【17】雨巫女と彌吼雷


「────グラップリングスネア!!!」


 その時、閃光が煌めいた。

 インディラの背後から、地鳴りとともに「ズドン」とばかりに岩の手が突き上げて、その身をガシっとばかりに掴み取ったのだ!


「ぐっ……!!」


 さすがのインディラも虚を突かれては、抗う術もない。

 憎々しげな視線をロコアに向けても、岩の手は微動だにしなかった。


「そこまでです、インディラ!!!」


 シャラシャラシャランと心地よい音を掻き鳴らし、雨巫女あめみこウズハが駆け寄ってくる。

 その手には、神楽鈴かぐらすずを携えていた。


「おのれ……妖気の愚僕どもめ……!!」


 紫の目をギンギンと光らせて、インディラが己を束縛する岩の手に、ガシガシと拳を打ち付ける。

 キリッと表情を引き締めた雨巫女ウズハは、シャーンとばかりに神楽鈴を高々と振り上げた。

 そしてシャラシャラと神楽鈴を打ち鳴らしながら、詠唱し始めた。



清廉恵雨せいれんけいうの習わしに 清らかなりし言霊ことだま


 永久とこしえ御加護みかごに揺れたもう 信徒の道筋 ゆうに立つ────


  除! 厄! 清! 災!


 ────浄化祓魔じょうかふつま水珠みずたまよ!」



 シャーンとばかりに神楽鈴を振り下ろす。

 瞬間、岩の手から逃れようと暴れるインディラを、大きな水の球がブワッとばかりに飲み込んだ。


「うごおっ、ぶほわっ……!!」


 水球の中で、インディラが苦しげにゴボリゴボリと泡を吐く。

 紫に彩られたその目が見開かれ、両手は苦しげに水を掻く。


 キッとこれを見つめる雨巫女ウズハは、再び神楽鈴を頭上に差し上げると、ユルリと舞い踊るようにして、その場で身を翻した。


「除、厄、清、災────!」


 インディラに向き直ると同時、シャーンと神楽鈴を振り下ろす!


「────八波厄除激水砕はっぱやくじょげきすいさい!」


 「シャララララーン」と神楽鈴が鳴り響き、インディラを包み込んでいた水球が「ズバン」と弾け散る。


「ごぶぉはぁっ!!! ぐっ、ふ……」


 苦しげに宙を掻くインディラの目から、フワッとばかりに紫の光が消え失せる。

 そして岩の手に掴まれたまま、ガックリと崩れ落ちた。


 その瞬間、雨巫女ウズハが、ハッとした表情になる。


 油断なく見守っていたロコアが、サッと錫杖を横に薙ぐ。

 すると岩の手は、一瞬にしてサラサラとした砂と化し、崩れ落ちた。


 砂の上に、ピクリともせず横たわるインディラ。


「インディラ!」


 泣きそうな表情で雨巫女ウズハが、すぐに駆け寄って、その身を揺すった。


「……うっ……」


 呻き声とともに身じろぎしたインディラが、ゲボゲボと咳き込んで、水を吐き出す。

 雨巫女ウズハに肩を支えられると、「はあはあ」と荒い息をついて、顔を上げた。


「う、ウズハ殿……拙者は、何を……?」

「良かった……」


 荒い息をつくインディラの背中を、雨巫女ウズハが包み込むようにして抱きしめる。

 その目には、薄らと涙が滲んでいるようだ。


 その向こうで、晴矢はれやはまだ激痛に身悶えていた。


「……痛っつ~、ぅ……」

「大丈夫、晴矢くん? ちょっと待ってね」


 身体をくの字に曲げて悶える晴矢に、ロコアがそっと錫杖をかざした。


「────癒やしの水よ」


 錫杖から光が放たれ、晴矢の身体を優しく包み込む。

 まるで、身体の中を清らかな水が駆け巡るような感覚だ。

 それとともに徐々に痛みが消え去って、晴矢はホッと溜め息を漏らした。

 ゴーグルをおでこに引き上げ、流れ落ちる汗を拭い、身を起こす。


「……も、もうダメかと、思ったぜ……」

「対人戦は、こういうこともあるわ。モンスターよりも手強い人もいるから」


 優しく慰めの言葉をかけるロコアの肩に、バサバサと羽音を立ててグスタフが舞い降りた。


「情けねえヤツだ。その背中の羽は、飾り物か? ああいう時ゃ、空に飛べばいーだろがよ。自分の有利な条件で戦えっての」

「んなこと言われても……と、突然だったから、どうしようもなくって……」


 土埃を払いながら立ち上がると、自分の身体を眺め回してみる。

 服のあちこちが擦り傷だらけでボロボロだ。


 そんな晴矢たちの姿に、インディラがハッとした表情になる。

 雨巫女ウズハの手をそっと払うと、スッと姿勢を正した。


 そして晴矢たちに向かって、地面につかんばかりに頭を垂れてひれ伏した。


杜乃榎とのえ雨巫女あめみこにして我が主たるウズハ殿の命に背いたばかりか、ウズハ殿がお導きになられたミクライ殿とその従者殿に愚刃ぐじんを向けたこと、深くお詫び申し上げる! この無礼は、どのような裁きをもってしても受ける所存……!」


