【07】ロコアのお願い


「それでね、ミュリエルに2つの……ううん、事によっては3つかな? お願いがあって」

「良いですわよ~。ロコアちゃんのお願いでしたら、何でもお聞きいたしますわ!」


 嬉しそうなニコニコ顔になると、可愛らしくクマのぬいぐるみを抱きしめてみせる。

 クマのつぶらな瞳も、どこか自信に満ち溢れているようだ。


「まず1つめは、凪早なぎはやくんに取り憑いたバグ玉を抜き出すことはできないかな、ってこと。ミュリエルなら、何かいい方法を知ってるかな、と思って……」


 ロコアの言葉に、ミュリエルがさもつまらなそうな表情でジト目になる。

 「そっちかよ」と言わんばかりだ。

 ロコアからのお願いと聞いて、いったい何を期待していたのか?


「取り憑いたバグ玉を抜き出す良い方法があれば、これ以上、凪早くんを巻き込まなくてよくなるでしょう? 良い解決方法があれば、3つめのお願いは必要ないと思うし」

「なるほど、ロコアちゃんのお考えはよぉ~くわかりましたわ。こんな間抜けヅラ、連れて歩きたくありませんものね」

「そうじゃなくって……」


 苦笑するロコアだが、ミュリエルはなぜか嬉しそうにニンマリと微笑んだ。


「ただ、残念ですけど、このあたくしでもこのような事象に心当たりはありませんの」

「そうなんだ……」


 残念そうにそっと肩を落とすロコアに、ミュリエルはピョコンと跳びはねるようにして一歩前に進み出た。


「その代わり、『ウォーカーズリポート』を検索して差し上げますわ。もしかしたら、バグ玉が取り憑いた前例と、その対処法の報告があるかもしれませんでしょう?」

「……うん、そうね。そうしてもらえると助かる」

「よろしくってよ」


 ニコニコ顔で頷くと、ミュリエルは抱きしめていたクマのぬいぐるみの鼻を、ポチッと押した。

 すると、クマのぬいぐるみの目がフワッと光り、宙に半透明のスクリーンが現れた。


「『ウォーカーズリポート』にお繋ぎして。声紋認証、ウォーカーコード入力。認証の後、過去20年分の報告書から、『バグ玉 人体憑依』で類似検索を」


 手慣れた様子で言葉を発しながら、まるでPCのキーボードを叩くように、宙に向かってカタカタと指を動かし始める。

 すぐに半透明のスクリーンにツラツラと見慣れぬ文字が浮かび上がったかと思うと、「ピロリロリン♪」と軽快な電子音を立てて、大きく「0」の文字が浮き上がってきた。


「……ゼロ?」

「過去20年では事例報告が無い、ということですわ。では、過去100年に拡張して再検索を」


 スクリーンの「0」の文字がシュンと消えると、レポート用紙のような画面が2枚、フワフワっと浮き上がってきた。


「おお、2件ございますな」


 ミュリエルがサッと手を横に動かすと、浮き上がってきたレポート用紙が横並びになる。

 レポートは見慣れない文字で記述されていて、合間に画像や動画などが埋め込まれているようだ。

 見守るロコアとサンリッド、スクワイアーがすぐに、そのレポートを覗き込むようにして視線を走らせ始める。


 同じようにしてみんなの頭の上から覗き込んでみるが、残念ながら、晴矢にはチンプンカンプンだ。

 貼り付けられた画像や動画、それに皆の様子をチラチラと伺うしか無い。


「ふむ、ですが……これは……」


 ようやくサンリッドが声を上げたが、硬い表情で口を閉ざしてしまう。


「なになに? どうなの?」


 晴矢がスウーッと皆の頭上で旋回するが、誰も口を開こうとしない。

 レポートに視線を走らせたままで、ロコアがそっと口を開いた。


「……バグ玉が人体に憑依した事例報告が2つ。そのうち1つは、通常の解消方法によってバグ玉が消失したとあるの。もう1つは……」

「もう1つは?」

