬしが三食賄いにラビオリを食べればよい」


「店長ぉ……!」


 厳しさと同時に思いやりのある言葉に、思わず感動して涙ぐみそうになる。固く固く額に結ばれたバンダナが、薄っすらと滲むのを自覚して、友也は慌てて目元(普通)をぬぐった。


 こうやって自分のようなバイトにも、店の仕事を色々とやらせてくれるのが、魔王のいいところだ。度量がでかいというか、リーダーシップとカリスマ性があるというか、人の使い方を知っているというか。伊達に過去、一国一城の主をやっていたわけではない。素晴らしく人間が出来ている。人間じゃないけど、下手な人間よりもずっと人間が出来ている。ひょっとして、単に人手が足りてないだけの可能性もあるが、少なくとも友也にとって、任せて貰える仕事が増えていくのは、純粋に嬉しかった。嬉しいと感じていた。


 今はまだ下ごしらえだけだが、最近では盛り付けなども任せてもらえるようになってきた。出来る仕事が増えていくのは、素直に楽しい。やりがい、という言葉の本当の意味を、最近になってようやく分かってきた気がする。


「けど、三食全部ラビオリって、今日はそんなに仕込むんですか? パーティーの予約でも入ってんの?」


「失敗するのがなにもおぬしだけとは限らぬであろう」


「店長の失敗作も俺が食うのかよ!?」


「無礼な。余が失敗などするわけもなかろう。まあ、普通で考えればそんな可能性など皆無に等しい。考慮にも値せぬが、同時に人である以上この世に絶対はないとも言える。ゆえにそういった場合、黙ってフォローを請け負うもまた、配下の務めというものよ」


「いや、そもそもあんたは人じゃないじゃないっすか」


 当たり前のことを当たり前に指摘してみるが、魔王の持つ耳は尖っているだけあって、その性能も人類とは異なるらしい。都合良い事実だけを聞き、都合の悪いことは自動で聞き流すノイズキャンセラー機能搭載なのかもしれない。なんにせよ、魔王は突き刺さる正論などものともせず、マイペースに粉の準備を始めた。そうなると、バイト店員としても黙ってみているわけにもいかず、慌てて手伝いを始める。 


 主従が揃って奥のパントリーへと姿を消してゆく中、鏡台のように磨き抜かれたキッチンには、一枚のパンフレットが残された。


 A4判のカラー刷。その表面には、ポップな字体ででかでかと『近日開催! 都内おしゃれカフェコンテスト! 出場店大募集!!』という文字が書かれていた。



 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



(うわっ、さっむ……!)


 自動ドアを出るなり襲いかかってきた刺すような寒さに、小夜子は思わず身を竦ませた。


 少しでも防御力を高めようと、すでに限界まで閉まっているはずのコートの襟元をぎゅっと抑える。頬に当たるファーの感触がくすぐったいが、それでも少しばかり寒さが和らいだ気がした。


 今年の冬は暖かいとは一体どこの世界の話だったのか。年を越したあたりから、冬将軍は、俺はまだ本気出してなかっただけと言わんばかりに、一気にその勢力を増した。特に誰が急かしているわけでもないのに、遅すぎた冬を取り戻そうとするかのように、日々寒さが厳しくなっていく。まだ雪こそ降っていないが、吐く息は白く、夜の闇は少し前とは比べものにならないほど深い。


 吹き付ける冷たい風が肌を刺す。寒い。いつもはオフィスにいる時間帯なので気にしたこともなかったが、日の落ちた後の空気というのは本当に寒い。出かける際にコートをひっかけてきたものの、手に取ったのがいつものダウンではなく、薄手のトレンチコートだったのも敗因の一つかもしれない。年始のセールで、値段に釣られて思わず買ったそのコートは、深いカーキという重たい色に反して、どっこい防御力はとんだ紙装甲だった。見掛け倒しにもほどがある。買った時は店内の温度設定が高かったのも誤算の一因だったかもしれない。


 本来のお値段から比べると割安だったとはいえ、それでもまだ支払った金額と等価とは思えない。羽衣のようなコートに対する怒りが蘇り、ほんの一瞬だけ寒さを忘れる。


 しかしそんな瞬発的な怒りでは、熱源としてはホッカイロ以下の持続力しか持たず、小夜子は羽衣コートの中で、ぶるりと総身を震わせた。


(うう……もう、早く帰ろ……)


 少しでも寒気との接触面積を減らそうと、ややうつむき加減で歩く。背中を丸めて歩くのは、不幸そうに見えるのであまり好きではないが、背に腹は代えられない。早く温かい我が家に帰りたい。


 と、そこで。


(あれ……?)