 ブルブルと肩を震わせ、己の未熟を恥じ入っていると言わんばかりだ。


「ミクライさま、ロコアさま。インディラは魔人の妖術に心を惑わされてしまっただけにございます。何卒、ご容赦を」


 インディラに寄り添って、頭を下げる雨巫女ウズハ。


「あのさ、さっきからミクライとか言ってるけど、何のこと?」


 頭を掻きながら、晴矢が問いかける。

 すると雨巫女ウズハが顔を上げ、そっと言葉を紡ぎ出した。



「その者 蒼き翼で宙を舞い

 白き光の渦より 出づるなりけり


 そは彌吼雷ミクライなり

 光明なる雷槌いかづち振るいて 悪を薙ぎ

 疾風の如く 魔をはら


 虹色の双眸 見据える先

 天に座したる 湧泉あり


 黒髪の従者じゅうしゃ 金色こんじきの錫杖振るいて 豊穣の地を指し示さん────


 ────これは、わたくしたち杜乃榎に伝わる伝承にございます」



 雨巫女ウズハのエメラルド色の瞳が、キラキラと輝いている。

 晴矢とロコアの2人が、まさにその言い伝えそのものである、とでも言いたげだ。


「魔人がこの地に現れ、杜乃榎滅亡の危機に立たされた折には、『雨巫女の修験場しゅげんじょう』にございますこの滝壺にて、『彌吼雷ミクライ召喚の儀』を行なうようにと……それが雨巫女の務め」

「それでウズハさんは、ここでその召喚の儀を行っていたわけね?」

「はい、さようにございます。そして先ほどの大蛇にめつけられていたちょうどその時に、白い渦が現れ……あなたさま方がおいでになられ、わたくしをお助けいただいた、というわけにございます。さすれば、ミクライさまに相違無いかと」


 そう言うと、雨巫女ウズハは両手を合わせ、恭しく頭を下げた。


 晴矢は、ロコアと顔を見合わせるしか無い。

 2人の低頭平身ぶりもさることながら、晴矢がすっかり『ミクライ』扱いなのも違和感でしかないようだ。

 しかもどうやら、ロコアの方が従者じゅうしゃということらしい……。


「あ、あのさ、経緯はともかく、俺たちは……」

「確かにわたしたちは、この地に現れたはずの悪魔を討ち祓いに来たの。ウズハさんの、召喚の儀に応えて」

「おお、ではやはり、ミクライさまなのですね……!」


 感激したように、雨巫女ウズハが顔を上げる。

 ロコアがそっと、「今はそういうことにしておきましょう」と晴矢に囁きかける。

 晴矢は肩をすくめてみせるしか無かった。


 顔を綻ばせる雨巫女ウズハとは対照的に、インディラは深く頭を垂れたままだ。


「雨巫女が命賭けで召喚いたしたとあらば益々、愚刃を向けたるは、言語道断!! この無礼、生命と引き換えにでもせねばなりますまい……!」

「いいえ、あなたたちの命を、どうこうする気は無いわ」

「しかし従者殿……! この失態たるや、末代までの恥!」


 歯を食いしばり、苦渋に顔を歪めるインディラに、ロコアが腰を落として片膝をつく。


「今はこうしてる場合じゃ無いと思うの。敵襲が来ているんでしょう?」


 耳を済ませれば、滝の落ちる音に混じって、遠くから剣戟の音や怒声が聞き取れた。


「……そ、そうでござった! 本堂が! 雨巫女よ、『巫女の修験場しゅげんじょう』本堂に魔人の軍が押し寄せております!」

「じゃあ、行きましょ。わたしたちの目的はひとつ。その……魔人の軍と魔人を倒すことだから」


 ロコアの言葉に、雨巫女ウズハがとても嬉しそうに頷いた。

 そして諭すようにして、インディラの肩に手をかける。


「インディラ、わたくしには……そしてこの杜乃榎には、あなたさまが必要にございます。剣士としての務めを果たすことこそ、唯一にして無二の贖罪とお心得くださりませ」


 雨巫女ウズハの優しげな眼差しに、インディラがグッと土を掴む。

 そして意を決したように目を見開くと、刀を取って勢いよく立ち上がった。


「……承知! ウズハ殿に預けたこの生命、今一度、死線を切り裂いて見せましょうぞ!」


 グッと拳を握りしめるインディラの目に、生気が輝く。

 晴矢はスウっと上昇すると、靄の晴れた竹林の向こうに視線を走らせた。


「……何かが燃えている? 黒い煙が上がってるぞ!」

「それはきっと、正門が燃えているに相違ござらん! 魔人軍が炎とともに押し入って参ったのだ!」

「ならば急ぎましょう、インディラ!」

「御意にっ!」


 軽く敬礼すると、インディラはすぐさま駆け出した。


「晴矢くん、わたしたちも向かいましょ」

「もちろん!」

「早々にこのような事態、申し訳ございません」


 頭を下げる雨巫女ウズハに、ロコアは首を横に振って、ニッコリ笑った。


「初見の行き違いや勘違いは、よくあることだから。気にしないで────」




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