「いろいろな可能性を検証し、実施してみたものの上手くいかず、結局、『バグ玉に取り憑かれた者が死亡したことで、バグ玉が抜け出て来た』ということのようですわね」

「えっ……?」


 思わず、ドキリとして宙に止まる晴矢。

 そんな晴矢の気持ちを察してか、ミュリエルがイヤらしい笑みを浮かべて晴矢を見上げた。


「なぁ~んて簡単なお話なのかしら! その間抜けヅラの腹を、今すぐこの場でギッタギタのメッタメタに掻っ捌けば、バグ玉も飛び出して来るということですわ! これで万事解決ですの!!」

「いやいやいや……」

「考えてもご覧なさいな。あなたのような有象無象1人が尊い生命を捧げることで、ロコアちゃんの仕事が超超超~~~捗るわけですのよ? ロコアちゃんの為を思うならば、今すぐこの場でそのつまらない人生を終わらせるがいいですわ! おーっほっほっほっ!」


 雄弁に言い放ち、超嬉しそうにビッと晴矢を指差すミュリエルに、晴矢も乾いた笑いしか出てこない。

 さすがに、いきなり生命を捧げろと言われても……という話だ。


「……そんなわけにいかないから、ミュリエル。もっと古い報告書も、調べてみてもらっていい?」

「んふふ、よろしくってよ~。ですが……」

「この時点でこのような報告書しか無いということは、おそらく、これ以前にも良い前例は無い、と考えるべきでしょうね」

「うむ、サンリッドの言う通りだろう」


 サンリッドとスクワイアーの言葉に、ロコアの表情が曇る。

 晴矢としては、どこか楽しげな表情のミュリエルが『ウォーカーズリポート』を検索する様子を、祈るようにして見守るしか無かった。


 しかし……。


 「ピロリロリン♪」と軽快な音とともに検索結果が表示されるが、わずかに1枚、報告書が増えただけだった。


「200年分のデータベースを検索いたしましたけど、新たにヒットした報告書は1件。やはり同じように、通常消失により解決、ですわね」

「そう……。ありがとう、ミュリエル」

「どういたしまして」


 あまり浮かない表情のロコアに、ミュリエルが小さくお辞儀をしてみせる。


「とりあえず、俺の中からバグ玉は取り出せない、ってことでオーケー?」

「うん」

「あ・と・は、バグ玉発生元の異世界のバグを、解消するしかありませんわね」

「ああ、通常消失ってヤツだね。えっとじゃあさ、それって、実際に何をどうすれば良いわけ? なんか、時間が掛かる方法だ、ってのは聞いてるけど」

「ロコアちゃんは、ちゃんとお話ししておりませんの?」


 ミュリエルがチラリとロコアの方を見る。

 ロコアは黙ったまま、コクリと頷いた。

 背後に控える重戦士2人も、神妙な面持ちだ。


 皆の、どこか意味ありげな表情に、晴矢もゴクリと生唾を飲み込むしか無い。

 静寂の中、蒼白な顔でゆっくりと視線を上げたロコアが、晴矢に向かってそっと口を開いた。


「バグを解消する、それはすなわち────異世界に現れたであろう悪魔を倒すこと」


 まるで勧善懲悪モノの映画かアニメかゲームみたいだな、なんて思いつつも、雰囲気からしてどうやら冗談では無いらしい。


「悪魔、を倒す……って、それだけでいいの? 倒せば、俺の中のバグ玉は消失するってわけ?」

「うん、そうよ。でもね……」

「悪魔は非常に危険な存在です。狡猾にして残忍。巧みに人の心に取り入ってそれを操り、人間社会に大混乱を引き起こし、霊魂という霊魂を掻き集め、やがて世界を破滅へと導くのです」

「ヤツらめにとって、生あるものはただの玩具。ヤツらめの楽しみがために世界を蹂躙し尽くすことこそ、ヤツらめの唯一にして無情なる野望なのだ!」

「ただ闇雲に襲い来るモンスターとは、一味も二味も違う難敵ですのよ。無力な一般ピーポーがどれだけ束になろうとも、赤子の手を捻るが如くにあしらわれ、彼らの下僕に成り下がるのみですわ」