 見覚えのある店の前で見覚えのある人物を見かけて、小夜子は思わず足を止めた。心持ち前傾姿勢を正し、声をかける。


「友也君! なにしてるの?」

「あ、サヨさん」


 突然の呼びかけに、明らかに柄の悪いヤンキー座りで店先に蹲っていた青年は、愛想のない三白眼に少し驚いたような色を浮かべた。

 


『真夜中カフェ(元)魔王』



 ここ最近では、小夜子の一番の行きつけとなっているお気に入りのカフェである。古ぼけた木造の一軒家。門からアプローチにかけては、狭いながらもよく手入れされた花壇があり、季節の花に混じって料理に使うハーブが綺麗に植えられている。ところどころ、明らかに図鑑にも乗ってなさそうなものも植わっている。煉瓦の敷き詰められた短い道を抜けると、温かみのある木製の扉に看板がかかっている。細い金のチェーンで吊るされたそれは、普段とは違い『Close』の文字が書かれていた。


「どうしたの? 今日はお店、お休みの筈でしょ?」


「あー、うん。そうなんだけど、店が休みでもやらなきゃならない仕事はあるからさ……ほら、こいつの飯の準備とか」


「あ、ミケちゃん」


 座り込んでいた友也の影に隠れていたので気づかなかったが、よく見ると青年の手元には、一匹の小さな三毛猫がいた。最近、魔王カフェの近くでよく見かける子猫である。店長曰く、飲食店なので店内は立ち入り禁止なのだそうだが(野良とはいえ、こんなに綺麗で可愛い猫なのに、薄情なものである。人型であれば問題ないと言っていたが、そもそも人型の猫なんているわけもないのに)、店内に入らなければ問題ないらしく、店先でよくこうしてご飯を貰っている。それも、猫まんまのような大皿にがさっと盛られたものではなく、ちゃんと人間と同じように、綺麗に盛り付けされたご飯だ。子猫の方も、まるでマナーを知っているかのように、小さな口で驚くほど上品に召し上がっておられる。ピンク色の小さな舌が、薄い琥珀色のスープを丁寧に掬う様は、まるで小さな貴婦人のようだ。


「そっかー。ミケちゃんのご飯があるもんね。偉いね。お休みなのにわざわざ」


「んー、まあ俺ん家この店の近くだし。どうせ暇だったし。他にも花壇の手入れとか、ちょいちょい仕事あるしね。……それに、腹減った時に飯食えないしんどさは、俺も知ってるつもりだからさ」


 照れ隠しのつもりか、ミケの頭をぐりぐりと撫でる。友也は気持ちのいい青年だ。少し目つきが悪くて態度が軽くて言葉使いが悪く、妙にずけずけと馴れ馴れしいところがあるが、多分気持ちのいい青年だ。初め、魔王が人の配下を雇ったと聞いた時は、どうなることかと思ったが、意外と魔の王の元でもうまくやっているらしい。最近では、魔王に突っ込みさえ入れる気安さだ。いつか魔界と人間界が大戦争とかを始めたりしたら、人類を売り渡して魔王サイドにつくつもりかもしれない。


 食事を邪魔されたミケは、不満にそうに細く「ふえぇ……」と鳴いた。ミケの鳴き声は非常に特徴的である。あまり猫っぽくないというか、妙に人間臭いというか、軽く物の怪っぽいというか。まあこの世には魔王はいても妖怪なんているわけもないのだから、そんなはずもないが。