 皆の言葉を聞くだけでも、どうやらかなり面倒な相手のようだ。


「我ら異世界ウォーカーこそ、ヤツらめに対抗すべく力を与えられた、天使の使徒!」

「異世界を守り、天使のシステムによる異世界の進化を粛々と支えることこそ、使徒たる役目」

「あたくしたちの守りの力が無ければ、無数に存在する異世界の平和は保たれないでしょうね」


 ミュリエルが得意気に、肩にかかるツインテールの房を掻き上げる。

 3人共、使命感や自信に満ち溢れた眼差しだ。


「そ、そうなんだ? じゃあさ、ミュリエルさんたちの手を借りれば、悪魔を倒せるんだよね?」


 晴矢の言葉に、ミュリエルがぱちくりと瞬きをしてみせる。

 後ろの2人も、所在無げに頭を掻いたり顎をさすったりしている。

 どうやら、妙な事を言ってしまったようだ。


「ミュリエルの手を借りたいのは、やまやまなんだけどね……」

「申し訳ありませんけど、あたくしたちはここのバグ解消にかかりっきりですの」

「いやあ、なかなかに、手を焼いておりましてね」

「うむ! 恥ずかしながら、我らの力が解決に及ばぬのは認めざるを得ない」

「ロコアちゃんのお手伝いができるならやぶさかではありませんけど、どれほどの相手かすらわからない状況では、この場を捨ててまで同行するわけには参りませんわ。あたくしたちが不在と同時、悪魔がそれに気づいて一気呵成に攻め立ててくる可能性もありますからね。────せめて、悪魔を倒すのみの最終段階にでもならないと」

「わたしもミュリエルたちを手伝いたいけど……」

「その間に別の異世界でバグが発生しないとも限りませんわ。戦力が偏った隙を突いて、魔王がどこかの異世界を制圧してくるかもしれませんの。異世界ウォーカー同士の協力は、時と場合を踏まえることが重要ですのよ」

「そ、そうなんだ……」

「ここの悪魔は、まだ正体が掴めないままなの、ミュリエル?」

「ホンットにムカつきますのよ! 見つけた、と思ったらどこかに消えてしまいましたの!」

「私たちを陥れるための罠を、あちらこちらに張り巡らせているらしくてですね……」

「ここの住人たちの、我らへの信頼を失墜させるのがヤツめの目的!」

「特定次第、ギッタギタにぶちのめして差し上げますのに……!」


 なるほど、倒すことより見つけ出すことが難しいようだ。

 「時間が掛かる」と言ったロコアの言葉を、晴矢も痛感せざるを得ない。


「じゃあ、蔦壁はどうするのさ? みんなの力を借りれない、ってなると」

「うん、それもあって、あと2つのお願いを、ね」

「常に最悪の事態を想定しているロコアちゃん! さすがですわ!」


 クマのぬいぐるみをギュッと抱きしめて、クネクネと腰を振るミュリエル。

 本当にロコアの事が好きで好きでたまらない、と言わんばかりの仕草だ。


「それで、あと2つのお願いってなんですの? 1つは、いつもの『バグ玉の情報解析』でしょうけど」

「うん、その通り。凪早くんに取り憑いている状態だけど、大丈夫かな?」

「やってみるしかありませんわね」

「うん、お願い。それで、3つめのお願いなんだけど……」

「3つめは?」

「……3つめは、バグ玉の情報解析をしてからでもいいかな、と思ったんだけど……」


 そう言うと、ロコアはゆっくりと、晴矢を見上げた。

 ロコアの視線に、思わずドキリとする。

 妙に自信の無さそうな……とても儚い表情だ。


「ねえ、凪早くん────わたしの、従者アシスタントになってくれない?」


 瞬間、ミュリエルの目が驚愕に見開かれる。

 サンリッドとスクワイアーも、これは意外だと言わんばかりの表情だ。




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