「そういえば、友也くんてプライベートでも帽子かぶってるんだね」

「俺の帽子に触れるなぁ!!」


 防寒対策なのかな、と思って何気なく聞いてみたら、驚くほど迅速な反応で拒否られた。


 ひょんなことから遠い親戚の莫大な遺産を受け継ぎ、信じていた友人知人から金目当てで狙われ続け、結果として人間不信に陥ってしまった富豪のような、明確な拒絶反応だった。


 あまりの拒絶っぷりにちょっとどころではなくびっくりした。


 驚きに目をぱちくりさせる小夜子に、友也が気まずげに顔を伏せる。さすがに自分でも過剰すぎる反応だと思ったのか、友也は慌てて手をわたわたとさせた。


「あー、いやごめん! えっとその、なんていうか本当にごめん! でもなんていうかええとだな、男には誰しも触れられたくない、過去の秘密ってのがあるものでしてね……」


「あ、ううん。むしろ、こっちこそごめん! そ、そうだよね男性だもんね……女の人より頭頂部の話題に触れられたくないこともあるよね……」 


「いや、今のは俺が少し大袈裟すぎたんだけどって……ちょっと待ってサヨさん。なんかさりげなくすげぇ失礼な誤解してない?」


「う、ううん! 大丈夫だよ! ごめんね、私ってばあまり男性の友人がいないものだから……それに、うちの家系は髪の毛が豊かな方だから、兄も父もまだその傾向がなくて……あの、本当に気遣いが足りなくてごめんね! 大丈夫だから! 絶対誰にも言ったりしないし、二度とその話はしないから! あと、私は別にそういうのまったく気にならないから。その……もし、悩んでるとかだったら、相談にものるからね?」


 ひょっとして、異性である自分には言いにくいかもしれないので、あるいは兄を紹介すべきか。いろいろと思案を巡らせる小夜子の横で、友也は頭痛を堪えるようにこめかみを押さえて溜息をついた。


「あー、もー、激しく誤解というか、いっそ訂正するのが面倒になるほど清々しい勘違いというか……とりあえず、お気遣いはありがたいけど心配はご無用です。人に相談してどうにかなるものでもないし、最初の頃は確かに落ち込むこともあったけど、今じゃ自分なりに折り合いとかつけてるし、俺は元気です」


「そ、そう……うん。思い切ってスキンヘッドっていうのも、今の時代ならありだと思うよ」


「違う」


「あとその、最近ではいいウィッグ屋さんとかもあるし。なんなら友人で美容師やってる子がいるから、紹介するし」


「だから違うって」


「そ、そういえば今日はなんでお休みなの? いつもだったら定休日は火曜なのに珍しいね!」


 話せば話すほど底なし沼に踏み込んでいく気がして、慌てて無理やり話題をそらす。かなり露骨な話題転換だったが、友也もその話題にはあまり触れてほしくなかったからか、あっさりと乗ってきた。


「あー、それな。実は俺も理由は知らされてないんだけど……」


「店長さんの実家の方でなんかあったのかな? ひょっとして、里帰りとか」


 社会人が予定外の休日を取るとなると、ぱっと思いつくのは冠婚葬祭ぐらいしかない。里帰りと言っても、魔界との扉が一体地球上のどこに開かれているのかは知らないが(詳しく知りたいとも思わない。親しき仲にも礼儀あり、というやつだ)、あれこれと推測をする小夜子に、友也は「んー、違うと思う」と、首をゆるりと振りながら、


「事情は聞かされてないだけど、ちょっとネットで面白いイベント情報見つけたんだよね」


 ダウンのポケットからスマホを取り出す。カラーはブラック。リンゴマークのついた製品で、随分使い込んでいるのか、画面が少しひび割れている。


 しかしそんなことは気にもせず、彼は欠けた液晶画面をすっと差し出してきた。


「ちょっと前に店長が、店でなんかのパンフ見ててさ。なんかやたら頑なに隠すんで、ちらとしか見れなかったんだけど、多分これっぽかったんだよね」


 言われて、画面を覗き込む。そこには――


「……第一回、都内おしゃれカフェこんてすと?」

「しかも開催日は今日」


 二人は黙って顔を見合わせた。



 食事を終えたミケが、ふえぇ……と呑気に鳴いた。



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